Q&A: On the African tropical forest
アフリカNOW No.93(2012年1月31日発行)掲載
回答:西原智昭
にしはら ともあき:1989年から20年以上にわたり、コンゴ共和国やガボンなどアフリカ中央部熱帯林地域にて野生生物の研究・調査、国立公園管理、生物多様性保全の仕事に従事。現在の所属先と役職はWCS(Wildlife Conservation Society)コンゴ支部、コンゴ共和国北部Ndokiランドスケープ・自然環境保全技術顧問。
- 湿地性草原(バイ)は熱帯林のそばにあるのか?
バイは熱帯林の中にもとから創生されたもので、先住民などからその存在は知らされ、実際に彼らのガイドで現場が確認された。その後、多くの類似した開けた場所が上空からの観察によって発見され、地上からもその存在が確認された。基本的にバイは小川沿いにある。マルミミゾウは川沿いに沼地を荒らし、その小川が栄養源となり、バイにはミネラルが豊富にある。森が栄養源となっており、牡蠣を育てる三陸地方の山の機能と同じであると考えてよい。
- 熱帯林はどれくらい前にできたのか? 環境的には変化しないのか?
地球の最後の氷河時代が1万年くらい前で、氷河時代のころは、今の熱帯林地帯は草原だった。そこから森林が復活してきたということは、何千年もの歴史があるということにほかならない。ただし、根が深くない熱帯林の樹木は100年くらいで自然に倒れてしまい、成長サイクルは短い。その繰り返しで再生・維持されている。
- 国立公園を決めた基準は?
コンゴ共和国では、村などに私有地があるものの、ほぼすべての土地が国有地である。しかも熱帯林地域はもともと人口密度が低いので、ほぼ国有地であるといえる。その土地を国が区分をして、国立公園はその区分の中の一つとして制定された。調査の結果、その区域の原生林が良い状態で残っていて、いまは人間も住んでおらず、生物多様性の宝庫であることがわかり、それを政府に報告をした結果、正式に国立公園に指定されたという背景がある。その延長で、隣接する区域も国立公園にすべきだというアドバイスはできるが、木材業が国家経済の支えとなるコンゴ共和国では、熱帯林を伐採区として提供して税金を得る方が国策上重要なので、保護区を容易に制定するわけにはいかない。
- 熱帯林での植林の可能性は?
植林を試みている伐採業者もいるが、試験段階にとどまっている。単に特定の木を植えれば育つというような日本とは違い、多種多様な野生生物や植物そして何万種もの昆虫がいるという環境があって始めて木が育つという熱帯林の特質から見て、植林は不可能と考えられる。すなわち、伐採が行き過ぎると熱帯林は失われる。
そうしたことがわかってきたので、近年ヨーロッパ系の伐採業者の中には、多少とも環境に配慮しようという動きがある。具体的には、環境配慮に関する基準を設け、その基準をクリアーすると認証マークを付けるという仕組みができており、ヨーロッパでは認証マークがついている木材への需要がある。また、同じ場所で伐採していたら、あっという間に森がなくなってしまうので、木を切る場所、切る木の種類や大きさを限定し、何メートルごとに切るのかも定めて、その地帯での伐採が終わったら20?30年間は手を付けない、という方法をとっている伐採業者もいる。
熱帯林を復活させるには、昆虫や多種多様な植物、動物が全部セットで残るようにしなければならない。伐採する労働者が動物を大量に獲るなどの違法行為を行わないように監視する体制も作られようとしており、一部の伐採会社は、そういった監視体制を実施するためにNGOに業務委託をしたり、資金を出してパトロールを行わせたりしている。残念なことに、ヨーロッパ系の企業以外では、まだまだ環境保全に関する考え自体が希薄である。
- 密猟を引き起こすほどの象牙の需要が、嗜好品以外にどこにあるのか?
1989年からワシントン条約で象牙の国際的取引は禁止されている。それ以前は国際的な取り締まりはなされず、アジアゾウの象牙も取引されていたが、アジアゾウの生息数が壊滅状態になり、象牙の国際的取引が禁止になったという経緯がある。昨今でも、日本や中国では象牙の需要があり輸入を希望しており、南部アフリカ諸国が過去の象牙ストックを輸出したいと申し出ている。1989年以降、現在までに限定的に2回、南部アフリカ諸国から日本あるいは中国に象牙が輸出された。ただし、中国と日本の需要には違いがある。中国では象牙の質は問われず、量があって加工できればよく、製品としては印鑑よりも彫り物・アクセサリーが多い。
日本の場合、象牙の質に対する固有の需要がある。日本の最古の象牙品は奈良時代から見られるが、歴史的には限定的な需要しかなかった。江戸時代にアジアから本格的に象牙が入ってきた。象牙製品が庶民化したのは戦後で、印鑑の材料としてである。もともと印鑑業は水晶を材料とする山梨で発達した。象牙が入ってくるようになり、質も掘りやすさもよく、長持ちすることで印鑑の材料として重宝されるようになり、ハード材(アジアゾウかマルミミゾウの象牙、硬く彫りやすい)とソフト材(サバンナゾウの象牙、やわらかくて彫りにくい)という象牙の分類ができた。ハード材が好まれるため、アジアゾウの象牙がまず手に入らない現在では、マルミミゾウの象牙がターゲットになっている。日本は在庫の象牙で印鑑を彫っている状態のはずで、その在庫量は年々乏しくなってきているといわれている。昨今、象牙の印鑑への強い需要がないということは、印鑑業界の関係者もわかっている。むしろ彼らは彫り技術に誇りを持とうとしており、象牙という素材自体には強いこだわりを持たないようになってきた。
一方で、三味線のバチには古くから象牙が使用されている。プロや音にこだわる奏者は象牙のバチを好み、量的に需要が多い。三味線は安土桃山時代に日本に入ってきたが、当時は木のバチであった。しかし、明治時代以降に象牙が輸入されるようになり、音色がよく長持ちする、見た目がよい、汗をかいても吸収してくれる、ということで需要が増えた。バチは弾いている際に欠けてしまうこともあるので、ハード材象牙以外の素材は受け入れられていない。バチの大きさを考えると、バチを1丁作るためには大きな象牙が1本必要であると推測される。ハード材であるマルミミゾウの象牙は、禁止されてからは輸入されていないはずなので(限定的に2回だけ輸入されたのはサバンナゾウの象牙)、1989年から後の20年間、過去の在庫のみでどのようにバチの需要に対しやりくりしているかを知ることは興味深い。果たして、需要に見合うだけの十分な在庫があるのかどうか。1,000丁のバチが必要であれは、マルミミゾウ500頭分の象牙が必要だということになる。
環境省・経産省が作る日本の象牙管理制度は完全ではなく、違法象牙の入りうる余地がある。国内のハード材象牙の在庫について直接は公表できないとのことなので、これから開示請求して在庫量を調べる必要がある。後ろめたいことがなければ公表できるはずだが、現状ではその在庫量は未知数である。三味線のバチを使っている人は、こうした背景をおそらく知らないだろう。単にバチが欠けたから買い換えようというレベルにすぎないと考えられる。もしこうした背景を知るようになれば、印鑑のように三味線のバチも素材が変わっていくかもしれない。例えば、べっ甲の利用も江戸時代からの文化で、いまでも歌舞伎界などで使用されているが、べっ甲の取引が禁止になった現在では、代替物でやらなくてはならないという方向になっている。象牙の三味線のバチも代替物の方向でいくのか、穴のない管理制度を作りなおすことで合法的な在庫のもとで継続していくのか、というどちらかの状況になるべきだろう。
- 密猟や密輸という違法行為をやっているのは「ピグミーさん」なのか?
「ピグミーさん」が意図して密猟しているとは思えない。彼らはゾウを撃って来いと言われ、銃を渡されて猟をしている。そして、その猟の成果である象牙など価値の高い物は「ピグミーさん」のものになっておらず、「ピグミーさん」の取り分は1/10くらいなる。その意味で、「ピグミーさん」は密猟に関わっているが、彼らが自らゾウを獲りに行くというではなく、外部の人、特に町の人の働きかけによるものだと思われる。
では密猟をしかける人たちは経済的に困窮しているのかと言えば、必ずしもそうではないようだ。いい象牙2本の価格が、伐採業で働いている人の平均的な給料3ヵ月分になるという現実が、密猟につながっている。給料だけでは、自分の家族だけではなく、頼ってやってきた何十人もの親戚や係累を養うことができず、他の収入源が必要と考える人は多い。そして、自分は伐採業で働いているから密猟をしないが、銃を持っているから「ピグミーさん」に頼んで密猟をしてもらう、という仕組みになっている。
逮捕されたときの事情調査書などによると、たいていの密猟者の言い分は、お金に困っている、養うだけで精一杯で子どもを学校にやるお金もない、子どもの文房具を買う金もないなどの理由で、違法とはわかっていても密猟に手を染めたというものだ。だから、コンゴの国内法を変えて、最低賃金を引き上げることも密猟対策としては良い方策になる。一方で、象牙がいまだに高い価値を持っている背景には、国際的な需要の存在がある。国際的な需要がなくなれば、象牙なんか獲っても何の意味もなくなり、収入源にならなくなるので、密猟は自動的にストップするだろう。
- 国立公園のパトロール隊も密猟に加担しているのか?
彼らの給料と象牙による収入を比較したら、象牙による収入の方が圧倒的に良いので、そうした事件がかなり起きている。彼らは、密猟者と銃撃戦になることもあるので、自己防衛のために自動小銃を持っており、自分でゾウを殺すことはなくても、誰かに銃を渡してゾウを撃ちに行かせることはある。あるいは、象牙の密輸を発見しても手心を加えることがある。手心を加えることで給料よりもいい収入を得られるから密猟に加担してしまう状況がある。
- 伐採業者が伐採区で、自分たちの食事に必要な分のブッシュミートを獲ることは許されるのか?
コンゴ共和国の法律でも日本と同じように、狩猟が許可される季節と許可されない季節、獲っていい動物と獲ってはならない動物、動物の狩猟が許可されている場所、伐採区の中でも狩猟を許可する地域を規定している。狩猟が許可される場合でも、量の規定がある。基本的に商売として狩猟することは許されず、自己消費分だけならば認められる。すなわち、伐採区のマーケットで大量のブッシュミートが売られていることの背景には違法行為がある。
この状況は、熱帯林の真ん中の何もない所に、何百人、何千人が活動することになる基地を作って入ってきて、働き手の家族や親族も含めると何万人もが住む町になってしまった結果として生じている。伐採会社が真剣に環境配慮を考えるならば、できてしまった町に暮らす人々の食料をどうするかを考え、対策を実行しなければならない。家畜を導入するのは簡単ではなく、また問題もある。さらに冷蔵施設もないので、利用可能な食肉加工品や鶏肉などで需要を満たすようなシステムを作る必要がある。伐採区の町では、鶏肉の価格はブッシュミートの3倍くらいする。
- 先住民である「ピグミーさん」と政府や企業の関係はどのようなものか?
まだ伐採区がなかったころ、国立公園などに指定したら、先住民がその土地を利用できないではないかという非難が人権団体からなされた。確かに「ピグミーさん」はかつては国立公園のエリア内で狩猟・採集など行っていたが、綿密な調査の結果、900年以上人間が入っていないエリアを国立公園にした場合は、現在の先住民の生活には直接は影響しないので、そうした非難は適当ではないと考えられる。伐採区ができた現在では、国立公園のおかげで動物が多く残されており、その境界を越えて動物が「ピグミーさん」の居住エリアにも移動してくる。それは、「ピグミーさん」の生活基盤にとっても潤いになっている。そうした経緯があり現在では、国立公園を指定したことではなく、熱帯林を縮小させていく伐採会社への非難に変化した。
「ピグミーさん」はあまり自己主張せず、政府に対して自分たちの文化や土地への権利を主張したりしないが、特に若い世代は個人的なレベルでの主張をし始めている。ただし、彼らの将来について、人権問題・環境保全活動・伐採業などに従事している外部のどの人間も、何かアドバイスすることはできても決定権はなく、「ピグミーさん」が自ら決めていくことであることを忘れてはならない。むしろ、われわれ外部の人間が貨幣経済を持ち込んできたことによって、「ピグミーさん」の文化が変貌してきているという事実に目を向ける必要がある。その視点でツーリズムや貨幣経済の是非も慎重に考えていかねばならない。
- 外部からの影響や働きかけによって先住民の伝統的文化が失われていることについて、どのように考えるのか?
彼ら自身が自己主張するかどうかにかかっており、外部の人間が何かを言う立場ではない。彼らが自分たちで自らの将来を考えるべきだろう。マサイの場合、高等教育を受けて自己主張しようとする人たちも出てきている。例えば、世界の情勢を考えて、国立公園の存在自体は否定しないが、制約があるとしても自分たちの生業としての放牧をやっていく、といったように自己主張できるようになれば良いと、私は考えている。一方で、「ピグミーさん」たちは自己主張しないので、何を考えているのかがよくわからない。給料を受け取ったらその足で近くの屋台へ行き、酒を飲んでいる。給料日のうちに給料が酒代に全部消えてしまうという感じだ。
- エコツーリズムでプールされたお金は地域の生活向上のために使われているのか?
ンドキ国立公園で行われているエコツーリズムはビジネスとは言えず、かかった費用をカバーする金額を受け取っているだけだ。それに加えて、地域貢献費を徴収し、そのお金をプールして地元の村に還元しようとしているが、村の中できちんと会議が行われていないため、還元できていないことが問題になっている。会議での確認がないまま村に渡したら、村長のポケットに入ってしまうに違いない。
- エコツーリズムとツーリズムはどのように違うのか?
従来のツーリズムはビジネスで、金もうけ中心という印象が強いが、エコがつくとちょっと自然環境に配慮しながら地域住民にも多少貢献するという印象があり、エコツーリズムは、自分はエコツアーに参加して良かったという自己満足を得るための言葉だとも言える。実際には、ほとんどのツーリストは見たい動物の写真を撮っただけで満足しており、払えと言われたら「地域貢献費」あるいは「環境保全基金」といったお金を払うだけだろう。旅行会社は、エコツーリズムと称して、他のツーリズムと使い分けているのではないか。
- 政府はエコツーリズムに期待しているのか?
政府にとって、原生林があり、そこに動物がたくさんいて、ツーリストに開放しているということは、対外的に良いイメージをもたらし、しかもエコツーリズムという言葉を使えば、もっと良いイメージを与えることができる。しかし国家収入への寄与は、伐採業と比べものならない。もし石油が産出するとなれば、桁が3つくらい違ってくるほどの収入になる。そのために、ンドキ国立公園はすでに作ってしまったから仕方ないが、他の熱帯林は開発にあてようというのがコンゴ共和国政府の姿勢だ。
『アフリカNOW No.93』特集:アフリカ熱帯林が直面する課題と日本
アフリカ熱帯林に住む人々が直面している課題 西原智昭
アフリカに進出した中国企業による開発の課題