アフリカの現場から:ブルンジ

ブルンジ人による貧困削減のための草の根活動の課題と可能性
On the Spot in Africa BRUNDI

『アフリカNOW』No.95(2012年7月31日発行)掲載

執筆:坂野友香/BANNO Tomoka
ばんの ともか:1989年生まれ。神戸大学大学院国際協力研究科修士課程所属。小学生のときの南アフリカ旅行を機に、アフリカに貢献するという夢をもつ。現在は、開発経済学の勉強のかたわら、ブルンジでの雇用創出を目標に、ブルンジ人パートナーたちと共に事業を準備している。


ブルンジの人たちが日常会話で使用するルンディ語(Kirundi)では、「ありがとう」に対して「こちらこそありがとう」と返答する。礼儀正しく、謙虚で、相手を尊敬する文化を持つブルンジの人々の特徴が、この短いやり取りにもっとも顕著に表れている。

ブジュンブラ(Bujumbura)国際空港に降り立ってみると、緑豊かな風景が心を落ち着かせてくれる。日本の田舎の景色にも少し似た田んぼと畑の間の国道を少し走行すると、人口約33万人の首都ブジュンブラに到着する。近代的な高層ビルがほとんどない小さな街だが、緑が多く、整然としたきれいな街だ。道行く人々を観ていると、知り合いに出会うとあいさつを交わし、別れてしばらく歩くとまた別の知り合いに遭遇して立ち話をしている。街中みんなが友だちであるかのようだ。「紛争中はみんなで支え合わないと生きていけなかったからだ」と友人は説明してくれた。ブルンジの人々の生活は、人とのつながりの上に成り立っていると、私は感じている。

優しい人々、美しい風景、人と人とのつながり。この国には私たちの心を豊かに満たすものがたくさんある。これが、私がブルンジに到着した当初の印象であり、3ヶ月間の滞在を終えた今でもそう思う。一方で、この国には多くの困難も存在し、それは胸が痛くなるものばかりであった。ブルンジの美しさと、それと対照的な、世界の大部分から注目されることなくひっそりと困難と向き合う人々の声を伝えたいと思う。

ブルンジとの出会い

 私がブルンジに行くことになったのは、HOPE’ 87というオーストリアのNGOの代表者と出会ったからだ。このNGOは、ブルンジを含めた11の国で主に若者の雇用を目的とした活動を行っている。2010年にこのNGOの代表者が私が通っていた大学で講演を行った。その際に、学生をインターンとして受け入れることが可能だという説明を聞き、その場で私は受け入れのお願いをした。その後、ブルンジ支部のみ受け入れが可能という返答がきた。

HOPE’ 87のブルンジ支部は、2009年にその活動を開始したばかりで、ルタナ(Rutana)州において小学校教育と若者の職業訓練のプロジェクトを実施している。私が滞在した時期は、学校と職業訓練施設の建設が終了する少し前だった。ブルンジ人の支部長は、学校に水道をひくために地方自治体に対して水源を探すように依頼したり、教育の機会があまり浸透していない民族トゥワ(Twa)の子どもが小学校の課程を修了するために配慮すべき点について議論をするなど、とても忙しくしていた。それに加え、シスターから孤児の支援のための資金がほしいと頼まれたり、コーヒー農園の人たちから豆の販売先の新規開拓の協力を頼まれたりと、さまざまな要望が舞い込んできており、彼ら一人一人と話す中で、国内にどんなニーズがあるかを把握する活動も行っていた。

次々に寄せられる人々のニーズに応えて活動をするために国内外からより一層の協力が必要だという判断から、日本からも協力を引き出すという長期的な目標があり、試しに日本人学生である私を受け入れたようだ。インターン内容は、私と支部長が相談しながら形作った。その結果、HOPE’ 87の活動だけでなく、Concern Worldwide(CWW)という国際NGOによる農村振興の活動や、ブジュンブラでエイズ孤児の支援をする地元の団体の活動など、複数の地域においてさまざまな分野の活動をみることができた。

小さな農耕地と食料安全保障

CWWによる、キルンド(Kirundo)州での小規模農家への農業分野での支援活動をみたときに、ブルンジが直面する課題の背景を知ることができた。CWWキルンド・オフィスのブルンジ人スタッフは、土地制約が貧困の原因の一つになっていると言う。ブルンジは、1?あたりの人口が約300人(外務省、2010)におよび人口密度が高い。紛争中に国外に逃れ、現在も国外難民キャンプで暮らす10万人(UNHCR, 2011)の難民が順に帰国していることもあり、今後も人口圧力は大きくなると言われている。このことにより、一世帯あたりの農耕地が小さくなり、換金作物はおろか、自家消費のための農作物も十分に生産できない世帯が多いそうだ。ブルンジ国民の9割以上が自給自作を基本とした生活をしているので、不十分な食料供給は、飢餓に直結すると考えられる。

私はブルンジの17の州のうち8つの州を見学する機会があった。国土の多くの部分が丘陵地帯であり、どの山々をみても斜面に沿ってバナナやキャッサバ、メイズなどの農作物が隙間なく植えられているという印象を受けた。調べてみると、1人あたりの農地面積は0.5ha以下が多い。森林面積はわずか3.7%である(FAO, 2000)ので、ブルンジの国土を最大限に近い状態で活用しているにもかかわらず、多くの世帯の農地面積が十分ではないようだ。

土地制約の問題をさらに複雑にした原因は、1993年より激化し、2006年の和平協定締結まで続いた紛争であるとCWWのスタッフは言う。紛争の混乱の中で、避難せざるをえなかった人々の土地が占領され、土地を失った人が生じた。土地を奪った人と奪われた人の間で住民紛争が頻発し、今も手榴弾を用いた争いが起こるそうだ。

CWWのキルンド・オフィスは、土地制約が大きいという条件のもとで土地生産性を向上することを目指していた。十分な耕作地を有さない人たちの組合をつくり、比較的大きな土地を有している人から彼らが共同耕作をする農地を借り、耕作の指導をする。そして、改良種の種子を農家に配布し、それにあわせて灌漑設備や肥料を投入するなどして生産性の向上を図る。さらに、不安定な食料供給によるリスク回避として、現金収入を向上させる取り組みも行うというものだ。

彼らの活動は土地を扱うため、住民間の紛争を引き起こしかねない。土地の問題は非常に複雑でセンシティブであるために、貧しい人たちに対して土地を提供する人がそのことを不利益だと感じないように肥料を提供するなどして、彼らも利益を得られる形で農業支援活動をしなければならないそうだ。土地制約を起因とする飢餓や土地抗争という問題はブルンジの一般市民の大多数にとって身近で大きな問題であるために、CWWのスタッフだけでなく、多くの人々が深刻であると認識しているという印象を受けた。しかし、その解決の糸口は模索中のようだ。

地元の団体による活動と課題

ブルンジ人によって運営されている地元の団体の活動をいくつか見学した。活動をしている人たちは、農村出身の人や紛争中に難民キャンプでの生活を経験した人など、活動の受益者となる人々の境遇に近いバックグラウンドを持つ人が多く、今でも決して裕福ではない。誰もが貧しい中でどうやって活動を運営しているのか疑問であったが、どうやら人々の助け合いの習慣の中でなんとか成り立っているようだ。農村はもちろん首都においても、助け合いはブルンジの日常の一部だ。ヒッチハイクはその基本であり、NGOのスタッフと一緒に車で地方へ行く際には、道端で見知らぬおばちゃんを拾うことが多かった。ブルンジ大学の友人はときどき刑務所にご飯を持っていく。公共奉仕の時間と定められている土曜日の朝には、住民たちは地域の清掃活動などに取り組む。この、助け合いの慣習のおかげで、たとえば、シスターたちが施設に孤児を引き取って世話をするような活動は人々からの寄付を集めやすく、比較的いい環境で活動をしているようだ。

一方で、助け合いのみでは国内すべての市民活動を支えられるわけではないようだ。中高生に対してHIV/AIDSやジェンダー、安全な水の利用方法などを劇を通して教育する大学生の団体の活動をみせてもらった。メンバーの大学生は、ブルンジ大学など国内トップの大学に通う学生たちである。この国をよくしたいという意志は強いが、同時に将来への不安や現状へのフラストレーションを抱えており、十分に社会貢献活動に専念できていないと感じた。将来のことに関しては、就職への不安が大きい。卒業前後の友人たちは「職がない」とよくもらす。就職の手段は知人からの斡旋が多いようだが、雇用機会が少ないから職がみつからないそうだ。不安と同時に彼らは頻繁に、「神が祝福すれば職が見つかるし、そうでなければ仕方がない」と言う。自分の力では変えられない現実への諦めが大きいようだ。それに加え、団体の活動に関しても諦めないといけないことが多々あり、フラストレーションが溜まる。というのも、活動資金はもちろん、電気やインターネットなどの活動する上で必須の資源を得ることが難しい。ブルンジの電力供給の半分は水力発電に頼っているが、特に乾期の電力不足は深刻であり、首都でも一日の半分が停電という日が多い。インターネット回線は非常に不安定であり、頻繁に接続できなくなる。自家発電機を持たない小さな団体は、インターネットで情報を得たり、活動を広報したりすることはおろか、通常のオフィスワークをすることも難しい。

注目を浴びない国の人々の声を可視化する

地元の団体への、国内外の援助機関や財団などからの直接的な資金・技術面での協力はとても少なく、活動の規模を拡大する契機をつかめずに足踏みする団体が多いようだった。彼らの活動は、ブルンジの人々自身が課題だと考える問題に対して、助け合いの習慣のもとで人々を協調させ、問題の解決に向けて動員する力を持つ。最低限必要となる資金やインフラなどの面で国際社会がサポートすることができたら、貧困解決に向けたブルンジ人たちの活動はいっそう加速する可能性があると感じた。


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