『アフリカNOW』115号(2020年11月30日発行)掲載
玉井 隆
たまい たかし:2010年より現在までナイジェリア全般、特に医療・公衆衛生を中心に調査・研究を行う。東洋学園大学専任講師。2009、2011年度AJF インターン。2012〜2015年の間に何度かAJFスタッフとして勤務(TICAD やポスト2015を担当)。2014年よりAJF理事。その他立命館大学生存学研究センター客員研究員、亀田医療大学非常勤講師等を経て現職。
私たちがイメージしがちな「アフリカ」像は転換を迫られているのではないか。AJFの理事でもある峯陽一さんは、著書の『2100年の世界地図:アフラシアの時代』(2019、岩波新書)で、2100年における世界人口は111億人、そのなかでアジアの人口は47億人、アフリカの人口は44億人と予測している。アジアとアフリカを足した「アフラシア」の人口は91億人という圧倒的な数になり、「成熟するアジア+成長するアフリカ」という将来像が予測される。
「私たちはアフリカに何ができるのか」という発想はどこから生じているのだろうか。「競争史観から依存史観へ」(佐藤仁、2017、『東洋文化』97)という論文のなかで著者の佐藤さんは、「様々な環境に適応して競争に勝ち抜く個人や組織こそ優れた存在であり、そうした競争の勝者が作り上げてきた歴史をとらえる見方」を「競争史観」と指摘している、この見方からすると、自由な競争に勝利した日本からアフリカへの開発・援助は「競争社会への移行をインフラ整備や教育などの社会基盤面で準備する役割」を担うことになり、そこから「私たちはアフリカに何をしてあげられるだろうか」という発想が生じるのではないか。
これに変わる見方として、佐藤さんが提起しているのは、「それが断ち切られると頼っている側の存続にかかわるほど、政治経済的な関係が深い状態」である「依存」という考え方だ。この考え方に基づけば、日本が生活に困ることなく石油資源を浪費できるのは、自由な競争に勝利して石油を十分に買えるほどお金を稼いだからではなく、ナイジェリアなどで原油の漏出によって石油まみれになって苦しんでいる人たちに「依存」しているからではないかと、問い返すことになる。
「私たちはアフリカに何ができるのか」という、日本を主体にしてアフリカを客体にする見方は崩さなくてはならない。そのためには、「アフリカ」という言葉が持つ意味を解体し、あらゆるレベルで世界が依存し合っていることを認め、「私たち」を拡張することが必要だ。そして市民社会は、(1)さまざまな豊かな出会いを生み出し、関係をつくる、(2)知るだけでなく考える場をつくる、(3)問題を問題として広く提起することを担えるのではないか。