『アフリカNOW』 No.14(1995年発行)掲載
アフリカ平和再建委員会 中野 智之
昨年4月の大統領の死去に端を発した内戦、虐殺、それに続く数百万人の難民の流出、またその後の難民キャンプでのコレラ発生等々、これまで振り向きもされなかった中央アフリカの小国ルワンダ関連の記事が、昨年の夏以降、新聞の国際面を埋め尽くした。当時、難民キャンプのゴマという名が、その悲惨さや日本のPKOが派遣されたことなどから、一躍有名になったりもした。しかしその後、PKOが撤退し、国際社会の関心が薄れるにつれ、ルワンダ関連の記事がマスコミに取り上げられる回数が減り、その結果人々の関心も徐々に薄れていった。
だが、そういった状況とは裏腹に、ルワンダの問題は根本的には何1つ解決されておらず、また解決の糸口さえ見つかっていない。ザイールに避難した数百万の難民の帰還も一向に進まず、ルワンダ国内において破壊されたインフラの再建や、行政組織の立て直しなど課題は山積している。それに加えて、大多数の住宅が破壊、また略奪され、生活の糧である農作物を生み出す畑も混乱の中で放置された結果、収穫を上げるためには数年かかると言われている状況である。
こうした状況において、国の再建に重要な役割を担うのはNGOであり、特に現地のNGOである。アフリカ平和再建委員会(ARC)の前身、ルワンダ国民再融和支援委員会(RRCS)は昨年10月に、そうした現地のNGOの支援を通じて、国民再融和を目指す団体として設立された。11月には総勢6名からなる調査ミッションを編成し、ナイロビで行われたルワンダの現地NGOの対話会議に参加した後、ルワンダ国内において現地NGOの活動を調査し、12月に報告会及びシンポジウムを開催した。その後、ブルンジにおいても民族間の対立が続くなか、団体の名称をアフリカ平和再建委員会と変え、活動の対象をルワンダからアフリカ全体に広げ、活動を続けている。今回、私はアフリカ平和再建委員会のプロジェクトマネージャーとして、前回のミッション以降のルワンダ現地NGOの活動を調査し、その中で今後ARCが支援できるプロジェクトを見いだすとともに、あまり報道されないルワンダ国内の状況を把握するため、アフリカ日本協議会の会員である枝川充志氏と一緒にキガリに入った。
ここでは、今回の調査で接触したNGOの活動を紹介し、併せて現在の状況及び問題点について報告したい。
FORWA(フォルワ)
今回の調査に際し、まず接触を持ったのはフォルワというネットワーク団体であった。フォルワは前述したナイロビでの対話会議以降、引き続き難民キャンプにいるNGO関係者との交流を通じての対話会議以降、引き続き難民キャンプにいるNGO関係者との交流を通じての国民再融和、及びローカルNGOの強化、支援を目的に活動を続けている。これから紹介するNGOとのアポ取りをほとんどはフォルワの代表であるカニーゼス氏にやっていただいた。フォルワの活動の現状及び問題点は以下の通りである。
1.対話会議はナイロビの後ブジュンブラで1回行われた以降は、10ヵ月以上行われていいない。現在新たな難民キャンプ側との対話の会議を計画している。しかし、ザイール政府による強制送還や、ザイール国境の治安の悪化など状況が不安定になっているので、会議開催は微妙な状況である。
2.現在NGOの強化として、虐殺の混乱でア活動を停止しているメンバー団体に対して、活動を再開するための様々な支援を行っている。具体的には、各団体が組織や将来の活動を決める活動再開後の最初の総会開催の際に、資金援助を行っている。
LIPRODHOR(リプロド)
1991年から人権擁護を目的として活動している団体。
現在、ルワンダの人権擁護団体の連合体であるCLADHO(クラド)と協力して、虐殺の調査及び報告書の作成を行っている。既に、キガリ市内で発生した虐殺については報告書が完成している。
また、刑務所の環境改善も行っている。現在、ルワンダの全ての刑務所では収容可能人数の2倍から9倍の囚人が収監されており、病人が多く、死者も絶えない。こうした問題に対してリプロドでは、政府に対して刑務所内の衛生改善の改善要求をしたり、刑務所の職員に対して囚人の扱いなどについてのトレーニングを行ったりする一方、無実である囚人の無実であるという証拠集めなどを行っている。
HAGRUKA(ハグルカ)
1991年に女性と子供の権利擁護を目的として設立された。スタッフは7名で、代表、事務局長、プロジェクトマネージャーなどの主要なポストは全て女性で占められている。ハグルカの代表は現在、法務大臣である。
現在行っている活動は、内戦及び虐殺の際の略奪により破壊された住宅の建設と孤児に対する支援である。これまでにキガリ市内を中心に、300戸の住宅を建設した。現在、キガリ及びブゲセラに計300戸の住宅の建設を計画している。
今回、私たちはハグルカの住宅建設のプロジェクトサイトである、キガリからほぼ真南に約40キロ下ったブゲセラを訪れる機会に恵まれた。ブゲセラ周辺は虐殺が特に激しかった地域である。その地に約200戸の住宅の修復、建設を計画している。
私たちは修復する予定のいくつかの住宅を6件見ることができた。その全てにおいて屋根と窓がなく、由香には雑草が生えている状況で、破壊された住居がそのままの状態で放置されていることが容易に推測できた。また、それはその住居周辺の農地においても同様で、バナナやコーヒーなどの木々が収穫されずに残った実をそのまま付けていた。そうしたことから、ブゲセラでは住宅建設と併せて農地の再開墾が必要であると言う印象を持った。そのためにはその地域のコミュニティのバックアップが不可欠であろう。しかし、ブゲセラではコミュニティのリーダー格のほとんどが殺されてしまい、現在新しいメンバーによりコミュニティの再建を進めているところである。数日前にもハグルカと新しいコミュニティのリーダーとのミーティングが行われた。
APIDERBU(アピデブ)
1990年に設立。ブルンジとの国境周辺地域において村落開発を行っている。
現在、虐殺により未亡人になった女性のための住宅建設及び農業指導、孤児の受け入れ促進と受け入れ家族に対する支援、小規模グループに対する支援などである。
スタッフは最近の増員で計45名になった。その半数が孤児受け入れの際のコンサルテーションを主な活動にしているソーシャルワーカーであり、残り半数は医療分野を担当している。
ARDI(アルディ)
1983年に農村地域における雇用創出、技術指導などを目的として設立された。現在、農民に対する技術指導や資金の調達などを行っている。
今回の調査では、キガリ周辺に点在するアルディのトレーニングセンターを3ヵ所訪れた。最初に訪れた2ヵ所のトレーニングセンターはキガリからそれほど遠くなく、それぞれ煉瓦造りと農具づくりの技術指導を行うものであった。両方のトレーニングセンターとも虐殺の際に被害に遭い、内部が破壊され、略奪の際に持ち運べなかった機械類だけが残っているような状況であった。アルディでは、現在そうした施設の再建を進めている。
最後に訪れたトレーニングセンターはキガリから約30キロ行ったカノンベにある農業指導のための農園であった。そのトレーニングセンターでは、徐々にではあるが活動を再開しており、既に数回のトレーニングを行った。現在、その農園ではトマトや人参などの野菜の栽培や、養蜂や養鶏などのトレーニングを行える状態にある。計画では、それらに加えて養豚も行うように豚小屋の建設も進めている。
その他のNGOについて
今回の調査では上記紹介した以外にいくつかのNGOを訪れることができた。DUTERINMBERE(デゥティリンベレ)は、女性に対して小口の資金を貸し付けることにおり、その結果女性が小規模ビジネスを始めるきっかけを作っている。また、ENERWA(エナルワ)は主に環境保全や代替エネルギーの開発などを目的とし、現在虐殺で破壊された自然の調査を行うことを計画している。そのほか、食料の確保をキーワードにプロジェクトを計画中のARSA(アルサ)や、ストリートチルドレンへの支援を行っている団体等がある。
今後の活動について
最後に今後のアフリカ平和再建委員会(ARC)の活動に触れたい。
私たちは調査の結果、ローカルNGOが活動を再開する中で、様々な問題に直面していることに気づいた。フォルワではそうした問題点を共有して、解決策を探る会議を行うことを計画している。ARCではそうしたNGO間の情報交換の会議の開催を支援し、可能であれば日本からオブサーバーとして会議に参加したいと考えている。
また、ARCはコミュニティの強化が平和再建のために非常に重要であると考えており、コミュウニティレベルでの活動を行っている唯一の団体であるアピデブのプロジェクトを支援することを計画している。
キーワードにプロジェクトを計画中のARSA(アルサ)や、ストリートチルドレンへの支援を行っている団体等がある。