『世界を動かしたアフリカのHIV陽性者運動』と“Witness to AIDS”を読み重ねてみる

Witness to AIDS
Written by Edwin Cameron with contribution by Nathan Geffen

『アフリカNOW』No.94(2012年発行)掲載

執筆:柳町昌宏/YANAGIMACHI Masahiro
やなぎまち まさひろ:AJF会員。2007年暮れから、「障害と開発」メーリングリストに投稿されたアフリカの障害者に関わるニュース・情報を「アフリカ障害者の10年」ページにまとめる作業を続けている。
アフリカ障害者の10年 http://www.arsvi.com/i/2-disabled.htm


『世界を動かしたアフリカのHIV陽性者運動』(以下、『世界~』)を購入して間もなく、AJFのスタッフから「紹介文を寄稿しませんか」というメールをいただききました。メールには、こう書かれていました。「『記録』のつもりでまとめてもらった本ですが、世界基金(世界エイズ・結核・マラリア対策基金)をめぐる動きを見ていると、今こそ世界基金につながった、世界を動かしたHIV陽性者運動について知ってもらう必要があると痛感しています」。私は「世界基金」や「HIV陽性者運動」について知らなかったので、そのときはピンときませんでした。みなさんはどうでしょうか。
『世界~』を購入したのは、”Witness to AIDS”(以下、”Witness~”)の著者エドウィン・キャメロン(Edwin Cameron)のことが書かれていたからです。AJF関係者とともに、この本を順番に和訳しながら読み進める読書会に私も参加しているので、彼の名前は知っていました。この両書はいずれも「アフリカのエイズ」のことを扱い、特に1990年代後半以降、治療薬(ARV: 抗レトロウィルス薬)の普及によってHIV感染が「死の病」ではなくなった後のことが書かれています。
両書から印象的な箇所をいくつか紹介します。

アフリカのエイズ問題の深刻さ
世界で一番寿命の短い国々が南部アフリカに集中している。ジンバブエ34歳、スワジランド35歳、ボツワナ36歳……。目を疑うような数字の背景にHIV / AIDS問題がある。(『世界~』p.3)

エイズ治療法の確立
エイズを取り巻く環境は日々変化している。なかでも1996年のARV多剤併用療法確立によって先進国ではエイズが「慢性病」の一つになったことはきわめて大きな変化であった。(『世界~』p.10)

治療薬(ARV)普及を妨げる問題
 それら(HIVウイルスを複製させない医薬品)を安価に製造し供給することを阻んでいるのは、何よりも、各国ごとのまた国際的な、企業の知的財産を持つ企業の独占的な権利(特許権)を保護する一連の法律である。(中略)エイズによる死を防ぐ手だては存在する。リーダーたち、指導者たちは、アフリカの3,000万人を始めとする資源の乏しい世界の人びとに適切に管理された治療を確実にする手だてを取るのか、それとも貧しいがゆえに人びとを死なせるのか、問われているのだ。(1) (”Witness~”p.44)

HIV陽性者運動
しかし、(一部の)患者はお互いの悩み、恐怖を訴えることをはじめ、世界に向けて訴えかけるようになった。このHIV陽性者(HIVに感染した人々)の動き(運動)は、2000年以降エイズ対策に大きな影響・変革をもたらすことになった。(『世界~』p.10)

ザッキー・アハマット(Zackie Achmat)
彼(ザッキー)は薬を拒む理由を語った。「個人的な、良心の問題だよ。私は中産階級に生まれてきた。仲間たちは労働者階級だ。HIVに感染したのが彼らだったら、薬に手が届かない」(『世界~』」p.26)
ザッキーは並はずれた知性と個人的な魅力、そして勇気を持った人である。また、これらの特質に加えて彼は無類の悪知恵そして確固たる戦略観とを共に持っている。(中略)HIV陽性であることを「カミングアウト」するとすぐに、彼はTreatment Action Campaign(TAC:治療行動キャンペーン)を立ちあげた。その団体は、国際的製薬企業の恥を暴き、政府の多くの政策について異議を申し立て、またたく間に民主化された南アフリカでも注目に価する活動家組織となった。(”Witness~”p.55)

治療行動キャンペーン(TAC)
TACはこれまでの団体とはことなり、治療問題に焦点を当てた活動を展開し、「すべてのHIV感染者が適切な治療をうけられるようになること」を目指している。(中略)TACと南アフリカ政府は製薬企業を相手に同じ側にたちながら裁判を闘い、2001年4月に製薬企業側が提訴を取り下げることで決着した。(『世界~』p.44-45)
2001年8月 TAC、ネビラピンを使ったHIV母子感染防止プログラムを開始しない南アフリカ政府を提訴/2002年7月 憲法裁判所でネビラピン裁判決着。政府敗訴(『世界~』p.39 ザッキー・アハマット年表)

ダーバン・エイズ会議
2000年7月の国際エイズ会議ダーバン会議で、南アフリカ共和国のHIV陽性者、12歳のヌコシ・ジョンソンがスピーチを行い、聴衆を揺り動かした。(『世界~』p.15)
多くの人は、TACの活動家たちがダーバン・エイズ会議に向けて呼びかけた運動は、「治療薬へのアクセス」というゴールに向けて大きく前進する分岐点になったと見ている。(”Witness~”p.112)

世界を動かしたHIV陽性者運動
南アフリカでは、(貧困層の治療を考えるのは非現実的だ、という)この「正論」への挑戦は1998年12月、ジョハネスバーグで治療行動キャンペーン(TAC)が立ち上がったところからスタートした。(中略)2000年7月、南アフリカ・ダーバンでは、5,000名の活動家たち-その多くは黒人で貧困層の人たち-が、開催された国際エイズ会議の開会式前に町を練り歩いていた。彼らは、差別的治療の廃止-貧しさは命を救うためのエイズ治療の障壁になるべきではない-と訴えた。(中略)2001年6月、国連エイズ特別総会(UNGASS)が開催され(中略)「世界エイズ・結核・マラリア対策基金」(GFATM)と呼ばれる多国間の独立した国際資金調達機関の設置が決定された。(”Witness~” p.189)
こうした流れを受けて、2000年代前半には、米国大統領エイズ救済緊急計画(PEPFAR)、”3 by 5″ (2005年末までに途上国の300万人にARV薬を提供するプログラム)なども開始され、途上国のエイズ治療の取り組みが世界的に広まったことがわかります。
私は『世界~』を読んで、アフリカのエイズの現状を知りたいと思いました。調べたところ、ARV療法は広まってきており、2010年までに途上国の600万人以上のHIV陽性者がARV薬を受けるようになったそうです。世界基金による貢献も大きく、途上国のHIV陽性者の70%が世界基金からの援助に頼っているとのことです。ところが、その世界基金は、先進国の経済危機などのために資金不足に直面しており、2011?14年初頭までの資金提供活動は大幅に縮小されることになっています。前述したAJFスタッフのメール文中の「世界基金をめぐる動き」というのは、これを指していたのでしょう。つまり、「いま世界基金は資金不足に陥っている。けれど、この治療普及の流れは元々HIV陽性者運動によって勝ち取られてきたものであって、各国政府の利害のために進めたり中止したりするべきものではない。当事者たちの声から離れてはならない」ということを意味しているのではないかと思います。
私たちが何をするべきかについて、ジャーナリストのステファニー・ノーレン(Stephanie Nolen)は著書”28 Stories of AIDS in Africa”(2)の中で、アフリカのエイズのことを話題にしたり、自国での知識普及やアドボカシー活動に関わったりすることから始めることを勧めています。『エイズとの闘い』(3)の中には、著者の林さんが「エイズという現実に対して、何をしたら良いのか」とアフリカの友人たちに聞いたところ、ある友人は「日本の1億2千万人の意識を変えてくれ」と助言してくれたと書いてあります。私たちの意識はどうでしょうか。『世界?』を読んで私がアフリカのエイズのことを少し知ることができたように、この本が私たちの意識を変えるために使われるとよいと願っています。

(1) 以下、本文中の “Witness to AIDS” の日本語訳は、この本の読書会の参加者による。
(2) Stephanie Nolen, 28 Stories of AIDS in Africa, Portobello Books Ltd, 2007
(3) 林達雄『エイズとの闘い 世界を変えた人々の声』岩波書店(岩波ブックレットNo.654)、2005年


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