ボツワナで出会った子どもたち

Children I met in Botswana

『アフリカNOW』90号(2011年1月31日発行)掲載

執筆:野沢千恵子
のざわちえこ:HIVと人権・情報センターで約10年間、細々とボランティア活動を続けた後、2008年9月より青年海外協力隊エイズ対策隊員としてボツワナで2年間の活動を行う。 2009年4月よりグローバル・エイズ・アップデートの翻訳にも関わっている。


私は、2010年9月までの2年間、青年海外協力隊員として南部アフリカのボツワナで暮らしていました。ボツワナでは、自宅で近所の子どもたちに算数などを教えていたことがきっかけになり、多くの子どもたちと出会うことができました。

子どもたちとの出会い

ボツワナは、南アフリカの北に隣接し、面積は日本の約1.5倍ありますが、人口は192万人(2008年、世銀)しかいません。独立後にダイヤモンド鉱山が発見されたため、近隣諸国と比較すると経済的に豊かです。貧富の差は激しいと言われていますが、食べ物に困っている人に出会うことはあまりなく、大人はふくよかな体型の人がとても多いという印象を受けました。政治的にも安定していて、基本的に安全で平和な国でした。私が2年間を過ごしたマスンガ(Masunga)は、首都ハボロネ(Gaborone)から約500キロ北北東にあり、ジンバブウェとの国境に近い、人口約3,000人の村です。周辺の地域(North West District)の官庁の所在地で、役所や郵便局、銀行などがあるほか、幼稚園が数ヶ所、小学校、中学校、高校がそれぞれ1校ずつありました。また、水道も電気も通っていて、ADSLが利用できるネットカフェもありました。乾燥した平地が広がっているため、味気ない景色だと感じることもありましたが、遠くに見える地平線や大空はたいへん美しく、のどかで暮らしやすいところでした。子どもたちに出会うきっかけとなったのは、青年海外協力隊の活動のひとつとして取り組んだ「寺子屋活動」です。マスンガに住み始めて1年が過ぎた頃から、子どもたちの教育にも関わりたいという思いを抱くようになり、2010年1月から自宅で、算数などを教える寺子屋を始めました。寺子屋には、オープンしてすぐに一日あたり数人から10人前後の子どもたちが集まるようになりました。生徒たちの男女比は、1対3の割合で女子の方が多く、主に算数を教えた他に、子どもたちが図工や音楽、ボール遊びなどを自由に楽しめるようにしていました。寺子屋は予想以上に繁盛し、修了式には20人以上の子どもたちが来てくれました。

子どもたちが好きだったこと

寺子屋に来ていた子どもたちは、みんなとても元気でパワフルでした。いろいろなことに興味を示し、楽しんでいましたが、その中でも特に印象に残っていることを紹介します。
宿題 ある日、「ギブ・ミー・ホームワーク!(Give me homework ! )と言った子どもに、ノートに算数の問題を書いて渡したところ、その場にいた子どもたち全員に「私にも宿題ちょうだい!」とせがまれ、びっくりしたことがありました。「どうして宿題が欲しいの」と聞くと、「算数は難しいから、宿題が必要なの」と答えるのです。宿題をあげると喜んで帰って行きました。これをきっかけに、寺子屋では宿題を出すことが習慣になりました。
かるた 子どもたちに九九とアルファベットを覚えてもらいたくて思いついたのが、かるた遊びです。子どもたちはすぐにかるたの虜になりました。私が子どもだったときよりも楽しんでいるのではないかと思ったほどです。アメ玉やシールのプレゼント付きのかるた大会は大人気で、九九をなかなか覚えない子も、大会直前になるとものすごい勢いで暗記し、真剣勝負になります。毎回、かるたがグチャグチャになるほどの白熱ぶりでした。
図工 子どもたちは図工が大好きでした。紙、のり、はさみ、色鉛筆さえあれば、数時間は夢中で遊び続けました。折り紙も人気がありました。子どもたちは自分の作品を教室の壁に飾り、それを見ながら満足そうにしていました。
シャボン玉 シャボン玉も大人気でした。シャボン玉を飛ばすだけでは物足らず、数人で集まって大きなシャボン玉を作ったりして遊んでいました。ちなみに、私が目を離したすきに2歳の男児がシャボン玉の液を飲んでしまったことがありました。そのときは何ともなかったのですが、帰宅後に吐いてしまったと聞かされ、あわててその子の家に行くと、その子のお姉さんは笑いながら「吐いたけど今は大丈夫。ノープロブレムよ」と言ってくれたのです。ボツワナ人はとても大らかです。
 ノリの良い賛美歌のひとつを校歌にして、子どもたちに教えていました。歌は大好きなようでしたが、大声を張り上げるばかりであまり上達しません。映画の「サウンド・オブ・ミュージック」を夢見ていたのですが、失敗に終わりました。
学校ごっこ 子どもたちは私の家でよく「学校ごっこ」をしていました。小学4年生くらいの子どもが先生役で、低学年の子どもや幼稚園生が生徒役を演じます。先生役の子どもは、大柄な態度で演説のような話し方をして、生徒役の子どもたちはそれを静かに聞いていました。ときどき、先生役の子どもが木の枝を使って生徒役の子どもピシっと叩き、生徒がそれに耐える場面も見られましたが、なぜかとても楽しそうでした。きっと、これが子どもたちの学校教育のイメージなのだろう、と思って見ていました。 その他にも子どもたちは、日が暮れるまで近所の友達とドッジボールやサッカーなどのボール遊びをしたり、ダンスを踊ったりしていました。ダンスは、数人が庭に集まり、CDから流れてくるボツワナや南アフリカのポップミュージックに合わせ、みんなが同じ振り付けで踊っていました。とても楽しそうだったので、私も何度か参加してみましたが、私にはうまく踊れませんでした。

子どもたちとの思い出

私が出会った子どもたちは、とても元気でパワフルな子ばかりでした。寺子屋はいつも騒がしく、私はいつも大声で子どもたちを叱っていましたが、感動したことやほのぼのとうれしかったこともあります。
一番感動したことは、5までの足し算があやふやだった小学1年生の女子が、1ヵ月足らずで10以上の足し算ができるようになったことです。新しい問題が解けるようになって、彼女が全身で喜んでいるのがこちらにも伝わってきたときには、「子どもの可能性は無限だ」と心から感動しました。
ほのぼのとうれしい思い出は数え切れないほどありますが、もっとも思い出深いのは、私が1週間程、村を留守にして戻って来たときのことです。遠くにいた子どもたちが私を見かけると、「ツェホー!(私の名前)」と叫びながら駆け寄って来て、私が持っていた重たい荷物を「よいしょ、よいしょ」と言いながら家まで運んでくれたのです。大声で叱ってばかりの私を慕ってくれる子どもたちの心が、とても愛おしく感じられました。子どもたちとの関係は帰国後も細々と続いています。この原稿を書いていたら急に子どもたちが恋しくなり、もっとも付き合いの長かった小学4年生の女の子の携帯に電話をしてしまいました。先日EMSで送ったクリスマスプレゼントが届いていたようで、喜んでいました。これからもこうした関係を続けて行きたいと思っています。
以上が、私が見て感じたボツワナの子どもたちの姿です。ボツワナの子どもたちを身近に感じていただけたでしょうか。私が出会ったボツワナの子どもたちについては、私のブログ(http://kerinchi.exblog.jp/)もご覧になってください。


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