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チャドの情勢を見る

AJFは、季刊の会報「アフリカNOW」を発行しています。AJFの活動紹介にとどまらず、アフリカに関する最新情報を伝える、日本で出会えるアフリカを紹介する内容の記事を掲載しています。

【アフリカNOW No.73(2006年発行)掲載】

チャドの情勢を見る

坂井 真紀子/SAKAI Makiko
さかい まきこ:東京生まれ。立教大学社会学部社会学科卒業。1994年から1998年にNGO緑のサヘルの現地調整員としてチャド共和国に駐在。2000年にパリ第一大学I.E.D.E.S.(社会経済開発研究所)修士課程修了(開発社会人類学専攻)。現在、同校博士課程在籍。研究テーマ「開発プロジェクトに対峙する農民側の論理と合理性:チャド南部における農民組合の比較研究」

■ はじめに

 今年4月13日、チャド共和国において、反政府勢力FUC (Front Uni pour le Changement:変化のための統一戦線)が首都ンジャメナ(Ndjamena)を襲撃するという事件が起こった。ンジャメナから東へ800km、スーダンとの国境の町アドレでは政府軍との戦闘により150名の死亡者を出し、その後FUCは、中央アフリカとの国境の町アラズ・マンゲーニュ(Haraz Manguegne)を攻撃、続いてクク(Koukou)、ゴズ・ベイダ(Goz Beida)、首都から東400kmに位置するモンゴ(Mongo)、そして最後に首都ンジャメナへと攻撃を仕掛けた。政府軍は、チャドに駐屯するフランス軍の援軍を得て、程なく反政府軍を鎮圧したと発表する。今回の軍事的衝突は270名の負傷者と300名を越える死者を出したと言われるが、正確な被害者数はわかっていない。

 その後、5月3日に予定されていた大統領選挙は、混乱なく行なわれ、強引な憲法改正によって3期目の出馬を果たした現職イドリス・デビー(Idriss Deby)大統領が再選された。現在チャドは、平穏な状態を取り戻しているようだが、度重なる不公正な大統領選挙に対する国民の不満が堆積していることは明らかだ。内在する様々な矛盾はまったく解決されておらず、火種はくすぶっている。こうした状況の裏には、隣国スーダンとの関係、現政権の指導力の低下、石油開発をめぐる国際関係など、内外のさまざまな要因が複雑に絡み合っている。

 本稿ではできるだけ簡潔に、現在チャドが置かれている状況を整理してみようと思う。執筆に当たり、主にラジオ・フランス・インターナショナル(RFI)、ジューンヌ・アフリック(Jeune Afrique)、ル・モンド(Le Monde)などのフランスメディアの情報を参考にした。

■ チャド共和国の概観

 チャド共和国は、アフリカ中央部に位置する内陸国である。アフリカの中でもチャドは日本にとって身近な国とは言いがたいが、近年になって南部の石油開発がはじまり産油国の仲間入りを果たしたこと、隣国スーダンのダールフール(Darfur)難民問題などで注目されるようになった。北はリビア、東はスーダン、南は中央アフリカ、西はカメルーン、ナイジェリア、ニジェールと国境を接している。フランスの植民地から1960年に独立したが、独立政権は安定せず長い内戦状態が続いた。1990年にスーダンの支援を受けた北部の民族ザカワ(Zaghawa)出身のイドリス・デビーが、軍事クーデターでイッセン・アブレ(Hissene Habre)政権を転覆させ、現政権を樹立する。チャドの長い内戦は単純な南北の民族対立であるとの誤解が一部にあるが、独立時のトンバルバイ(Francois Ngarta Tombalbaye)大統領が南部出身であったのを除き、権力は北部の民族同士で争われている。だが北部のイスラム民族と南部のキリスト教徒およびアニミストとの間にある対立感情は、歴史的に深く刻まれており、複雑な政治背景の大きな一因となっている。

■ 強引な大統領選挙

 今回の武装蜂起は、5月3日に予定されていた大統領選挙の阻止を目指していた。1993年に制定されたチャドの憲法では、大統領の任期は6年で2期を上限とすると定めている。ところがデビー大統領は、2003年11月に3期目の出馬を宣言し、憲法改正の意思表明を行なった。これをきっかけにして、様々な反政府勢力の動きが一気に加速し、大小のクーデター未遂事件が頻発するようになった。

 また一方で、南部出身の野党代議士ンガレジ・ヨロンガール (Ngarledji Yorongar) を中心とする非武装の野党連合CPDC (Coordination des partis politiques pour la defense de la constitution) は、憲法を守り民主主義に反する不公正な選挙を回避するため、政府との対話を重ねてきた。しかしながら、2005年にこの対話プロセスは決裂する。CPDCのメンバーは、憲法改正のための国民投票のボイコットを全国に呼びかけるが、デビー大統領は中立派の野党勢力を懐柔し、憲法改正を成立させてしまう。CPDCは、引き続き大統領選のボイコット運動を展開する。ヨロンガールをはじめとする野党連合のリーダーたちは出馬せず、大統領選の対立候補は、比較的デビー大統領に近い4名が出馬するにとどまった。選挙の争点はまったく見えず、投票率も低いなか、デビー大統領が再選される結果となった。

 現政権に対する不満の声は高まっており、武力によって政権の転覆を図るもの、また他方、対話により平和裏に政治を変革しようとするものなどが、活発に動き出している。しかしながら、それぞれの運動体は各自の利害関係の枠組みを超えることができず、チャド全国を巻き込むような大きな力に統一されることは難しいと思われる。チャドには具体的にどのような反政府勢力の動きがあるのであろうか。整理してみよう。

■ 乱立する反政府勢力

 1960年の独立以来、歴代のチャド政府は、さまざまな反政府勢力の存在に常に脅かされてきた。現大統領イドリス・デビーも、1990年に軍事クーデターで政権を奪取するまでは、そうした反政府勢力の一つであった。だが、スーダン政府の支援を受けてクーデターを成功させたのちは、逆に反政府分子の揺さぶりに悩まされることになる。

 1990年代には、元国防大臣ユーセフ・トゴイミの率いるMDJT (Mouvement pour la Democratie et la Justice au Tchad : チャドの民主と正義のための運動)が猛威を振るった。MDJTは、北部の少数民族トゥブ(Toubou)の政府軍離反者たちによって結成された。サハラ砂漠の山岳地帯チベスティ(Tibesti)に拠点を持ち、リビアから多大な支援を受けていたが、2002年にリーダーのトゴイミが地雷を踏んで死亡したのち、求心力を失い失速する。その裏には、リビアが政策を転換し、チャド政府寄りに傾いたという事情がある。

 チャド南部にも、さまざまな反政府勢力が潜伏している。1990年のクーデターの際に前政権の兵士たちが中央アフリカに逃げ込み、中央アフリカ政府の支援を受け、力を蓄えてきた。中央アフリカの前大統領アンジュ-フェリックス・パタセ(Ange-Felix Patasse)は、チャドの反政府勢力のリーダー、アブドライ・ミスキンを自らの特別部隊へ招き、メンバーの軍事訓練などの機会を提供した。こうした隣国の行為に対しデビー大統領は、反政府勢力のリーダーを軒並み暗殺するとともに、逆に中央アフリカの反政府勢力を軍事的に支援する。その結果、中央アフリカでは2001年にフランソワ・ボジゼ(Francois Bozize)によるクーデターが成功し、チャド政権寄りの政府が誕生する。

 反政府勢力を隣国政府が公然と軍事支援し、クーデターを助長するという構図は、アフリカのいたるところで見られるが、今回、軍事衝突の舞台となったスーダン国境においても同様の相関関係が存在する。この地域の反政府勢力は、主に二つの潮流に分けることができる。一つは、SCUD (Le Socle pour le changement, l’Unite nationale et la democratie :変革、国家統一、民主主義の礎)。もう一つは、今回軍事作戦を仕掛けたFUCである。

 SCUDは、デビー大統領と同じ民族ザカワが主要メンバーを占める。1990年にデビー大統領が政権を取った当時は一枚岩であったザカワだが、近年のスーダンのダールフール地方における内乱をきっかけに、大きな亀裂が入ってしまった。もともとザカワは、チャドとスーダンの両国にまたがって居住している。スーダンの反政府勢力MJE ( Mouvement pour la Justice et l’ egalite:正義と平和のための運動) やALS (L’Armee de liberation du Soudan:スーダン解放軍)には、同じザカワのメンバーが多数参加しており、デビー政権とも強い絆で結ばれていた。しかし、ダールフール内乱で多くの難民を受け入れることとなったチャド政府は、自らのクランの利害と隣国との外交関係の間で板ばさみとなる。デビー大統領は表立った反政府勢力の支援を停止し、アフリカ連合(AU)の加盟国として和平交渉の仲介役を引き受ける。この大統領の態度を、ザカワの多くは仲間に対する裏切りとみなし、デビー大統領に反旗を翻す者が相次いだ。こうした経緯から、デビーの信頼する軍事参謀であった双子の甥、トム・エルディミ(Tom Erdimi) とチマン・エルディミ(Timane Erdimi)はSCUDを結成し、デビー政権を揺さぶりにかかっている。

 もう一つの流れを担うFUC は、1990年代に結成されたANR(l’Alliance nationale de la resistance:レジスタンス国民連合)に起源を持つ。アベシェ(Abeche)地方の民族であるタマ(Tama)出身の軍人マハマット・ガルファは、チャド政府軍の幕僚長まで務めたが、1994年に離反しANRを設立した。この組織はスーダンのダールフール地方に拠点を置き、スーダン政府の軍事支援のもと、チャド東部を中心に軍事作戦を展開し、チャド政府を揺さぶり続けていた。だが、2003年にガルファはチャド政府との和平協定を受け入れ、ANRは軍事活動を停止する。この取り決めを不服とするメンバーの一部が、和平を拒否して新しい運動体を結成する。その中核となったのが、同じタマ出身のマハマット・ヌール・アブデルケリム(Mahamat Nour Abdelkerim) 中尉である。彼が2004年10月に結成したRDL (Rassemblement pour la democratie et la liberte:民主と自由のための集結)は、翌年12月に東部の町アベシェにて武装蜂起するが、政府軍に鎮圧される。この戦いでRDLは、多大な損失を被った。しかしわずか3ヵ月後の2006年3月末に、RDLは兵士と武器を補充し、スーダンとの国境近くムンデイナ(Moundina)に攻撃を仕掛ける。政府軍は辛くも制圧するが、デビー大統領の甥であった陸軍司令官のアバッカル・ユースフ将軍など多くの指導者を失い、政府軍にとっては計り知れない打撃となった。

 つづいて今年4月に国内各地で勃発した軍事衝突は、RDLを母体とするFUCによって引き起こされた。FUCは、RDLの創立者マハマット・ヌール・アブデルケリムが2005年12月に結成した。メンバーのほぼ全員がRDLと同様にタマ出身である。RDLおよびFUCの急速な体力回復を支えているのは、スーダン政府であることは間違いないとの見方が強い。スーダンから流入する武器は、石油の売買を通して関係の深い中国の製品である。チャド政府は、政治不安定化を図る隣国スーダンに対し強い非難声明を発表し、一方的に国交を断絶。一時はチャド国内に受け入れている200万人に及ぶスーダン難民を追放するとまで発言が及んだ。

 SCUDとFUCは、デビー政権打倒という共通の目的から一度は統合を試みたものの、SCUDがスーダンの反政府軍とつながり、FUCがスーダン政府の支援を受けているという矛盾した関係であることから、交渉は決裂した。

■ 石油開発をめぐる問題

 デビー政権は、いまや周囲を複数の敵に囲まれ、もぐらたたきのように絶えず蜂起する敵を押さえ込み続けなければ、政権を維持することが困難な状況に追い込まれている。そのため、石油開発による収入を武器購入にあてることで、この苦しい状況を打開しようと試みた。チャドの石油開発は、2000年に隣国カメルーンを経由しギニア湾にいたる長いパイプラインが完成し、2002年7月より石油採掘が始まった。世界銀行の融資を得るために、チャド政府は石油収入の10%を、チャド国内の貧困撲滅と次世代の生活向上の目的に利用するという法律制定の条件を飲み、ようやく開発が始まった経緯がある。ところがチャド政府は、次世代への開発資金確保を約した法律を一方的に改正し、石油収入の使い道はすべて国会決議で決められるようにした。デビー大統領は「法治国家が、自国の収入の使い道を他人からとやかく言われる筋合いはない。国内の安定化を図るための軍事費に石油収入を当てることは、長期的な国の発展には不可欠の決断だ」と発言している。この暴挙ともいえる切羽詰った行為に対して、融資元の世界銀行はチャドの石油地域におけるあらゆる開発プロジェクトを中断、さらにロンドンにあるチャド政府の銀行口座(残高約1億2,400万ドル)の差し止めを行なった。チャド政府はこの措置を不服として、一日約20万バレルの石油生産と輸出を一切停止することを宣言。アメリカ合州国は、自国の石油企業のエクソンとシェヴロンがコンソーシアムに参加していることから、チャドの石油生産のストップは大きな損失になる。そこでアメリカ政府が、チャドと世界銀行の仲介役を買って出たが、交渉は難航している。

■ 真の民主主義の意味

 独立以来、チャドは軍事クーデターによる政権交代を繰り返し、民主主義とは程遠い道のりを歩いてきた。暴力による権力の奪取は、暴力の再生産でしかないことを歴史が証明している。それにもかかわらず、この悪循環から抜け出せない現状をどう説明すればいいのだろう。多くの武装した反政府勢力が、民主主義、公正、正義などを名前に掲げている。暴力による民主主義などありえないという根本的な矛盾に、当事者たちはまったく気が付いていない。武力によって政権をとったとして、その後の国づくりのヴィジョンを具体的に持ち合わせているグループはあるのだろうか。歴史のなかで真の民主主義を経験することなく、先進国から援助を受け取る引き換えに「民主主義」を唱えても、実際には民主主義とは何なのかという問いを自ら深めることはできない。

 上部左の写真は、2004年に筆者が現地調査した際に写した一枚で、今回の軍事衝突とはまったく関係はない。だがこの一コマは、まさにチャドに「権力」のイメージを象徴しているようで興味深い。あるNGOが南部の都市ムンドゥ(Mandoul)の市役所前で、ソーラークッカーのデモンストレーションを行なった際、大変多くの参加者が集まった。警察官が人ごみを整理しているのであるが、その手には長い木の枝が鞭代わりに握られている。何もしていない一般市民を容赦なく打ち続ける姿にショックを受けて思わず写したのがこの写真だ。歴代の権力者は、このように国民より上に立ち、暴力で言うことを聞かせようとしてきたのである。権力者にとっても、国民にとっても「権力」とは鞭であり、両者は打つ者と打たれる者の関係にあった。

 この原型はフランス植民地政府と「原住民」との関係に見出される。チャドの南部では、植民地政府が現金収入を確保するため、地域住民に対して綿花の強制栽培を義務付けた。司令官がボーイ・コットンと呼ばれる武装した普及員とともに村を回り、働きの悪い農民に対して鞭による制裁を加えていた。チャドの人々にとって、「権力」とは今でもこうしたイメージなのである。この状態を脱却して、統治する側とされる側が、対話によって一緒に国を作っていくというヴィジョンを共有できない限り、今後も武装蜂起のパターンは繰り返されるだろう。国の統治者は、鞭によって国民を黙らせるのではなく、対話を重ねて国民の総意をまとめあげ国を作っていかなければいけない。だが、イメージの貧困に陥っている当事者が独力で対話の土壌を用意することは不可能に近い。

 この点で、国際社会の役割はおおきい。動き方によってプラス・マイナス両面で大きな影響力があることを自覚しなければならない。チャドの一連の軍事衝突は、石油開発の進展を抜きにして語ることはできない。現在のチャド政府の体質は、軍事独裁政権をそのまま引きずっている。昨年10月に発表されたトランスパランシー・インターナショナルの世界汚職度ランキングでチャドは、調査対象158カ国中最も汚職度の高い国としてランク付けされた(1)。石油プロジェクトが走り出した当時、環境に対する悪影響やチャド政府の管理体制など、さまざまな点から懸念の声があがったが、最終的に世界銀行が融資に踏み切りプロジェクトが実現した。世界銀行は何の根拠を持って、チャド政府が石油収入を公正に管理できるとみなしたのだろうか?世界銀行は、貧困を抱える当事国チャドの状態ではなく、むしろエクソンやシェヴロンといったアメリカ石油企業の圧力によって、融資を急いだとの印象がぬぐなえない。その結果、チャド政府は莫大な収入を武器購入にあてているのだ。

 世界銀行にかぎらず国際援助が途上国に落とす金額は莫大であり、毒にも薬にもなる。貧困撲滅というスローガンに惑わされずに、アクションの中身を国際社会がきちんと吟味していく必要がある。チャド国内において、武力によらない政治参加を目指す野党連合CPDCや人権NGOなどを側面からサポートすることで、少なくとも対話の芽が摘まれないようにしていくことができるのではないだろうか。

 ここまで複雑にからみ合ってしまった近隣諸国との関係、それぞれのグループの利害、先進国の思惑などを考えると、事態がそう簡単に解決に向かうとは思えない。だが、アフリカの多くの国が陥ったような、最悪のシナリオだけは何としても避けてほしい。

【注】
(1) Transparency International :ベルリンに本部を置く国際NGO。
http://www.transparency.org/

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