『アフリカNOW』 No.103(2015年9月30日発行)掲載
執筆:渡辺 直子(わたなべ なおこ)
英国の環境保護NGO勤務、日本の大学院を経て、2005年から日本国際ボランティアセンター(JVC)の南アフリカ事業を担当。2013年にプロサバンナ事業の調査のためにモザンビークを訪れてから、日本と南アフリカとモザンビークを行き来している。
8月5日正午にモザンビークの首都マプトに到着するなり、モザンビーク全国農民連合(UNAC)代表のアウグスト・マフィゴ(August Mafigo)さんが当日の朝、ザンベジア州で急逝されたという悲報が飛び込んできました。マフィゴさんが亡くなられたのは、同州の農民たちと日本の政府開発援助(ODA)によるプロサバンナ事業に関する問題についての数日間に渡る話し合いを終えた矢先のことでした。体調が悪い中、無理を押しての出席で、話し合いの途中にも自宅のあるテテ州の病院に行くため、ザンベジア州の農村から20時間以上かけて往復しなくてはなりませんでした。そこまでして同事業について、UNAC 内での話し合いが必要とされる状況にあったと聞いています。
私がマフィゴさんに初めてお会いしたのは2013年2月のことです。
「私は何十年も土を耕してきた。自分の土地に何が合うのか、何を栽培し、何を食べたいのかはわれわれが一番よく知っている。だから小農のための開発と言うならば、まずわれわれに何が必要かを聞いてほしい」
プロサバンナ事業に対し、こんな当たり前のことを訴えるためにわざわざ来日された時でした。その際に開催した報告会で、自分と他の小農たちが行う農業についてマフィゴさんが語られた内容からは、自らの農業に誇りと希望をもっていることが静かな力強さをもって伝わってきました。私は当時、モザンビークのことをほとんど知らない状態でしたが、寡黙で滅多にご自身のことを語らないマフィゴさんの、農業に対する知見の深さ、将来へのビジョン、小農の権利を求めて誠実に闘う姿に強く共感し、「こういう人が代表をしている組織なら信じられるし、ぜひ一緒に活動したい」と感じたことを今でも覚えています。農民としてだけではなく、人として尊敬できる方でした。
以来、「現地で実際に何が起きているのかを見なければ」ということでこの2年の間にモザンビークを訪問すること6回。モザンビークの小農を取り巻く状況、そしてプロサバンナ事業が抱える課題が改善されているかと言えば、残念ながら悪くなっているとしか言えない現状があります。
モザンビークの農民たちから話を聞くと、彼らが周囲をよく観察し、実にさまざまなことを深く考察していることが伝わってきます。そんな彼らに必要なのは、同時代を生きる者としての連帯と、そうして信頼関係を築くなかで見えてくる課題への取り組み、彼ら自身から出てくるビジョンやアイディアの後押しだと感じます。思慮深い彼らに対して、外から一方的に支援を持ち込むことは、自分の無知と時代錯誤をさらけ出すことに他ならず、私にはとても恥ずかしいことに思えます。
2012年10月にUNAC から出された「プロサバンナ事業に対する声明」には次のように書かれています。「農民は生命や自然、地球の守護者である。小農運動としてのUNAC は、農民の基礎(土壌の尊重と保全、適切で適正な技術の使用、参加型で相互関係に基づく農村開発)に基づいた生産モデルを提案する」 まさにこれこそがマフィゴさんが目指していた自分たちの発展のあり方です。残念ながら、日本の援助は自らを「地球の守護者」と言い切る農民たちの矜持(きょうじ)に対峙できるほど胸を張れる状況にはありません。
かつて土地と人の解放を目指して植民地解放闘争を闘い抜いた闘士だったというマフィゴさん。農民の主権を奪うような開発や収奪がなければ、UNAC の代表として人の前に出ることもなく、ただひたすらに黙々と土に向き合って生きたかったのではないかと、そんな風に思えます。今はただただ、安らかにお休みくださいと願うばかりですが、そのために私たちがすべきことはまだ山積しています。
マフィゴさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。