ガーナでスポーツ活動プロジェクトに参加して
What is the possibility of sports for children in Ghana?
『アフリカNOW』88号(2010年7月31日発行)掲載
筆者:田中 三千太郎
たなか みちたろう:2007年に福岡大学スポーツ科学部を卒業。福岡市体育協会勤務を経て、2008年4月から11ヵ月間と2009年7月から3ヵ月間、青年海外協力隊短期ボランティア(青少年活動)としてガーナに派遣され、NGO “OrphanAid Africa”のスポーツ活動プロジェクトに参加。現在は、同団体のスタッフとしてスポーツコーチに従事している。
スポーツ活動プロジェクトへの参加
私は、2008年4月から11ヵ月間と2009年7月から3ヵ月間、青年海外協力隊短期ボランティア青少年活動隊員としてガーナで活動しているNGO “OrphanAid Africa”(OA:アフリカ孤児支援の会 http://www.oafrica.org/)のプロジェクトに参加した。
OAは2002年10月に、雑誌『ボーグ』スペイン版とフランス版の編集者をしていたリサ・ロバット=スミス(Lisa Lovatt-Smith)が設立。ガーナ社会で脆弱な立場にある孤児や子どもたちが、保健・栄養・精神的ケア・教育などに十分アクセスができるようになり、子どもたちの健やかな成長を支援することを目的としている。具体的には、孤児院運営、学校(小学校および成人対象クラス)運営、スポーツ活動、エイズ予防啓発、クリニック運営、母子保健ワークショップ、政策提言、孤児の教育サポート、障がい児教育などの活動を行っている。
OAの多様な活動のなかで私は、ガーナの首都アクラ(Accra)の郊外にあるグレートアクラ州アイエニャ(Ayenya)という村で、活動を開始したばかりのスポーツ活動プロジェクトに加わった。このプロジェクトは、スポーツ活動を通じて、孤児院の子どもやコミュニティの子どもたちの青少年の健全な成長を促進することを目的に、8歳から25歳までの孤児院の子どもたちと村の子どもから大人たち約150名を対象にしたプログラムを運営している。
また、Laureus Sport for Good Foundation(ローレアス・スポーツ基金)から資金援助を受けている。私は小学校からサッカーを始め、福岡大学在学中もサッカー部に所属。2007年に福岡大学スポーツ科学部を卒業した後、2008年まで福岡市体育協会に勤務していた。自らのスポーツ体験を振り返って私は、スポーツを通じて本当に子どもたちに夢を与えることができるのだろうかと考えていた。
私自身は日本において、スポーツを通じて多くの夢をかなえ、成功するという体験をして、友人をつくることができた。そのことは、海外の現場においても可能なのだろうか。それともスポーツは、ただ単に金持ちの娯楽にすぎないのだろうか。私は、自分の経験を生かしてスポーツとは何かということを検証するために、青年海外協力隊短期ボランティア青少年活動隊員に応募し、ガーナでOAのスポーツ活動プロジェクトに参加した。
最初にやってよかったこと
私は、スポーツ活動プロジェクトを通じてスポーツ(特にサッカー)を「教える」という立場にあったが、最初にやってよかったと思ったことは、むしろスポーツを「教えなかった」ことだ。では何をしたのかというと、最初の4ヵ月間は、ただ子どもたちと行動を共にしただけである。私の英語能力では、子どもたちとほとんど会話することができなかったという事情もあるのだが、ともあれ何ができるのかを探し、相手の行動について聞くのではなくただ見る、教えるのではなく見ることに徹した。そのためには特別なことはせず、まずは一緒にいることが重要だと、私は考えた。
子どもたちが遊んでいるときは一緒になって遊んだ。子どもたちが大きなバケツを使って水汲みをしているとき、マキを頭の上にのせて運んでいるとき、洗濯をしているとき、兄弟の面倒をみているとき、友だち同士でケンカをしているとき、自分の手よりも小さなパンを友だちと一緒に食べているとき、親の手伝いをしているときなど、数え切れないほどの子どもたちの行動を観察し、ときには一緒に行動した。
ガーナでのスポーツ活動の課題
実際にスポーツ活動プロジェクトを運営してみると、みんなが同じ時間に同じ場所で、ばらばらの年齢層のなかで「スポーツらしき」ことを行っていることに気がついた。この村の子どもたちには、スポーツを学ぶ環境が整っていない。たとえば、いつも空腹を抱えている子どもにスポーツに集中しろと伝えても、集中することはできない。練習に行きたいが、空腹で練習に行くことができないと伝えられたこともあった。
途上国の子どもたちにサッカーボールを寄付するといった話をよく聞くことがある。そして、そのことで満足してしまう人も少なくないだろう。スポーツをオーガナイズする人が存在し、スポーツを行う環境が整備されている日本であれば、子どもたちはみんなで寄付されたボールを使って、一緒に遊ぼうとするだろう。しかし、ここでは事情が異なっていた。サッカーができる子どもだけがボールを占有してしまうのだ。そして、サッカーをはじめるとすぐにケンカもはじまる。さらに、スポーツ用具があっても管理ができず、スポーツ用具はすぐになくなってしまう。
また、一部の子どもを除いて、サッカーをする場合でもチームワークがない。練習が嫌いで、試合をすることだけを求める子どもも多い。彼らは、今までに学校などでスポーツを学んだことがないのだ。学校では体育の授業はあるが、先生は何も教えない。生徒が勝手に遊んでいるだけで、ほとんど人は体育の必要性をわかっていない。さらに、自分の村以外の同年代の子どもたちを知らないうえに、
学校に行っていない子どもも少なくないので、自分の村のなかだけで「キング」になっている。毎日、至るところでケンカや言い争いが起きている。
それでもスポーツ、もっとストレートにいうならばサッカーは、子どもたちの生活の一部の娯楽になっている。彼らは、とてもサッカーが大好きで、ある意味ではサッカーしか知らない。誰からも教えてもらったことがなくても、サッカーは上手にできる。
スポーツを学んだことがなくても、生活や遊びのなかで体の動かし方を学んでいるので、子どもたちの運動能力はとても高い。ほとんどの子どもは、試合を通じて技術を独自に習得している。とにかく走りまわって、いつも体と体をぶつけ合っている。サッカーボールをひとつ渡すと、子どもたちは全速力でボールへ向かってくる。それだけ体を動かすことが大好きなのだ。日本では、サッカーをスポーツ競技として捉える意識が強いが、ガーナの人びとは、サッカーを楽しみや遊びとして捉える意識が強い。しかも、闘争心が強く、ボールに対する執着心も強いといえるだろう。
スポーツがもたらす可能性
スポーツ活動プロジェクトでは、プロジェクト対象者を男女別の5チーム(12歳以下、14歳以下、17歳以下、18歳以上の男子4チームと、12歳から18歳までの女子チーム)に分けて、タイムスケジュールの作成、活動時間や曜日の指定、出席簿の作成し参加を確認するなどの活動を実践した。
また、活動成果を発揮できる場として、毎週土曜日に対外試合を行った。私をサポートしてくれるガーナ人スタッフには、子どもたちは少し頑張ればスポーツの技術も上達するようになるので、みんなが上達するまで待つことを伝えた。そしてサッカーの上手な子どもには、お手本としてみんなに教えてあげるように指導した。みんなでスポーツが行える環境づくりを重視したのだ。
その結果、ひとりひとりの子どもたちがスポーツを通じて自分自身をアピールできる場ができた。また、スポーツが子どもたちの午後の生活リズムの一環となったことにより、子どもたち、とくに女子が家の仕事から抜け出すことができるようになった。
私が設定したスポーツ活動プロジェクトの具体的な目標は、1. 小さな成功を友だちと一緒にたくさん体験し、2. 子どもたちが自ら夢や目標を発見できるきっかけの場をつくる、ということである。
そのために実際の活動の場では、子どもたちが挑戦したことに対して、まずはほめるようにした。スポーツに限らないが、子どもたちに何かを成し遂げる力やそうした体験がないわけではない。普段の生活や遊びのなかでは、とても素晴らしい運動能力や技術を習得している。
一方で、知識は勉強すれば身につくが、成功するという体験は、周りの環境や日常の生活スタイルからはなかなか生まれてこない。このこと自体はどの社会でも同じであったとしても、日本の場合は、学校教育などの場において子どもたちそれぞれが成功することを体験しているのではないか。
しかしここでは、こうした成功を体験することは難しい。学校に行きたくても、学費を出す余裕のない家庭も多く、子どもたちも家の手伝いをしなくてはならない。また学校側にも問題があり、子どもたちをほめることはめったにない。そのために、勉強ができない子どもは自然に学校から離れていき、勉強ができるグループとできないグループに分かれてしまう。
こうした現状を目の前にして私は、スポーツの場を「気づきの場」にするように試みた。そして、そのための雰囲気づくりとして、まずは子どもたちをほめることにしたのだ。誰もが、ほめられるとうれしくなり、自然と笑顔も生まれる。
子どもたちも最初のうちはほめられることには照れがあり、とまどっていたが、しばらくするとほめられることに自然に喜びを感じ、さらに新しいことに挑戦するようになった。そうなればもう簡単だ。スポーツを通じて子どもたちが自らいくつものことに気づいていくようになった。そして私自身も、スポーツには多くの可能性があると、改めて感じることができた。
たとえば、出席簿を活用することによって、子どもたちの成長を確認することができる。子どもたちは出席簿をつけることに対して、はじめは意味がないように感じていたが、しばらくすると子どもたち自身も出席簿をつけることの価値を理解するようになったようだ。さらに、スポーツ活動が子どもたちの生活のひとつのサイクルになることによって、時間通りに練習に来るようになり、用具の管理もできるようになった。また、スポーツ活動に「もしもあなたが?だったら」と問いかけるイメージトレーニングを取り入れたことで、子どもたちの意識を向上させることができた。イメージしたことをお互いに発表することを通じて、学校で何を学び何ができるのかについて話し合い、自らの将来の夢について具体的に考えるようになったのだ。
そのなかでももっとも効果があったのが、自分の経験を話したこと、そして、ほめられたことである。誰もが上手にしゃべりたいし、話かけられるようにもなりたい、新しいことに挑戦したいと語っていた。また練習では村の中をジョギングした。子どもたちは親にかっこいい姿を見せようと頑張っていた。親の方は、自分の子どもの姿を心配そうに(?)見ていたのだが。
村の人びとの期待と反応
スポーツ活動プロジェクトに対する村の人びとの反応も興味深いものであった。ある子どもの親からは、「子どもがスポーツばかりして家の手伝いをしない。
どうにかしてくれないか」と言われた。親が子どもを呼びに来て、連れて帰ることもたまにあった。その一方で、練習を行えばいつの間にか人だまりができ,この時間帯には村の人びとの多くが同じ場所にいるようになる。日陰で練習を見ているのか、子どもを見ているのか、それともただ会話をしているだけなのだろうか。子どもたちの練習を見ている大人たちが、自分たちにもコーチや練習時間・場所が欲しいと訴えてきたこともあった。
試合では、子どもたちと同じように大人も興奮し、試合に勝つと子どもから大人まで誰もが大喜びして、勝利について自慢げに語る。試合を見ていない人も自慢して、この話題が村中で2日ぐらいは続くので、村の人びと全員が試合に勝ったことを知るようになる。その反対に、負けると大変だ。文句の嵐が私に押し寄せてくる。はじめての練習試合で負けたときは、1週間は文句を言われ続けた。
「自分は試合に出ていないのになぜ」と言い返しところだが、実はうれしいとも思っていた。「じゃあ、どうすればいいのか」と、みんなに尋ねることができるからだ。
今後への期待
2009年7月に再びガーナに戻ってみると、今まで続いていたスポーツ活動のいくつかが停止していた。そのとき私は、私のそれまでの11ヵ月間の活動が自分優先の活動ではなかったのかと、自らに問い返した。私たちは、子どもたちに外部からモノを与えるのではなく、彼らの質を上げることに気を使う必要がある。
たとえば、時間どおりに練習に集まらない場合は、その前に村を歩きまわり、練習開始の時間だと伝えるなどの方法を試してみる必要があるだろう。一番したくないことは、モノに寄ってくるような環境をつくってしまうことだ。私は現在もガーナでスポーツコーチ(OAのスタッフ)として働いているが、この仕事をいつまで続けることができるのだろうか。スポーツ活動も結局は予算がなくなれば脆弱になり、停止してしまうものがほとんどであろう。スポーツを通じた子どもたちの成長を止めないためには、ガーナの現状に適したスポーツ活動の継続方法を常に探す必要がある。
ガーナに戻って、私がいなかった期間の出席簿をチェックしてみると、学校にはほとんど出席していない子どもたちでも、スポーツ活動には毎回参加していることがわかった。これからはスポーツ活動と学校との連携を強めることで、学校の出席率も向上させ、子どもたちが自ら将来への選択肢を発見できる場を多く提供できるようになるのではないだろか。