More Yens, more Dollars, more Euros for the Universal Access
『アフリカNOW 』No.89(2010年9月発行)特集記事
「最後の市場」として注目されるアフリカ
近年、先進国に比べ経済成長率が高い国がアフリカで増え、2008年5月に横浜で開催された第4回アフリカ開発会議[TICAD Ⅳ]の基本メッセージは「元気なアフリカを目指して-希望と機会の大陸」とされた。2002年12月に仏語の週刊誌”Jeune Afrique”が「労働人口の1/5がHIVに感染している国に誰が投資をするだろうか」と、南アフリカのエイズ危機に焦点をあててから8年目の今年、南アフリカではサッカーのワールドカップが開催され、事前につぶやかれたさまざまな懸念を乗り越えて成功をおさめた。
2008年9月のリーマン・ショックに始まる世界的な金融危機の中で、アフリカに支店網を持つ銀行がわずかながらも前年を上回る収益をあげたこともあり、「最後の市場」としてアフリカへの注目が高まっている。経済成長やレアメタル・石油などの資源開発が大きく報道され、一方で、農地争奪に注目が集まる中、HIV/AIDSに関するニュースを見る機会は減り、アフリカのエイズ危機はすでに「過去のこと」のように見える。だが実際には、どうなっているのだろうか。
「まず生きさせる」エイズ政策の大転換
1996年に抗レトロウイルス薬[ARV]の多剤併用療法が開始され、先進国ではエイズが慢性病の一つになってからも、今から10年前までは、途上国でのエイズ治療は無理、途上国ではHIV感染予防に専念すべき、というのが国際協力の「常識」であった。エイズ治療薬が高価で、何種類もの薬剤を決められた時間に服用することを求められる治療法の難しさが、その理由とされていた。
こうした状況は、2000年以降に大きく変わった。1998年12月に南アフリカで誕生した治療行動キャンペーン[TAC: Treatment Action Campaign]は、その名称のとおりに、HIV陽性者が生きのびることのできる治療を求めた。製薬会社に訴えられた南ア政府の「法廷の友[amicus curiae]」として改正薬事法裁判に関わり、ジェネリック日和見感染症薬を公然と「密輸」し、南アフリカ・ダーバンで開かれた国際エイズ会議を包囲して、アフリカにエイズ治療を求めるデモを組織した。国境なき医師団は、インド製のジェネリックのARVを使ってまずケニアと南アフリカ、次にコンゴ民主共和国など紛争当事国も含むアフリカ各地でエイズ治療のパイロット・プロジェクトを開始した。国連も、当時のコフィ・アナン事務総長が中心となって国際的な製薬企業に働きかけ、途上国を対象としたエイズ治療薬の割引販売を実現した。
地球規模の課題となった途上国のエイズ危機への関心が高まり、エイズ治療を阻害する治療薬の特許権問題に厳しい視線が投げかけられる中、2001年11月に開かれた世界貿易機関[WTO]の最高決定機関である閣僚級会議で「生命は特許よりも重い」ことを明示する知的財産権と公衆衛生に関する「ドーハ特別宣言」が採択された。
また、2000年のG8九州・沖縄サミットで提起された国際感染症対策基金の構想が、2001年7月にイタリア・ジェノバで開かれたG8サミットにおいて、エイズ・結核・マラリアに対する取り組みに国際的な資金を供給する資金メカニズム創設に向けた宣言に結実し、2002年1月1日に世界エイズ・結核・マラリア対策基金(世界基金)が発足した。そして2003年には、世界保健機関[WHO]、国連合同エイズ計画[UNAIDS]の呼びかけにより、2005年までに途上国の300万人のエイズ患者を治療にアクセスさせる”3 by 5″キャンペーンが始まり、世界中どこであれエイズ治療を実施することが当然の目標となった。
HIV感染予防に専念する政策、すなわち感染してしまった人が死ぬことを放置する政策から、まず「生きさせる」政策への大転換が起きたのだ。
国際的な資金投入を受けて実施能力が向上
とはいえ、政策が転換されればすぐにどこでもエイズ治療が開始できたわけではない。保健医療従事者の確保と訓練、医薬品供給システムの整備、カウンセリングと組み合わせたHIV抗体検査の機会の拡大、HIV/AIDSに対するスティグマやHIV陽性者への差別、職場・学校・家族からの排除などの中で、各国政府や国際協力機関、NGO、当事者団体などがHIV陽性者をサポートする仕組みをつくることに、また業務を実施する能力を獲得することにも相応の時間が必要であった。
これらの目標を達成するために2002年以降は、まず資金が投入され、実施可能なプロジェクトが開始され、そこで得られた「良い実践[good practice]」と課題が共有され、日常の活動として定着してきた(現在も定着しつつある)。そして、こうしたプロセスが確立したことによって、今日では世界中で、エイズ治療を至急に必要とする人びとの半数から1/3にあたる500万人以上がエイズ治療にアクセスできるようになった。
デモや集会、議会や政治家への働きかけといったニュースにしやすい取り組みの段階が終わり、多くの人びとが職場や地域社会における日常的な業務として、HIV陽性者そしてHIV感染の不安を抱く人びとを支える活動を行っている。こうした活動は報道される機会も少なく、ニュースだけを見ていても、また、エイズの問題が必ずしも重要な問題として社会に位置づいていない日本の中では、グローバル・エイズ危機は「過去のこと」に見えてしまうだろう。
エイズ治療実施政策は経済成長に寄与する
国際通貨基金(IMF)は2004年に『マクロ経済とHIV/AIDS 』(原題は”The Macroeconomics of HIV/AIDS”)というレポート集を出版し、エイズが人口構成や社会保障、人材育成、貧困と不平等、財政に及ぼす影響を検討した。このレポート集によれば、労働可能年齢層、すなわち家族を養い、企業活動・経済活動を中心的に担い、そのことを通して財政に寄与している人びとがエイズで亡くなることによって、短期的な経済成長が阻害されるだけでなく、次世代を担う子どもたちの教育や職業訓練が困難になり、経済成長も財政健全化もますます困難になっていく。
2002年の世界基金の設立以降、”3 by 5″キャンペーン、世界銀行の多国間HIV/AIDSプログラムといった国際的な取り組みに加え、米国の大統領エイズ救済緊急計画[PEPFAR]の開始など、エイズ治療を組み込んだエイズ対策に資金を提供する動きがメインストリームになった背景には、経済に及ぼすこうした影響や、エイズ危機に陥っている途上国の経済危機がさらに進行することへの懸念もあったことは間違いない。
前述した「労働人口の1/5がHIVに感染している国に誰が投資をするだろうか」という疑問に対する答えは、エイズ治療を広い範囲で可能にする国際的な支援の仕組みと各国における取り組みの強化であった。エイズ治療がルーティンワークになり、HIV陽性者たちがエイズ治療にアクセスすることによって働く場へ復帰し、再び家族・地域社会の一員として活躍することが可能になっている。
その一方で、世界で最もHIV感染率が高い国のひとつで、アフリカでいち早く無償のエイズ治療実施政策を開始したボツワナでは、当初、予想されたほどにはエイズ治療を受ける人が増えなかったという現実がある。人びとがエイズ治療にアクセスできることを知り、その意味することを理解することに時間がかかり、また、HIV/AIDSに関わる厳しいスティグマがあり、HIV抗体検査を受けることさえも怖れられていたのだ。
IMFや世界銀行は、途上国の財政健全化と経済成長をめざす立場から、途上国の政策決定権者にエイズ治療の重要性を説いていた。HIV陽性者団体やNGOなどは、治療を受けているHIV陽性者がいかに健康になっているのかを説明し、仕事をして家族と一緒に暮らしている様子を紹介し、スティグマに抗してHIV抗体検査を受け、エイズ治療にアクセスするよう人びとを励ましていた。そして、エイズ治療を実施する医療機関や保健医療従者の拡充を求めてきた。政策転換が実際の人びとの行動に反映するまでには、適切な仲介者や支援者が必要であり、また時間が必要であった。
2003年に本格化した”3 by 5″キャンペーンが終わった2006年1月に、エイズ治療を受けている途上国の人びとの数は130万人であった。それから4年間でこの数字は4倍の500万人以上になった。2002年初めにはこの数は30万人に満たなかったが、この8年間で17倍になったのだ。それでもこの数は、至急にエイズ治療を受ける必要がある人びとの半数から1/3にすぎないと見積もられており、今後、取り組みの強化・拡大がますます求められている。実際に、世界基金が拠出する資金は、2008年には前年に比べ、倍近くに急増した。
世界は、こうやって希望に向かって進んでいる。希望へ向かって動き出した世界を逆行させてはならない。
先進国での取り組みの強化が求められている
『フォーリン・アフェアーズ・リポート』2010年9月号に掲載された、米国の元駐ナイジェリア大使による「HIV・エイズ対策優先か、他の援助とのバランスをとるか、それが問題だ」は、2008年からの金融危機を理由に、米国でグローバル・エイズ危機に対する取り組みへの資金拠出を制限しようとする動きがあること、また、エイズにだけに資金を使うのではなく他分野でも援助が必要だという声があることを伝えている。この記事からは、エイズ対策に関する資金需要の増加が、短期的な支出削減や支出バランスの対象としてのみとらえられ、経済成長と財政健全化に向けた取り組みの強化につながっていることや、治療を含むエイズに対する総合的なアプローチがより多くの人びとに届くようになっていることを意味していることが十分に理解されていないという実情を読み取ることができる。しかも執筆者は元大使であり、こうした声が、政策立案者たちの中で無視できないくらい大きくなっていることもうかがえる。
エイズ治療薬の特許権問題は、先進国の企業の利益保護の問題であり、先進国が途上国に強制しようとしたグローバル・スタンダードの問題であった。その一方で、先進国の政府が知的財産権優先政策を修正し、エイズ治療薬を始めとする生命に関わる医薬品の特許権問題が各国の保健政策を阻害しないというWTOの「ドーハ特別宣言」が2001年に出されたことで、世界中どこであれ必要とする人へのエイズ治療を実現しようという機運が醸成された。こうした経緯に改めて思いをはせる必要がある。
途上国、とりわけアフリカ諸国が現在も大きく援助に依存している現状の背景には、それだけの歴史的事情や世界経済の仕組みの問題がある。2002年以降のエイズ対策は、このことを前提にして、国際的な資金を投入し進められてきた。また、2009年には10億人を超えたアフリカの人口の過半数が15歳以下であるという現実をふまえるならば、アフリカ諸国が自助努力だけで、国内のエイズ対策を含む保健政策などの開発の課題に必要な資金を調達することが困難であることは明らかであろう。
今年8月に、日本を訪問した潘基文国連事務総長と会談した菅直人首相は「世界基金の増資についても検討したい」と明言した。菅首相の発言を支持する声を日本国内であげ、これまで以上の資金拠出を促していくことは、途上国でのエイズ対策にとってたいへん重要だ。日本の取り組みは、他の先進国やアフリカへの関わりを深めている中国や韓国など東アジア諸国にも影響を及ぼすだろう。
本誌の今号の特集では、世界基金の取り組みの成果や世界基金に関わる市民社会の取り組みと活動方針を別稿で紹介している。グローバルなエイズ政策への取り組みのさらなる強化が求められている。