Coined words using “Black” in a negative way
『アフリカNOW』 No.122(2023年3月31日発行)掲載
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津山 直子
(つやま なおこ:アフリカ日本協議会副代表)
「ブラック(Black)」を使う語句については、ネガティブな意味で使わないというのが世界的な常識になっている。特に2020年に「BLM 運動」(Black Lives Matter ) が広がる中で、人種差別による暴力だけでなく、偏見やステレオタイプを助長したり、マイクロアグレッション(小さな攻撃性)と言われる、見えない痛みを与える暴力性についての意識や理解が高まり、積極的に見直されることになった。「ブラックリスト」という語句も、多くの国々で「ネガティブリスト」、その反対は「ポジティブリスト」など別の言い方がされるようになっている。
一方、日本では、ブラック企業、ブラックバイト、ブラック校則、ブラック部活、ブラック奨学金など、悪いこと、問題があることに「ブラック」をつける造語が増えており、日常的に使われている。メディア、書籍、論文などでも多く見られるし、日々の会話でも、「私の会社、ブラックだから」のように、ごく自然に使われている状況がある。その反対に「ホワイト企業」など、ホワイト=良いとされている。
これらの「ブラック」造語は、劣悪な労働条件の企業、行きすぎた校則など、悪い状況を変えようと活動する団体や研究者によって使われてきた経緯があり、社会の問題を可視化し、改善してきたという側面がある。しかし、ブラック校則を英語で ’Black school rules’ と、ブラック企業を ’Black company’ と訳しても国際的に通じないし、批判を受けるだろう。アフリカの国々では言うまでもない。
アフリカ日本協議会(AJF)では、アフリカンキッズクラブなど、アフリカにルーツをもつ子どもや若者が集う場づくりを行ってきた。アフリカからの移民2世の子ども、両親がアフリカ系と日本人のダブル(ハーフ)の子どもらが、交流したり、経験や思い、悩みを分かち合う場になっている。子どもたちは、肌の色や髪の毛が違うことで、いじめを受けたり、偏見やマイクロアグレッションによる見えない傷や痛みを負うこともある。そういった経験や痛みについて、当事者である子どもや若者による発信も増えてきている。
「ブラック校則」「ブラック企業」と言われる問題は、これまで何十年も続いてきた問題であるが、以前はこのような表現はされていなかった。「ブラック校則」は、行きすぎた校則、意味のない校則、不必要な校則、子どもの人権を侵害する校則などを意味するのであろう。また、ブラック企業は、労働条件・環境の悪い企業、労働者の権利を守らない企業など、それぞれ具体的な問題をはらんでいる。悪いこと=「ブラック」と安易に総称する風潮は、各問題の本質への理解を妨げることにもなるかもしれない。
BLM (Black Lives Matter) における「ブラック」と、これまであげた日本での造語の「ブラック」の意味は、言うまでもなく異なるものである。BLM 運動が大きなうねりになった米国などに比べ、日本社会でアフリカ系の人々はさらにマイノリティであり、その声が大きくなることはむずかしい。「ブラック」造語の多用が、ブラック(アフリカンルーツの人々)への偏見や差別、マイクロアグレッションにつながるという意識や理解がないままに使われ続けることは、他国では人種差別と認識されることと大きな隔たりがある。「ブラック」造語を使用しないこと、別の表現や語句を用いることへの理解を広げる必要がある。
また、同じように頻繁に使われるようになった造語に、「買い物難民」「ランチ難民」など、「難民」を「困っていること」に付けるものがある。これらの使い方は、難民への間違った理解や、難民として日本に住む人たちを傷つけることでもある。命からがら生き延び深刻なトラウマを抱える人々、母国での問題や不正に声をあげ、社会を変えようとしたことで迫害を受けた人々など、難民はただ困っている人では決してない。
「多様性ある社会」は、無知や無意識の中で小さな傷や痛みを与えることに気づき合い、変わっていくことでもある。それもまた誰もが生きやすい社会につながると思う。