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連続セミナー:アフリカの自然環境保全と日本人の伝統的自然観
「第三回 日本の伝統的自然観とアフリカの自然のあり方」記録

4月20日、「連続セミナー:アフリカの自然環境保全と日本人の伝統的自然観」第3回では、日本での象牙利用の歴史と現在の課題について報告と提起を受けました。

以下、その時の質疑応答を中心にした記録です。

日本の伝統的自然観とアフリカの自然のあり方

西原さん:今回のセミナーですが、日本での象牙の輸入の歴史からお話します。大々的に始まったのはだいたい1960年代からです。最初は中国からアジアゾウを輸入していました。これはまず地理的理由、そしてアジアゾウの象牙の質が一番いいからです。
しかしなんの配慮もなくむやみやたらに狩猟を行った為に、アジアゾウの数が激減してしまいました。その代替品として、アフリカゾウの日本への輸入が始まりました。象牙には2種類があって、ハード材とソフト材があります。ハード材のほうが質がよく、アジアゾウの象牙に近いといわれていて、日本では圧倒的にハード材の輸入のほうが盛んでした。結局またアフリカゾウに関しても、何の規制もなく象牙取引が起こったため、アフリカゾウの数がかなり減少してしまった。そして1989年、ワシントン条約が制定され、象牙の輸出入が一斉禁止されたわけです。こうなると日本の象牙を使う業者は今までの限られた在庫のみで事業を行わないといけない。日本の主な象牙を使うのは印章製造と三味線の撥の製造業者です。現状についてお話させていただきますと、印章業者のほうは、在庫の減少に対して、しぶしぶではありますがソフト材への転換が行われています。しかし三味線の撥に関していえば、やはり質のいいハード材への需要が高く、なかなか譲る気配がないようです。
こちらをご覧ください。これは日本が商業的に頻繁に使われている野生生物の一部です。
まず、クジラ肉。大々的に商業化が進んだのは第二次世界大戦が終わってからです。アメリカが安いからということでクジラ漁を推奨したのです。僕も子供の頃は一番安く味もいいということで、よく食べていたのを覚えています。
こちらはタイマイというウミガメのべっ甲です。これはアクセサリーに使われています。最近は在庫の不足で随分下火になっていますが、まだ長崎県のほうでは商業的に存在しています。
これらほとんどが船来品であり、その歴史は長いとは考えられません。ではこれらを伝統文化と呼べるのでしょうか?これは"伝統文化"をどう捉えるか、どう定義するかという問題になりますが、私の個人的な意見ですが、"伝統文化"というのは、上層階級で使われ始めた時期ではなく、一般大衆まで広まった時期から数えるものだと考えています。そう捉えると、象牙の庶民化は明治以降、だから約150年の歴史があります。鯨肉に関していえば、第二次世界大戦後だから約60年、べっ甲に関しては江戸時代からですから、約300年の歴史があります。べっ甲に関していえば、300年という月日は伝統文化に値するかもしれません。しかし象牙に関していえば、西暦から数えても日本の約二千年とある歴史の中の150年を日本の"伝統"と捉えるには厳しいのではないでしょうか。

司会:それでは質問に入りたいと思います。質問あるかたいらっしゃいますか?

質問:クジラの食肉化ではありませんが、クジラを資源として商業的に利用することに関しては、伝統といえずとも、もっと古い歴史があるのではないでしょうか?地域的な偏在もあると思うのですが。

西原さん:その質問にお答えするにはまず沿岸捕鯨と遠洋捕鯨の違いに着目する必要があると思います。沿岸捕鯨は地域が限定しますが確かに日本国内で長い歴史があります。しかしながら沿岸捕鯨で使われている技術は未だ極めて初歩的であり、第二次世界大戦後に普及したクジラ肉の産業化で使われたものとは全く違います。
伝統ということに関しても同じことが言えると思います。伝統というものについて考える際に、伝統の一般化の規模が日本規模か、地域限定のものかというのも考慮する必要がある。そして今回は日本全体に関連する伝統に焦点を置いているので、そのことを踏まえてこの講習を聞いていただけたらと思います。

質問:伝統について考えたとき、それは素材ではなく、その文化自体を指すのではないのか?三味線の撥に何を使っているか、ではなく使用されている素材を育てること、それも伝統といわれるべきではないのか?

西原さん:この質問は象牙の利用に限定して答えさせていただきます。まず象牙の印章について。印章そのものは山梨発祥で、当初は山梨県で生産される水晶が使われていました。そこに彫り師が終結し、現在に至るまで有名な印章業者は拠点を山梨県に置いています。印章を彫る技術、この彫り技術そのものは歴史が長く、伝統といえるでしょう。
三味線に関していえば、三味線という楽器そのものは安土桃山時代からあります。500年以上前に発明され、舞台で使われるようになったのは歌舞伎の前段階の文楽から。そして後に江戸時代に歌舞伎のバックミュージックとして使われるようになりました。当時は木材が撥に使われていましたが、明治時代以降に象牙のほうが音色がいいということがわかり、象牙への転換が進みました。
伝統の定義についてですが、演奏の技術やパフォーマンス、そういうものの歴史を伝統として捉えられるべきではないでしょうか?それと平行して素材の歴史というものがある。これはわけて考えたほうがいいと思います。象牙の撥、象牙製の印章、これらのすごく限定された伝統文化の一部自体をそれだけで伝統とは呼び難いと思います。

質問:そういう意味では"文化"とは消費と捉えても間違いではない?大衆化された、より多くの人に消費される機会が生まれたことを伝統と考えるべきなのでしょうか?

西原さん:ある意味そうだと思います。多くの人に使われ好まれるようになったという点では、伝統を大衆化と捉えていただいて問題ないです。

質問:現在使用されている全ての撥が象牙でできているのか?他の素材のものは全くないのか?

西原さん:基本的に大半が象牙でできています。初心者やアマチュアの方は木材やプラスチックなどの撥を使っているようですが、プロの方は練習にプラスチックを使うことがあっても、実際の演奏のときは必ず全形の象牙のものを使っています。アマチュアでも演奏の際はやはり象牙を使う人が多いです。
最近、楽器屋に行った時につぎはぎだらけの象牙の撥が売られているのを見ました。全形の象牙の撥というのは今なかなか見つからないからです。手に入る可能な部分(象牙の端材)をあわせ、柄と先端をくっつけて売られている象牙の撥は安く売られています。そんなつぎはぎでも需要があるわけで、そこから象牙の撥への演奏者のこだわりが見て取れますよね。プロの方はやはりきちんとした全形のものでないと使わないようですが。

質問:撥はよい音色を出すためにある程度重さがないといけないわけですよね?

西原さん:そうですね。

質問:音色の追求という点では同じような材質でその音を再現するといった試みはないのか?

西原さん:そういう試みもあっていいと思います。
べっ甲の話になりますが、歌舞伎のかつらについている髪飾りは前までべっ甲で作られていました。それもかなり長い歴史があります。しかしながらワシントン条約によってべっ甲の海外輸出入が禁止された。これに対応してプロの髪飾りを作る職人もべっ甲の代用品への切り替えが行われ、現在この代替品が主要に使われています。
こういう現象は三味線の撥において起こってもおかしくないわけなのですが、なんといっても三味線は外部者にとってすごく閉ざされた世界なのです。歌舞伎に精通したフリージャーナリストの方に現在調査に協力していただいているのですが、この三味線の世界というのはなかなか立ち入りにくいようになっているようです。例えば象牙の需要を調べるために三味線演奏者の数を調べようとします。しかしひとつひとつの○○会に所属人数を問い合わせても人数を明かさないらしいです。彼らの立場からすると、それで予算が公開され、他の会にばれてしまうのが怖いというのが理由だそうです。そうすると三味線界での力関係、規模だとか財政力が互いにわかってしまうのを恐れているからです。彼らからすれば、人数を一般公開しないのは外部からの影響を受けずにいいものを維持していくための試みといえるのかもしれません。結果として我々からすると、とても立ち入りにくい世界になってしまっています。

質問:日本で象牙だとか印章屋に関してですが、動物の骨や皮を扱う人と部落問題の関係はあるのか?江戸では動物の体の一部はエタ、ヒニンしか扱えなかったのでは?

西原さん:僕の意見では、万人ではないにしても大方の日本人は良心的な自然観、動物や自然に対して畏敬の念をもっているのではないでしょうか?
例えば象牙に関しては年に一回日本国内で象牙供養というものがあります。象牙組合の方が主催し、死んだゾウからの象牙を使って申し訳ないという気持ちをこめてお寺で供養する。
他の例でいえば、日本語の、いただきます、に該当する言葉は他の言語にありません。日本人はその食べ物そのもの、それを恵んでくれた大地や自然に感謝の気持ちを示して、いただきますというしきたりです。欧米人の中で食前にお祈りをする人はいますが、それは食べ物自体に感謝しているわけではなく、食べ物を下さる神に対してお祈りをしているわけです。そのような点からも日本人の自然への畏敬の念、また敵対というより感謝の対象として捉えていることが窺えるのではないでしょうか。

司会:僕の前の職場だった部落解放同盟と関わりある話なので少し紹介させていただきますが、東京都連の支部員の中にも剥製産業をしている方いらっしゃいます。それから動物の骨とか動物由来の脂、油脂産業、皮革産業等は被差別部落との関係は深いです。江戸時代の被差別部落といわれる地域で特に大きかった産業が2つあります。東京に地域限定されますが、ひとつは菜種油の灯心を江戸城に入れる、灯心の専売権。もうひとつは、武具を作るための皮細工。鉄を皮でつなぎ合わせて鎧を作っていたのです。これはどこの地域でも行われていました。
関東の被差別部落に関しては、さっきの素材の話に関わってきます。北関東では養蚕が盛んでしたので、それを織物にするために糸を作る必要があるわけです。その機織に使うための竹おさを作る専売権を当時被差別部落といわれた地域で持っていました。そういう点でいうと被差別部落の職業というのは技術の歴史と繋がっています。詳しいことは解放同盟のまとめた資料の中にありますので、見ていただけたらとおもいます。

質問:ワシントン条約で象牙をとることも禁止されたのですか?

西原さん:いえ、ワシントン条約はゾウを殺すことを規制する条約ではなく、野生動物の国際商取引を規制するための条約です。ゾウの殺傷に関しては各国の国内法によって定められています。

質問:では、象牙を採ることが違法ではない国もあるわけですね?

西原さん:そうですね。しかしながらほとんどの国でゾウの狩猟は違法であるとされています。ただ実際のところIUCNのレッドリストのデータを参考に検討すると、それぞれの国の外交的な政策という意味でも、狩猟を国内法で違法にする必要性があります。こんなに少ないのにゾウの狩猟を禁止しない国だといわれないよう、自国の面子を守る、そういう点で対外的政策としての側面もあるわけです。
たとえばコンゴ共和国ではゾウを殺すことを一切禁止しているわけではない。もちろん理由なく狩猟することは禁止していますが、国内省庁から許可証を取れれば、合法的になる場合はあります。

西原さん:これ以上質問がないようでしたら先に進みます。今までの僕の口調からすると、象牙を使ったり、鯨肉を食べたり、日本人は悪い人々だと思われるかもしれません。しかしそうではないと僕は思うのです。今まで見聞きしたことを合わせて総合的に考えると、日本人というのは自然を尊重する気持ちが比較的強い、自然と敵対するというより、自然や生物を身近な存在として捉える民族だと思うのです。例えば国内に限っていえば、今までこの長い歴史の中で自然物を過剰に使い、絶滅まで追いやったということはないはずです。
具体的に日本語でいうと風光明媚ですね。自然を扱うとき、人間と敵対するものではなく愛でる対象として捉えている。他国でもあるとは思いますが、例えば、日本人は四季を楽しみ愛でる感性が非常に強い。それから日本庭園に関していえば自然の模倣を試み、日本絵画なら自然を敵対対象とは捉えられてはいない。他の民話、和歌などの文学的芸術を例にとっても、自然は対峙する相手ではなく、身近な存在、愛でるべき存在として描写されていることが多い。これは私たち日本人が誰かに教わったわけではなく、このような自然界との調和、自然保護、共存といった感性が潜在的にあるのではないでしょうか。
それでは象牙、鯨、べっこうなどに関してはどうして絶滅の危機に追いやるほど使いすぎてしまったのか?
その答えの前に最近の象牙利用について考えてみたいと思います。
印章の象牙利用は減少傾向にあります。原因として後継者の不足、在庫の不足、それに伴う原材料の高額化、若い世代の関心の低下、代価品の消費増加などが挙げられます。
それに対し職人側もむやみに象牙にこだわらず、今は彫る技術に誇りを持って印章製作を継続する方向へと転換している。特に若い世代に関していうと、彼らは印章に関して全く関心がない。この傾向が野生動物保護の観点で視たときにプラスに働いているか、ポジティブに捉えるべきことかは謎ですが、いずれにしても象牙の印章への使用は減少傾向にあるわけです。
ところが三味線の撥に関しては、今も象牙の、特にハード材の需要が根強く存在しています。さっきも述べましたが、安土桃山時代に三味線は日本に伝来し、そして日本独自の楽器へと変化し、大衆化したわけです。伝来からあまり経つことなく、文楽、後継する歌舞伎のバックグランドミュージックとして使われるようになりました。そして歌舞伎が大衆化する中で、三味線も自然ななりゆきで大衆化していきました。撥に関していえば、前述の通り当初は象牙ではなく、プラスチックや木材であったわけです。しかし明治以降、その音色のよさ故に象牙のハード材が一般的に使われるようになったということが文献によると記載されています。
ですから、サマライズすると、印章の象牙利用は減少傾向にあるが、三味線の撥に関しては未だ象牙のハード材の使用が根強い。
先ほど説明した通り、日本人は日本国内ではよい自然観、節度というか、善良的な野生生物に対する感性というものを持っている。しかし一方でここ何十年かの歴史の中で、日本人は鯨や象牙などの動物の商業的利用を目的に野生動物あるいはその一部を大量に利用し、結果的にクジラやゾウの数に多大な影響を与えてしまいました。
では何がこのような矛盾が生み出されてしまったのか。まず日本国内での情報不足ということが挙げられると思います。情報の国外の状況に関して日本国内で情報が出回っておらず、状況把握ができないのが実情です。象牙に関していえば、象牙の使用がマルミミゾウの数にどんな影響を与えたのか、という情報が国内で行き届いていません。鯨肉に関しても同様に、鯨肉を食べることが国内では日常化されていたが、それが一方で南氷洋である種の鯨が絶滅寸前の危機に追いやっているという事実が存在することを日本ではあまり知らされていませんでした。
そしてそういう流れてこない情報というものに対して、日本人の関心が薄いのも事実です。日本人は国内で出回っている情報、管理の行き届いた情報に関してはよいモラルをもっているものの、情報の少ない国外の事に関しての関心が薄いと感じます。
情報は確かに不十分であります。そして日本人のそういう傾向を考慮すると、情報を共有できるようなシステム、特に日本の国外で起こっている自然界の出来事、野生生物の情報を日本国内で共有できるようなシステムをつくる必要があると思います。国外の野生生物の情報の欠如、それはアフリカの中央部の亜熱帯雨林、マルミミゾウに関していえば、今日本でほとんど情報がない。
自然保護、コンザベーション(Conservation)というのは欧米の考え方ではあるが、日本人はそういう感性を本来身につけています。ただ残念なことに、感性はあるがそれをしっかりとした概念として普及する機関もメカニズムもありません。
また、西洋から押し付けられるそういう概念に対する反発心も一部の日本人の中で存在するように感じます。西洋的概念に憧れる一方で、欧米から押し付けられるある概念に反発する気持ちも根強く存在しています。特に鯨肉に関していえば、そういう欧米に対する反抗的な感情がかなり影響しているのではないでしょうか。
そして結局そのような反発心が先立ってしまうのも、整然としたとした概念の理解がされていないからではないでしょうか。そしてそのような概念の無理解の根本的原因は、情報不足が影響しているのではないでしょうか。
今お話ししたような情報システムを形成できずにいる点で、日本のメディアはまだまだ改善する必要があります。何度か私も日本のテレビ番組からインタビューを受けたことがありますが、感じるのは情報がどこかで断ち切られている、ということです。一番真面目なテレビ局だと考えられているNHKですら、プロデューサーによってかなり内容の濃度が変わってきます。学術的で真面目なコメントはほとんどカットしますし、全体的な傾向としてエンターテイメント、お笑い的要素への比重がかなり強いように感じます。
しかしながら一方で日本でも環境教育に関する関心は年々高まってきてもいます。現在大学で環境に関する学部は増加傾向にはあります。しかしながら、実際に環境のことを生態学に基づいて、あるいは地球規模まで広げて生物対応保全とはどういうことかを教える学部は少ないのではないかと思います。同様に現在の公立の小中学校理科で見ても、ほとんど生態系について学ばない。以前は大雑把にだが生態系についての授業があったが、現在はゆとり教育の一部として理科の授業時間が減り、比重は生態系より遺伝子などのミクロな分野に移ってしまったと聞いています。教育機関としていうと、日本の動物園に関しても同じく発展途上です。欧米と比べるとまだまだ改善が必要であると思われます。
そしてまたNGO,NPOに関しても似たような反省点が挙げられると考えます。つまり、野生生物、自然保護に関わる日本のNGO,NPOはたくさん存在するが、マクロな視点で行動している団体は数少ない。こういう団体が環境保護に関するシステム作りの舵取りをすべきだと思いますが、まだそういう流れというものができていません。
ではここからどうするべきなのでしょうか。
私は解決策として教育保全教育システムのようなものを日本で構築することを考えています。私は情報発信できても、教鞭をとることを専門の職業とはしていません。やはり自然環境に関する教育ということに関しては、専門の教育者が教育者の視点から分析し、教えるべきだと思います。しかし現状としては教育者まで情報がしっかり行き届いていないのが現実です。
ですから私達のようなフィールドの情報を持った人間は教育者が十分な情報を得られるような機会を作り、それを提供する必要があります。現場に教育者を派遣し、実際の派遣先の状況を元に教育資料を作成してもらう。そして作成された資料を教育機関、学校や動物園、または企業のCSR教育の参考資料として、配布、普及していく。対象が学校の生徒からCSRの一環として使えるようになれば、一般大衆まで広めることができると考えられます。
もうひとつ考えるべきは日本人の若者、次世代の情報発信者に関してです。
私以外にアフリカ中央部にいて長期にわたって自然環境保全に関わっている日本人は現在一人もいません。今後自分が中央アフリカでの仕事を辞めたときに、そこに後継する日本人がいない場合どうなってしまうのかと考えることがあります。その結果日本語でアフリカのことを日本に伝えるメッセンジャーがいなくなってしまうということです。日本人にアフリカをより身近に感じてもらうためには、欧米メディアを通してではなく日本人メッセンジャーによって直接情報を発信することが大切なのではないでしょうか。
ではそのフィールドでの日本人への情報発信の役割を担う可能性のあるのは何か?
今後の重要なキーワードとしてエコツーリズムが挙げられます。
そうは言っても、エコツーリズム自体は、根本的に普通のツーリズムとなんら変わりはないと私は考えています。エコツーリズムで入るお金も実際に先住民の生活の役に立ってはいないし、むしろ先住民の文化を破壊しているというマイナス側面も存在する。結果的には、自分の利己的な欲求を満たすためにツアーに参加する点において一般的なツアーとの違いはないとか考える次第です。
しかし、なぜエコツーリズムに私が焦点を当てるかというと、エコツーリズムに参加するツアーリストはメッセンジャーとしての役割を担うことができると考えるからです。実際に現地で何が起こっているのかを彼らは実際に見ることができますし、将来的な展望として知人や友人に広められる可能性があるからです。
三味線に関して言えば、歌舞伎の演者の後方にはほぼ常に象牙を使った三味線の演奏者がいます。歌舞伎そのものに関していえば400−500年の歴史と文化をもっています。世界文化遺産として世界的にも認められた日本の伝統芸能であり、歌舞伎自体を維持すること自体は全く倫理的に問題ないし、もちろん私はそれ自体を悪とは考えていません。しかし、その中で三味線という楽器が使用され、象牙を使った撥を必要とし、結果として中央アフリカに生存するマルミミゾウの頭数の減少に関わっている可能性すらあります。この事実を我々日本人は共有する必要があると思います。そして伝統芸能を守るといったとき、生態系にどんな影響を与えているのかに関して、グローバルな生物対応保全という視点に立って考える必要がある。文化の維持だとか根絶だとか、そういう極端な議論にする必要はありません。ただ伝統文化維持と生物多様性保全との間にはお互い異なるコンテキストが存在するため、それを調和するべくしっかり焦点を当てる必要がある。
特にそのような情報発信をすることに関して、日本人が日本人に向けて行うことが特に必要とされているのではないでしょうか。欧米人に押し付けられるのではなく、我々日本人の中で情報をやりとりすることに意味があるのではないかと私は思います。
ちょっと話がずれますが、どうして私がこの仕事をするようになったのかということに関してお話させていただこうと思います。
このようなアフリカ中央部の環境保護、先住民の生活保護などに関わり始めてから今年で22年目になります。始めはコンゴ共和国に入ってニシローランドゴリラの研究をやっていました。もともと私の専攻は人類学で、大学院では当初ピグミー(先住民)に関する人類学的な研究ではなく、骨の研究をやっていました。具体的には太古の人類の骨を発掘し、当時の人類の生活を明らかにするというわけです。ただその骨の研究も面白かったことは面白かったのですが、発掘後は研究室にこもっての屋内での作業が多く、私のやりたいことと完全には一致しなかったのです。縁あって、たまたま類人猿の調査隊のメンバーに枠があって、それに参加したのがアフリカ中央部に関わるようになったきっかけです。もともとピグミーに興味はありましたが、自然保護だとか生態保全という分野に対しての関心はありませんでした。自分の研究さえすればいいというスタンスだったので、研究に際してピグミーに渡したお金が彼らの生活にどう影響しているのかなんて全く考えていませんでした。僕は博士号を取得してからも数年、大学の研修員としてアフリカにいた時期に今属してるプロジェクト、WCSに出会いました。そして研修員の期限が切れ、日本に戻り就職するか決めなければいけない時期に運よくWCSに現地採用として雇われたのです。最初はアシスタントとして雇われましたが、様々なプロジェクトに関わり、後にガボンに異動し、国立公園の管理の仕事を継続してきました。実際にやっていることは調整役のようなもので、予算会計、人事、物資補給、物資管理等の事務的な作業、外部から来る研究者の予定をアレンジ、レンジャー(政府の元で働く人)のトレーニング、資金サポートなどがメインの仕事になります。現在はそれに加えて、メールという作業が加わり(笑)屋内での事務作業が多いです。実際にWCSに関わったのは1997年からで、ざっと十数年になります。
日本での就職をするかどうか決めるとき、現地に残るきっかけとなったのは、アメリカ人の一言でした。"日本人が象牙を使うから、ここでマルミミゾウの密猟がこんなにも多発しているのだ、"といわれました。もちろん以前から断片的な情報として日本での象牙の使用がアフリカで起こるゾウの密猟と関係していることは知っていましたが、それが中央アフリカの熱帯林のマルミミゾウの密猟と関係しているかもしれないという発想は思いだにしていませんでした。小中高、大学院までそれを学ぶことはなかったし、誰からも教わりもしませんでした。そのアメリカ人の彼は別におしつけがましく言ったわけではないのですが、私の中でその言葉が残っていました。それで何かやらないといけないのだろうなと自分自身感じていた矢先に、WCSで現地雇いの話が持ち上がったわけです。私自身、日本の大学に戻るのには抵抗があったし、屋外にいる時間が長い仕事のほうが好きなので、WCSで働くことを決め、現在まで至っております。

質問:エコツアーに関する質問なのですが、現在ンドキへのアクセスはどのような状態なのでしょうか?

西原さん:国立公園へのアクセスは未だあまり改善されていません。しかし、アクセスがよすぎると人がたくさん来るようになってしまうというジレンマもあります。
同じ国立公園でも、ケニアや、タンザニア、南アなどサバンナ大国のアフリカのようには、大人数が入れるような輸送手段もありません。木がうっそうと生えていて、動物の声がしても、中を歩いていてもどこに動物がいるのかよく見えないのが現実です。もしそのような環境の中、大勢の人間がぞろぞろ歩いたら、見えるはずの動物も見られなくなってしまうことになります。だからむやみにアクセスをよくしてしまっても、逆に問題が発生してしまう可能性があるのです。全体として以前に比べたらアクセスがよくなりましたが、コンゴ国内の輸送手段は全体としてはあまり変わっていません。

質問:国立公園への入場者数の規制等は設けていますか?

西原さん:特に正式な規則はありませんが、最小レベルにしています。細々とツーリズムをやっていますが、宿泊施設を作るにもやはり森を切り倒さないといけないので現在一回に入れる人数は8人としています。

質問:バイの周りなどに木の上から公園を見ていられるプラットフォームのようなものはありますか?

西原さん:あります。もともと研究者が使うためのものとしてありましたが、現在は一般のお客さんが使用できるものもあります。

質問:ちなみに入園料は?

西原さん:日本円で一日当たり4000円ほどです。コンゴは結構物価が高い国でもあります。

質問:2つ質問があります。まず、ざっくりした話になると思うのですが、アフリカの人達の自然観というのは日本人のものと比べて、どんなものだと思われますか?また、アフリカ人の考え方として、共食があると思います。共に食べる、で共食、です。先ほどのエコツーリズムに関するお話で、収入の分配が均等にされていない、ということでした。それぞれのピグミーが村長を介して収入を受け取るため、村長が自分の懐に多めにとってしまう。ヒエラルキー等があるとは思いますが、その"共食"の文化は彼らから消えてしまったのか?もし、そういう伝統が未だ存在するなら、どうしてこの点でうまく機能しないのでしょうか?

西原さん:両方の質問に共通する答えをいいますと、まず先住民とそれ以外のバンツーと呼ばれる一般の黒人を分けて考えたほうがいいと思います。先住民の場合、例えば熱帯林のピグミー、ケニアなどのマサイ族、彼らは自然をむやみに扱うようなことはしない。もしこの自然がなくなってしまったら、自分達の使用できる自然物もなくなってしまうということを彼らは何千年の歴史の中で体得しているので、自然との共生を念頭に置いた生活をしています。特にピグミーの場合、平等分配が基本原則として今も存在します。長い歴史の中でゾウ狩りをしていた時期もありました。しかしハンターがゾウを捕っても、それを自慢するようなことは彼らの社会の中では許されなかった。一頭のゾウを得ることはその部族にとって大きな収穫であるが、捕ってきた者は謙虚な姿勢で、その収穫物を平等に他の人にも分配することが義務付けられているのです。先住民に関しては、日本人同様に、あるいは日本人以上に、自然に依拠した生活をしているのです。しかしバンツーと呼ばれる一般のいわゆる黒人、つまりいわゆる地域住民に関しては、また別です。彼らもかつてそのような自然に依拠した生活をしていたはずでありますが、彼らは定住を始め、農業を基とした生活を営むようになり、そして外部と接触を持つようになりました。そのうち徐々に貯蓄の仕方がビジネス的になり、自分達が生きる最低限を作る生活から、自分の必要以上に作る大々的なビジネスに目覚めていきました。
そして、その過程で、貧富の差がでてくる。元来平等分配という考え方はバンツーの中にもあったのでしょうが、一人の人が利益を独り占めすることが一般社会の中で当然として成り立っています。バンツー社会では、先住民と比べると貨幣社会の浸透がきわめて早かったのも事実です。

質問:サラリー(給料)を渡すなどの、貨幣制度と社会がうまく作動しないのはピグミーではなく、バンツーの人たちなのですね?

西原さん:ピグミーの中では未だその日暮し的な生活が主流であり、ほとんどの人がお金があればあるだけ使う。いわゆる貨幣の価値だとか使い方はピグミーの方も周知していますが、貨幣文化というものが浸透していません。そもそも貨幣文化を獲得すべきと我々がいうほうがおこがましいわけです。その日暮らしの生活の中で、何千年と彼らは生きてきたわけですから。

司会:今日用意したアフリカNowの90号で、『森の小さな〈ハンター〉たち』という本を紹介してあります。著者は実際に9ヶ月程森の中で暮らす人達と共に生活し、そのときの記録を本にまとめています。カメルーン東部での暮らしなのですが、熱帯林の端のほうでコンゴと地理的にも近いです。こういう書見を通して、実際そこに住むというのはどういうことなのか考えていただけたらと思います。

質問:コンゴではピグミー向けの部族に対する強制定住政策といったものはないのか?

西原さん:一言でいうと、存在します。
強制定住ではありませんが、まず傾向として、ピグミーの移住先はバンツーの住む村や町の近くに存在します。ピグミーは森の中で採集生活を営んでいた人々でしたが、ここ何百年という歴史の中でバンツーの人との接触が多くなり、彼らと物々交換をするようになっていきました。ピグミーは肉を、バンツーは農作物をと、物々交換するという関係性が確固となっていきました。結果としてピグミーもバンツーの住む村の近くに住むようになっていったのです。
国の政策としては、ピグミーを森から強制撤去させ、彼らを町に定住させるというのがありました。2つ理由があって、1つは国としての国としての面子を立てるため。わが国にはそんな野蛮で粗暴な部族は存在しないと国際社会にアピールしたいわけです。発展した国を示すための象徴的な役割ですね。そしてもうひとつが、国内での選挙のときです。未だ身分証明となるものをピグミーは持っていませんが、こういうときだけ必要数として投票の際は数えられているのです。
それから経済的な影響もあると思います。貨幣経済が浸透するにつれ、ピグミーも今までの伝統的生活を維持していくことがどんどん難しくなってきています。われわれも研究をしたり、ツーリズムをする際、森の案内人としてピグミーの方の協力が必要になるので、必然的に貨幣経済に無理やり巻き込んでしまっている側面があるのです。ですから、ある意味ではそれも彼らの伝統的あり方に対してネガティブな影響をもっているといえるでしょう。

質問:バンツーとは何か?

参加者:いわゆる先住民以外の一般の中央〜西アフリカ人のおおまかな総称です。言語区分として考えてよいと思います。バンツー系の言語を話している諸民族を総称して呼んでいます。バンツー族という部族が存在するわけではありません。
先ほどの三味線のお話で面白いと思ったのが、演奏技術と素材伝統の違いについてです。西アフリカで伝統的な太鼓でジャンメというのがあります。現在のジャンべはナイロンのロープで閉めているんです。今先進国で売られているのを見ると、鉄の輪も鉄筋のすごくしっかりしたもので閉めてあるのですが、これは海外市場に売り出すためにアフリカの独立諸国の政権、特にギニアの政権などが作りだしたものなのです。素材が変われば、元来の伝統的なジャンベとは音色も弾き方も異なってきます。しかしながら名前であるが故に、その新しく作られたその楽器はジャンベと呼ばれるようになるました。その元来のものとは異なる音や弾き方も"伝統"という名の下塗り替えられていくのです。それで三味線の話で思い出したのです。

西原さん:だからが故に伝統という言葉が入り乱れている。曖昧さがのこっています。素材で限定して見たら歴史が浅いのに、素材の歴史を無視してパフォーマンスでみるからその"伝統"の歴史が曖昧になってしまうのです。

質問:生物多様性保全か伝統文化の維持という問いに対して、情報の共有の大切さを痛感しました。そういうことを訴えかけている活動をしているのが、このAJFになるのでしょうか?

司会:AJFはこれから情報提供のための土台作りをしていく団体です(笑)。少なくともこのテーマではこれが初めての試みになります。
先ほど西原さんがおっしゃったように、そもそもこのような情報提供をできる人材が日本にはあまりいない。さっきの話と関連しますが、京都大学のアフリカセンターというのがあります。去年の七月にそのアフリカセンターが品川でアフリカ公開講座というのを催しました。山越さんという方がチンパンジーの研究について話しました。面白かったのが、彼も含め京大の研究者は少し前まではチンパンジーの研究ばかりをしていたそうです。チンパンジーは日本でいう鎮守の森のような場所に生息していて、地域住民は簡単に立ち入れないようになっていました。なのに、そのような場所に研究という名目で研究者達が立ち入り、好き勝手に写真を撮っていたそうです。彼はそういう無配慮な行為についてもう一度考え直さないといけないと感じ、日本でいう鎮守の森とアフリカのチンパンジーの森、つまりチンパンジーの生息地域を比較研究するようになったという話をしてくれました。そのチンパンジーの森と呼ばれる地域が有名な比較的開けている観光地域であった為、その地域を支えている住民、その地域社会が今の彼の研究の関心事だというのです。今回の話と繋がっていないでしょうか?以前はチンパンジーの研究は純粋なチンパンジーの生態の研究をしていて、地元の人たちがどんな影響をうけるかは全く考慮されていなかったのです。生態系や地域住民への影響について考えるようになったのはすごく最近のことです。アメリカの学者がまとめた本に記載されているのですが、そもそも猿を使った実験が行われるようになった理由は、19世紀後半に人間への人体実験が国際的に禁止された為です。当時は、人体実験の代用品としてでしかなかったのです。人間に一番近い存在である猿にこの薬が効くか、ということが主な実験内容でした。最近ではチンパンジーは人間と遺伝子の97%くらいを共有しているのに、どうしてこんなにも人間と違うのかということが大きな学術的話題として存在しています。結局人体実験の人間の代わりとして使われていた猿の研究が、このような猿と共生する地域住民の研究という試みに変わったこと自体がすごく新しいことなのです。

質問:WCSのンドキでの短期的な目的というのはどういうものになるのでしょうか?

西原さん:短期的でも長期的でも目的自体に大差はないのですが、この状態を維持していくことです。今ここ十数年で国立公園の周囲が熱帯林の伐採業で囲まれてしまった。かつては道路もなく人も少なかったのだが、ここ最近人口も増加し、道路も改善され人の行き来が増えてきました。しっかり国立公園を管理していかなければ密猟者が出入りしやすくなってしまったわけです。今は容易に人々の出入りが可能になったことに危機感を感じ、いかにこの国立公園だけでも死守するかということを考えないといけません。一昔前は国立公園を作ること、またわたしの行っているような研究職に対して、人権保護の団体から非難がありました。国立公園地区へのピグミーの立ち入りを禁止することで、彼らの生活圏地域から彼らを追い出しているというのです。しかし今は国立公園を死守することすら困難な状況に面している現状です。国立公園外のピグミーの依拠する熱帯林は減少し続けている。野生動物は国立公園内で自由に行き来できるので、ピグミーは公園内に入れないのですが、その周辺地域で今まで通りの狩猟生活をなんとか維持できているような状況を保っています。短期、中期、長期的に、国立公園を守れるかは資金や人材調達を含めサポートしつつ、地道に現地人をトレーニングし、最終的には彼らが独自で運営できるような形態が長期的にはできるかに懸かっていると思います。

質問:基本的にンドキの境界線の外は、バッファーゾーン等はなしに伐採ができる地域というふうに捉えられているのでしょうか?

西原さん:基本的にはそうですね。バッファーゾーン、緩衝地帯という定義は国によって違っていて、コンゴの場合は基本的にそういう地域がない。通常国立公園境界から5キロ内の地域は緩衝地帯とされています。その区間内では、人間の生活最低基準の狩猟は認められているが、商業的な伐採活動は一切認められていません。本来は全ての地域がそう決められているべきなのですが、これは土地所有のシステムの関係上、境界が曖昧になってしまっているのが現実です。大きい区分としては国が地域を国土としてブロックごとにわけています。その中で国立公園に指定すべき地域は政府が保護地域とするが、それ以外は伐採会社に国が売却するという形(実際には商業木材の分量に応じて、国が税金をかけるという仕組み)になります。だから緩衝地帯の境目が曖昧になってしまうのです。ですから我々としては、伐採会社に国立公園から半径5キロ内は伐採しないでくれだとか、生態学的に重要な場所には入らないようにだとか、注文をつけながら共同で作業していく必要があるわけです。
それこそ鎮守の森じゃないですが、やはり地域住民の立ち入り禁止区域だとかを考慮しながら伐採会社と共同で作業する必要があります。

質問:その伐採可能地域は国家が多国籍会社に売るわけですね?

司会:そうですね。実際には土地を売るわけではなくて、多国籍企業に伐採した生産量に応じて税金をかけるようになっています。

質問:日本で企業の森と称して様々な森を守るプロジェクトが多くの企業で行われていますが、コンゴではそのような活動は行われてないのでしょうか?例えばフランス系の企業なんかがコンゴの森を買い取って先住民の生活を守るとか、そういうプロジェクトがあってもいいような気がするのですが、全くないのでしょうか。

西原さん:実際そういう活動がないわけではないです。しかしそのようなブロックの土地を購入するとなると、かなり巨額になります。とても容易に買えたものではありません。欧米の方たちの活動なのですが、今開発されつつある地域、農耕、焼畑で使われている地域の炭素在庫量を調べようという試みが行われています。開発されてもどれだけ炭素量が残っているかを調べ、その数値を国際取引の際に利用する、というものがあります。といっても私は、木材や象牙なんかの国際需要を減らすほうが重要であると思います。

質問:例えば住友林業がインドネシアのバリ島の先住民地区で苗木を育てて買い取るという森を作るプロジェクトを仕事として行っています。熱帯雨林の場合難しいのかもしれませんがギャップが小さければ、コンゴ内で苗木を植えていくということも可能なのでは?

西原さん:植林を試みようとしている良心的な伐採会社はいますが、残念ながらほとんどが失敗しています。というのも熱帯林のエコシステムが複雑で、日本のいわゆるスギ林などの単層林がなかなか作りにくく、本当に限られた種類しか単層林が作れない。野生の単層林も存在するが、ごくごく限られた数種類しかありません。いろんな樹木が伐採会社の研究室に持っていかれて単層林を作ることが可能か試されていますが、ほとんど成功していません。
良心的な伐採会社は卓抜方式で伐採をしております。直系○cm以上は切らない、幼木は切らない、伐採する木の種類を限定したり、網の目上に通路を作って切るだとか、伐採する際に、限定条件を出して、熱帯林を全面的に切り倒して丸裸にすることがないように工夫しています。少しでも森林が残してあり、しかも健全な状態で健全な数の動物が残っていれば、いずれ森は、長い年月をかけて、元の状態に回復していきます。ですから聡明で良心的な会社はいくつかのブロックに分けて、ローテーションを組んで伐採を行っています。数年という単位の一定の期間ある特定の地域を伐採し、その後その地域を十数年一切使わない、熱帯林のサイクルは比較的早いからその間に樹木が再生する。そこで大事なのは、動物と昆虫が残っているかどうか。送受粉と種子散布というシステムが森林の存続に関わってくるからです。ですから伐採会社に我々が特にお願いするのは、木を切るのは仕方ないが、それの以外のエコシステムは極力残すように心がけてほしいということです。

質問:職業柄エンタメ系の話題になりますが、今若者の間で社会貢献に対する関心が高まり、社会貢献を意識するようなファッションがトレンドとしてでてきています。先ほどのお話で、概念の理解を伴わずに行動だけに走ってしまうと大変なことになってしまうと語られていましたが、具体的にどうすればよいのでしょうか?例えばアフリカを応援するようなプロジェクトがあったとします。アフリカをイメージした商品を売り、売上金の一部がしかるべきところに送られるとします。しかしその場合にそのお金を送るところやルートを間違えてしまえば大変なことになってしまいます。実際のところ、そういうことに対して無知の人のほうが圧倒的に多いと思います。そして支援活動などあったときに、私達がそういう支援が生きた支援に繋がるのかどうかを判断するのはすごく難しいことだと思うのです。私も今日奇跡的にここにいるのですが、なんとなく自分の体感でどれが本物か偽者か、正直なところそれを判断するだけの知識を持っていません。もちろん一人ひとりが努力はすべきですが、それだけの知識を取得するまで時間がかかることだと思います。ではどうすればいいのか、要領とかなにかアドバイス等ありませんか?

西原さん:正直言って確かに難しい問題だと思います。変な例えですが、今回日本で日本大震災がありましたが、これがアフリカで起こっていたらもっと大変なことになっていたことでしょう。物資補給等海外から行われてもおそらくうまく機能せずに終わってしまうにちがいありません。それは彼らが悪いとか劣っているとかではなく、彼らの社会の仕組みの段階として、現在まだその地点に到達していないということだと思います。特に彼らの場合悲劇なのは独立して未だ50−60年しか経っていない。植民地時代以降、独自で統治した歴史が浅い上に、植民地時代の影響を大々的に受けている。そういうタイムスパンで考えると、いくら教育等に力をいれている地域があっても、それがきちんと根付いて我々のような生活や社会の仕組みのレベルに到達するまでかなり時間がかかるということです。我々もそのことを心に留めて焦らず、押し付けずに、支援を続けていく必要がある。例えば、国立公園をサポートするような資金が海外から送られてきますが、その多くがNGOを通して政府のところに届くようになっています。国立公園ですから国が本来運営すべきであり、資金も政府投与するのが筋なわけです。しかしながら、外部団体はコンゴ政府のお金の管理が不十分であり、腐敗しているのを熟知しているからNGOにお金を託すというわけです。資金運営の多くはNGOに管理させた状態で、政府とNGOが共同で作業をする、という形をとります。NGOを介して、政府は会計が必要だとか、予算が必要であるとか、一通りのお金の使い方を学んでいくのです。

司会:最初の話に戻りますが、結局結論としては情報を伝える仕組みに投資すべき、ということになるだと思うのです。判断材料がない状態で、手探りで判断するというのも無理な話ではないでしょうか。なにが適切な情報なのかをきちんと見る、そのためにどういう形でだれが得た情報なのか、見極める必要があります。ただそこで終わりではなく、それを経て、検証しなければならないです。ただそれも今の状況ではなかなか難しい状況ではあります。では代案になるものはというと、おっしゃる通り自分自身でその適正を判断しないといけないということになるでしょう。そのためには、やはりどのように得られた情報かを辿る仕組みが必要になる。

西原さん:ひとつ補足で付け加えたいのが、我々は所詮外国人である、という心構えです。上からあれこれを押し付けるのではなく、腰を低くして、彼らと接するべきであるという立場です。アフリカの国々の開発・発展の主役は彼らアフリカ人であり、あくまで私達はその一時的なサポートです。最終的には彼らが自分たちでやるべきことなのです。たまに技術の発展と文化の優劣とを履き違えている人を現地で見ますが、それは援助の仕方として正しくないと思います。われわれが正しいと思うものの押し付けではなく、あくまで彼らの必要としている技術を提供するのが私たちの役目です。それは気をつけるべきところです。
悪口ばかりをいうのもどうかと思いますが(笑)、青年海外協力隊というのがありますよね。私はガボンで彼らの活動をみていたのですが、彼らはあまり実際のところ役には立っていないことがあるようです。まず第一にまったく当地の公用語がしゃべれない。それでどうやって現地人とコミュニケーションをとるというのでしょうか。例えば現地で協力隊のメンバーが病院で働くとします。しかしガボン人は怠慢だから、時間通りに来ない(笑)、そこで現地の言語を話せれば、電話をしてこちらにくるように頼むこともできますが、コミュニケーションが取れない以上待つことしかできない、これからどうしようだとか研修とか今後の対策も結局なにもできないという結末になります。
大使館はこの青年海外協力隊を日本政府の対策の一環として、目玉のプロジェクトとして使っているのは確かです。つまり日本政府は国際協力をしていることを海外にアピールしたいのです。何でも政治と絡んでくるものですが、その裏では政治取引が行われている可能性がある。もちろん現地の青年協力隊はそんなことを考えていないでしょうし、純粋に国際協力に関わりたいという純粋な気持ちで取り組んで、成果もでていることもあるでしょうが、中には現地でやることもわからずなんとなくその場にいるような協力隊員が多いようです。みんなそういう協力隊員たちは日本政府の手のひらの上で転がされているというわけです。
他の国に行くことに関して、一体自分はどのような立場で行っているのか、しっかり自分に問う必要があるのではないでしょうか。

司会:とりあえず時間になりますので、この辺で終わらせていただきます。もし他に質問等ございましたらメールで連絡していただけたらと思います。今日の話にもでましたが、これもひとつの情報の仕組みをつくることの一部であると考えています。
あまり目立っていませんが、高校の特に理科の先生方で熱心に実験をやるための研究会を開いておられる先生方がいます。それから最近はあまりみられませんが、休みになると人の行ったことのないところへ出向く学校教師が以前はいました。そういう人たちが学校の研修の中に組み込む形で、さっきお話したような情報をシェアする仕組みをつくれたら、かなり具体的なシステムの形が見えてくるのではないかと思います。
そのための前段階として、こういうセミナーをしたわけですが、一回のセミナーでは内容がここまでなかなか到達できないのです。一回では話の内容もここまで深くすることはできないし、しかもその内容の発展の仕方、方向性もセミナーごと、つまり参加者によって変わってくる。例えば去年のセミナーでは中国人のアフリカ進出に対する需要が高く、実際に中国企業と共にモニタリングをしたり、質問もそれに関するものが特に多かった。今日あまり技術的な話はでていませんが、国立公園の技術支援、地元の人のトレーニングに結びつける、現地人に仕事を受け渡す工夫についての話がでました。これは他の国際協力機関もNGOも興味のある内容だと思うのですが、実際のところ短期的に成果が出せるものと理解を得られるまで時間のかかるもの、どちらもあると思います。しかしその中で西原さんが行っているようなプロジェクトほど長期的な展望をもったものはなかなかないと思います。
海外協力隊の話が出ましたが、JICAの事業というのはだいたい3−5年と決まっています。去年の3月にJICAの事業でCBR(Community Based Rehabilitation)というのがエジプトのデルタ地帯でありました。リハビリテーションというと理学的な話のように聞こえますが、実際は日本でいうバリアフリーのことです。どうやってバリアフリーのコミュニティを作れるかということをJICAが事業として3年で行うという計画です。それで事前調査に行った人の話を聞いたのですが、正直そのプロジェクトは三年で行うのはほぼ不可能であるのに、それを無理に押し込んでいる。それに対して今日の西原さんのお話にもでましたが、あれだけの年数をかけてこういう活動を行っているというのはすごく参考になると思うのです。西原さんが意図している以上に需要の高い話です(笑)。
そしてそういう事業を大きくしていくと、さっき話にでたような情報を共有できるシステムにも少し答えがでてくると思うのです。間接的なのですが、最初に話した情報を集めて提供する仕組みに、実は日本はあまりお金をかけていないようです。大学の先生の名前だけが浮かんできますが、アフリカ内で研究をやっているような研究者の方は、自分の目的に適った断片的な研究しかやっていないことが多いのです。大きな話の流れだとか、社会への影響だとかは関係なく、論文になるかならないか、それだけなのです。そうなると今回の原発問題となんら変わりないということで、いくら原子炉学者に聞いても同じ意見しか返ってこないわけです。
秋にもまたセミナーのほうを行いますので、是非またいらしてください。またなにか聞きそびれたことありましたら、遠慮なくご連絡いただければと思います。今日は参加いただき本当にありがとうございました。

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