Work as a bridge between Kampo (traditional Chinese medicine) and African traditional medicine
『アフリカNOW』89号(2010年9月30日発行)掲載
執筆:オボス・コチョレ・エチエン
Obossou Kochole Etienne:ベナン生まれ。小学校から大学までのすべての課程を神学校ですごし、大学時代は神学と哲学を学ぶ。大学卒業後の2002年にカトリックの神父になり、数年間、ダサ=ズメ(Dassa-Zoume)教区司祭として働いた後、2006年に初来日。アジア学院で農学を学ぶ。現在は、横浜薬科大学漢方薬学科に在学中。
漢方とアフリカの伝統医療の橋渡しをして、アフリカ人の体に合った価格の安い薬をつくる。これこそが、私が日本に来た理由です。私は、アフリカ西域のベナン共和国から日本に留学して5年目になります。現在、横浜薬科大学漢方薬学科の3年生で、毎日、漢方薬の勉強や実験などに没頭し、帰宅後も復習やレポート作成、試験の準備などにがんばっています。
ベナンは、トーゴとナイジェリアの間にある長くて小さな国で、大きく3つの地域(北・中央・南)に分かれ、それぞれの地域の言語があり、また民族もたくさんいます。しかし、戦争が起きたことはありません。国民すべてががんばって「平和」を守っています。ベナンは、アフリカの54カ国の中で、民主主義と平和が定着している国のひとつだと言われています。これは、カトリック教会のおかげです。政府が混乱状態に陥ったときに、教会の指導者が「愛と平和」の精神で、政府を導いてきた結果なのです。ですから現在も、他のアフリカの諸国からベナンの民主主義について学びにくる人が多いのです。
私が「アフリカ人のための薬の開発」を考え始めたのは、ベナン中央部のサヴァル(Savalou)にある貧しい市立病院にいたときの体験がきっかけになっています。私は、2002年にカトリック教会の司祭になり、それから数年間は病院付き司祭[チャプレン(chaplain)]として働きました。
この市立病院には、いくつもの小さな村から病状の重い大勢の人が来ました。病院に行くということ自体は、村人にとって普通のことですが、村人の多くはお金がないので、体の調子が悪くなっても我慢してしまい、まずは自己流で何とかしようと、日ごろ使っている生薬を服用します。もちろん適切な診断が行われない限り、自分がかかっている実際の病気はわからないのですが、村人は自分の病名がわからない状態で、自分の病気にふさわしくない生薬を大量に使ってしまいます。それで病状が治まるはずもなく、重症になってから病院にくるというパターンが多いのです。村人は、畑を持っているので、食べる物はあるのですが、農作物を金銭に変えることが困難なのです。
病院付き司祭としての私の仕事は、治療費や薬代、入院費を払えない患者さんのために、教会の信者に電話をして寄付をもらい、患者さんの衣類の洗濯など身の回りの世話をしてくれる人を探し、病気に苦しむ人びとの話を聞き、カウンセリングをして、患者さんのために祈って、秘跡(「病者の塗油」などの神からの恵み)を与えて霊的に支え、魂のケアに努めたりすることなどでした。
死が間近に迫っている患者さんのカウンセリングをするのは、とても大変なことでした。目の前にいる患者さんが、たとえば2週間以内に亡くなるだろうということを私自身が知りながら、その人の相談にどのように乗ればいいのか、もし私自身がその患者さんとまったく同じ状況に陥ったとしたら、どのような話なら受け入れることができるのかなど、本当に想像を絶するようなことを体験して、考え込んでしまいました。このような相談に乗るたびに私自身も大きなショックを受けて、寝ることができないこともありました。
そんな中、私が勤めていた病院ではある時期、腸チフスに感染した患者さんが多くなり、大勢の患者さんが死んでしまうということがありました。肉体的な苦しみにある人や死んでいく人を前にして何もできず、眠れない夜も増えてきました。もちろん、魂のケアは大事なことですが、だんだんと、魂のケアとともに何かほかのこともできないかと思い始めたのです。
患者さんの多くは若者や子どもなのに、なぜこんなに大勢の人が死んでしまうのか? このことを知りたくなったのです。私自身、病気のことはわからないので、この市立病院や他の病院、教会や私の知り合いの医者を集めて、医者のグループをつくり、1日ごとに死亡者数やもっとも多い病気、その要因を調べ、データを作成してもらいました。
ベナンは気温が高いので、いろいろな病害虫が発生しやすい状況にあります。しかも埃が舞い上がると、埃に混入していた細菌やウイルスも一緒に体内に入り込んでしまうので、予想以上にいろいろな病気に感染してしまいます。
調査の結果、もっとも多い死亡原因は、衛生の問題によって生じる腸チフスだということがわかりました。それならば、なぜ病院に行っても腸チフスが治らないのか、薬剤師にも協力してもらい、また別の調査を続けてもらいました。処方箋の内容と薬局での販売状況を照らし合わせたところ、医師が処方箋を出したのにもかかわらず薬を買っていない人が多く、その数が増え続けていることが判明しました。その理由は、患者にとって薬が高すぎるからということでした。また、たとえ薬を飲んでも、嘔吐や体が疲れるなどの症状が出てしまうことが少なくないことも判明しました。
こうした問題について、薬の保存状況や、血液検査を実施して副作用について調べた結果、もっとも改善が必要なのは薬だということが判明しました。薬さえ飲めば、病気が完治できるのに、なぜ患者さんたちは薬を飲めないのか、または飲まないのか。理由は以下のとおりでした。
- ほとんどの薬が欧米からの輸入品で、欧米では500円程度のものが、ベナンでは5倍の価格にも高騰し、貧しい人は服用できない。
- 欧米の薬は、欧米の人びとの体質に合わせて作られたもので、アフリカ人が飲んだ場合、体質に合わず副作用を起こしてしまうことが多い。
- 輸入薬の保管には、気温や湿度などの調整が不可欠だが、十分に管理できていないために薬自体が変質してしまう。電気も冷蔵庫もない村では薬の保管は困難。変質した薬を服用し、体調を崩す人もいる。
- 輸入薬は、大都市で消費されてしまい、地方には回ってこない。
- 薬剤師が欧米の薬について十分な知識がないため、薬の量などの処方の仕方が不十分で、また副作用についての説明や服用後の注意事項についても把握していない。
しかし、こうした理由を知らない村人たちは、「病院に行っても腸チフスは治らない。死ぬ人が多いのだから病院に行く必要がない」と思い、病院にますます来なくなってしまうケースも多いのです。
この問題を解決することは簡単ではありませんが、この悪循環を断ち切るために私は、輸入薬ではない別の方法を探そうと思い立ちました。第1段階として、まず医療関係者を何回も村に連れて行き、アフリカにある伝統的な生薬について良く知っている村人に、その病気のことを説明してもらいました。そして、病気のことを聞いた村人たちに、その病気の症状を和らげそうな生薬でしかも体に良いものを集めてもらいました。
第2段階として、アフリカの伝統的な医療を担う人びとに協力してもらいながら、集まったさまざまな生薬に共通点を見いだしました。さらに第3段階として、病気の症状に合わせていくつか治療に役立つ生薬を絞り出しました。実際にそれを服用して、腸チフスが完治した人もたくさんいました。私は本格的に生薬の勉強をすることを決意しました。
ベナンにも薬学部はありますが、漢方薬学科はありません。また個人的に生薬を研究する人がいたとしても、珍しい生薬を欧米に売ってしまうため、その生薬は欧米の製薬会社で、欧米の人びとのための薬の開発に使われているという現状があります。アジアでも漢方薬学を学べる国はいろいろありますが、「勉強を進めていくためには、人間関係もとても重要だ」と考えました。ベナンにいた日本語学校の日本人教師の姿を見て、「自分には日本が合っていそうだ」と感じ、同じダサ=ズメ(Dassa-Zoume)の出身者でベナン共和国大統領特別顧問を務めているゾマホン・イドゥス・ルフィン(Zomahoun Idossou Rufin)さんが代表を務めているIFE(イフェ)財団の支援を受けて、2006年に来日しました。
来日して最初の1年間は、栃木県にあるアジア学院で農学を学びました。私が所属するベナンのカトリック教会ダサ=ズメ教区の農民会のため、また生薬の栽培技術を習得するために農業を勉強したのです。その後、ベナンに帰り、アジア学院で得た知識を人びとに伝授しました。そして再来日し、2年目は早稲田外語日本語専門学校で日本語を習得。翌年、同校の先生が探してくださった横浜薬科大学に入学しました。
哲学や神学を学んできた私にとって、薬学という初めての理系分野への挑戦で、しかも日本語の問題もあって、勉強勉強の毎日ですが、なんとか単位を取って進級してきました。本当に苦労の連続ですが、自分が学んだことがアフリカや世界の人びとの役に立つと思えば、苦労も喜びに変わります。
これまでパリ外国宣教会のオリビエ・シェガレ神父やIFE財団/NPO法人IFE、知人、ダサ=ズメ教区の人びとなど、たくさんの人びとから応援を受け、助けてもらい、今までなんとか日本での勉学と生活を続けることができました。日本の皆さんの「心」がなければ、ここまで勉強を続けられませんでした。本当に感謝しています。
私の希望は、漢方の生薬を研究しいろいろな成分の抽出と薬の製造法を学び、アフリカの生薬に含有している成分を探し出し、それを使って薬をつくることです。いつかアフリカに研究所を設立し、アジアの漢方とアフリカの伝統医療の橋渡しをして、アフリカ人の体質に合いかつ安い薬を開発することを目標にしています。まずはそのために、日本で博士号を取得することをめざしています。私のこのプロジェクトを支援するために、今年の7月にはオレ・オフェ・アリボ[Ore Ofe Arigbo、ダサ(Dassa)語で「伝統の恵の会」の意味]も結成されました。
私たちベナン人は今、農業などいろいろな技術を学びに日本に来ており、その技術をベナンに持ち帰り、ベナンの伝統的な知識に組み合わせながら、国民のために役立てようとがんばっています。私は、アフリカの医療状況をなんとか改善できるようにがんばります。どうか応援をよろしくお願いいたします。