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『開発と国家 アフリカ政治経済論序説』をてがかりに、地域研究と開発研究の架橋について考える

アフリカ日本協議会(AJF)公開インタビュー 「『開発と国家 アフリカ政治経済論序説』をてがかりに、地域研究と開発研究の架橋について考える」

話し手:高橋基樹氏(『開発と国家 アフリカ政治経済論序説』著者)
聞き手:斉藤龍一郎氏(AJF事務局長)
日時:2010年9月4日12:00〜15:40
場所:オックスファム会議室

聞き手(斉藤氏):

時間なので始めます。進行としては、先程僕が高橋さんに3つ質問をしましたので、その質問およびそれらに関連する質問に答えて頂く形を1時間半程度取り、その後休憩を挟んで皆さんに一言ずつ、自己紹介や質問をしてもらおうと考えています。

では1つ目の質問ですが、これは本の冒頭に出てくるハンナ・アーレントについてです。僕は随分昔に大学の教室で高橋さんに会っているのですが、それから二十何年目かに神戸大学で会った際にも、やはり高橋さんはハンナ・アーレントの話をしていました。開発経済学とハンナ・アーレントにはどの様な関係があるのか僕にはよく分からないのですが。

ハンナ・アーレントを知らない方もおられると思うので、念のために申し上げておきますと、ドイツからアメリカへ亡命した女性の思想家で、『全体主義の起原』という大著を書いています。1つ目の質問は従って「何故ここでハンナ・アーレントなのか」ということです。

2つ目の質問は構造調整についてです。この本の一部はアジア経済研究所で開かれた開発経済学の研究会の度にまとめられた論文をベースにしているため、開発経済学を既に学んでいる人にとっては常識なのかもしれませんが、僕は学んでいないため、この話の前提にある構造調整に対するこだわり、高橋さんにとって構造調整とはどこでどんな風に問題だと感じられるようになったのかを話してもらいたいと思います。

3つ目は人間像を問い返す意味についてです。開発経済学の分野では、色々な過程で既存のやり方を変えて違うやり方を提案する、ということがなされていると思いますが、高橋さんはそうではなく、開発経済学が前提にしている人間像を問い返すという問題提起をしています。ここで人間像を問い返すというのは色々な意味があると思うのですね。一体誰のために、何のために開発経済学は必要なのか。開発経済学に関わって問い返すこともあると思います。でもそれだけではなく、やはりここで人間像にこだわる、人間を見る、人間について考えるということと、学を考えること。これは多分こだわりがあるからこのような書き方になるのだろうと僕は思って読んだ訳です。

それではここからは高橋さんにこの3点についてお話頂き、その後皆さんの質問に移りたいと思います。話を聞いていて不明な言葉があったり、意味が分からなかったりした場合は、遠慮なく手を挙げて下さい。では1つ目の質問、ハンナ・アーレントからお願いします。

話し手(高橋氏):

ハンナ・アーレントの説明を少しさせて頂きます。彼女はドイツ生まれのユダヤ人です。

「ハンナ」ですから女性ですね。ハイデガーやヤスパースという、20世紀の歴史に大きな足跡を残した偉大な哲学者に非常に親しく指導を受け、ナチスが政権をとる前は将来を嘱望された政治哲学者であったのですが、ユダヤ人ですから、ナチスが政権を取ると突然生きるか死ぬかの目に会うのです。彼女がアメリカに逃げてくる経緯はあまりよく分かっていないようですが、アメリカに移ってからは、ドイツ語と英語で色々なものを発表し、世界全体に非常に大きな影響を与えるようになりました。まあ世界全体と言っても英語やドイツ語を読める人たちの世界ですけれど。

私の限られた学識では、彼女がどういう業績を政治哲学であげたかという全体像を語る立場にはないのですけれど、彼女は20世紀的な、あるいは近代的な人々の生き方を批判して、人々というのはお互いに対話をし合意して色々なものを作り上げていく、そういうお互いの公共的な空間を持っていることが重要で、単に生きるとか、働くといっただけの状況から解放されていかなくてはいけない、というようなことを言った人だと理解しています。彼女が言ったことの中には、20世紀あるいはそれ以降の社会で、我々は忙しくて人々との交わりを全然考えずに仕事ばかりしているとか、あるいはもうひきこもってしまっているとかいった、基本的な生活様式についての批判もすごく入っていて、現代文明そのものに対する根本的な批判をした人だというふうに理解されています。

その彼女は、自分達を死の淵に追いやった全体主義、ナチズム(そしてスターリン主義)に対してもすごく批判的である訳です。ナチズム等が何故現れたか。フランス革命など市民革命で人権などが高く掲げられながら、百何十年も経って突然ナチズムのような全体主義が西欧に現れるのは、ある意味で不思議ですよね。近現代史の一種の謎なのですけれど、自分の命が脅かされた訳ですから、その謎をものすごく真剣に考えるのです。そこで彼女が1つ言っているのは、「ナチズムの源流はアフリカにある」ということ。アフリカへ行っていたドイツ人の入植者達などは、アフリカ人に出会うと、姿も形も違う、歴史的な背景とか文明とかを持っているようには見えないこの人たちは、自分達とは違う人間だと思わなければいけなかった。そういったところから人種主義というのは始まったのだ、というようなことを言っています。この点は日本語の世界では最初に東大の高橋哲哉先生という方が問題にしたのですが、残念ながら高橋哲哉先生はアフリカ学会員、アフリカ研究者ではない。僕はその点がものすごく悔しい。というのも僕たちアフリカ研究者には沢山のアフリカ人の友達がいますから、違う人間だなんて全然思わない訳です。そういうことを知っている僕たちがアーレントの批判を出来ず、高橋先生が先になさってしまった。これはもうすごく悔しくて、ずっとこだわっています。

聞き手(斉藤氏):

岩波書店から出ている高橋哲哉先生の著書『記憶のエチカ−戦争・哲学・アウシュヴィッツ』にそういうことが記されていたのですね。

話し手(高橋氏):

そうです。これがアーレントにこだわっている理由の1つです。

さて高橋哲哉先生がお書きになっているように、アーレントと同じ様なアフリカ観を言っていた人がすでに彼女と同じ国の大先輩にいるのです。それがヘーゲルという哲学者です。ヘーゲルの『歴史哲学講義』というあまりにも有名な本の中にアフリカについての見方が出てくるのですが、何故それが問題かというと、彼は「アフリカには歴史がない」ということを書いています。『歴史哲学講義』を始める中でアフリカのことを色々書いていくのですけれども、家族同士で殺し合って滅茶苦茶なことをする、非常に野蛮で残虐な国というようにダホメという国、今のベナン辺りにあったと言われている国のことを描いているのです。高橋哲哉先生が詳しく比較している表が、先程話に出てきた岩波書店の『記憶のエチカ』に出てきますけれども、アーレントのものの見方というのは、自分より百何十年以上前に生きていた、ヘーゲルの見方をそのまま踏襲しているのですね。そういう「アフリカ人の野蛮さ」に出会ったヨーロッパ人、そしてその人たちのものの考え方がヨーロッパに入ってきて、それがナチズムの1つの源流になるとアーレントは言っているのです。

ナチズムが終わった後、アーレントは1970年代においてもアメリカで自分達の社会に対する批判者として尊敬をされ、色々な人をまた育てたりする訳です。彼女は左翼とか、トロツキスト(トロツキーというのは、社会主義者の中でもスターリンに対抗して、世界全体の革命を志した人です。特に1970年代には、欧米の資本主義とか植民地主義とかに対抗する運動というのは色々ありました。それを私の本では一言で「第三世界論」と呼んでいますが、そういうものとトロツキズムっていうのは結びつくのです)とかの第三世界論に文句をつけるのです。アーレントは、社会主義の思想と体制全体に批判的でした。当時第三世界論の人たちが掲げた旗印というのは何かというと、「AALAの連帯」。Aはアジア、次のAはアフリカ、LAはラテンアメリカです。これら3つの第三世界の連帯を掲げるのです。それを彼女は鼻で笑い、AALAの連帯なんていうのは、単なるお題目に過ぎないという意味のことを言っています。結局、アジアもアフリカも全然違うと言うのですね。それを一緒であるとしていること自体が、すでに間違いである。どの様な間違いかというと、それは何によって連帯しているかに関わってきます。単に敵によって連帯しているだけであって、同じ敵、若い方も知っている言葉で言えば南北問題の中の「北」、すなわちその頃の1970年代の第三世界論者の考え方によれば、軍事的な手段も使って悪いことをする「帝国主義」に対抗するということだけでAALAを結びつけているという考え方は誤謬だというふうに彼女は言った訳です。アジアとアフリカを一緒にしてはいけないというのは、アフリカ研究者としては実は非常に歓迎すべきことで、アジア人とアフリカ人が違う、アフリカ人の特殊性とか固有性とかを捉えなければいけないと考える我々からすると、ある意味でアーレントと手を繋ぎたい。しかしよく読んでいくとですね、AA(彼女はあまりLAは問題にしてないのですけれど)、すなわちアジアとアフリカを一緒にすることの問題はどこにあるかというと、アジア人をアフリカ人と一緒にすること(その逆ではなく)にある、と書いてあるのです。ではアフリカ人は何者かというと、世界の一番下の段階にある人たち、虐げられた人たちである。彼らこそ帝国主義者に踏みつけられており非常に貧しいということで、自分達を自己主張する権利はある、と。一方アジア人はもっと立派な人たちで、ヨーロッパと並び立つような文明を昔は持っており、彼らとアフリカ人を一緒にするなどとんでもない、と言っているのです。中国人に「あなたたちはバンツー族と一緒ですと言ったら目を丸くしますよ」、という言葉が70年代の彼女の本に出ている。今の中国人にそう言ったらどうでしょうか、非常に興味深い問いかけですけれども。

聞き手(斉藤氏):

一緒に稼ごうってなるでしょうね。

話し手(高橋氏):

そうかもしれませんね。さて、アーレントは自分達は何故ナチズムによって死の淵に追いやられたか一生懸命考えて、その起源を、ヨーロッパ人がアフリカへ出かけて行き、ものの考え方が変わったというようなところまで遡って考える訳です。その考えを一つの柱として近代の本質の一面を見極めようとして考えた『全体主義の起原』という本が50年代に出たのですけれども、そこでのアフリカへの問題ある見方が20年後の1970年代にも維持されたということなのです。

そして今21世紀になって、東アジア諸国が力を得る時代になってきています。中国が予想もしないような台頭をして、日本だけが欧米の仲間だった時代から大きく変わりました。今後は、もしかしたら、中国が色々な意味で世界の政治経済的な力関係の中で大きな重力を持っていく、重心になっていくという時代になり、アジアというのはヨーロッパと並び立つものであるという、アーレントが思っていたことが明らかに起こりつつあるのですね。

しかしアフリカに関しては、世界の一部であるというような我々の見方、認識はまだ確立していません。アフリカというのは、近代化や開発から取り残された所だと、まだまだ捉えられている面があります。政治学を勉強する方々、哲学を勉強する方々は、ヘーゲルやアーレントのことをとても尊敬して、彼らのポジティブな面を語っていますが、実は彼らの考えは、アフリカだけを歴史の外、近代の外に除外しているというものの見方に繋がるのです。言い換えれば、偉大な哲学者の中にそういう見方がある面の裏側として常に存在するのです。今申し上げたある面というのは、ある意味で近代そのものだと思うのです。アーレント自身が言っています。近代というのは、人権とか人々の友愛とかいうものを作り上げてきた時代であると共に、一方その中で人種主義が生まれてきています。それはどこから出てきているのか。我々がアフリカに対するものの見方を今後作り上げていくうえで、このアーレント的な二面性を乗り越えていく必要があるということを、私は呼びかけるつもりで『開発と国家』を書いたのです。アーレントは1970年代で発言が終わっていますから、そんな人は相手にしなくてもいいじゃない、と思われるかもしれないのですけれども、この『開発と国家』にはシャバルという英語でも一生懸命ものを書いておられるフランス人が出てきます。彼は今フランス・イギリスの両方の学界で大変発言力があって、アフリカ政治研究を牽引している世界的権威の1人です。そのシャバルの共著書の中に、『Africa works』という本があります。「アフリカは作動している」というふうに訳していますが、ここでは、省略して言えばアフリカの状況はどうしてこんなに反開発、反民主主義なのかという問題に、「それはアフリカだからだ」と答えを提示しています。アフリカの論理の中で、援助側である我々が「もっと豊かになりなさい」「もっと自由で民主的な世の中を作りなさい」と彼らに一生懸命誘いかけて、場合によっては「言うとおりにしないと援助しないよ」というふうに脅しあげてやっているのだけれど、言うとおりにしてくれない。何故かというとそれは、民主化せず、人々が開発を選ばない方が都合がいいと思っているアフリカ人の政治エリート(エリートという言葉を使いますが、エリートって何だかいいイメージがあるかもしれませんけれど、政治研究の中では「権力者・支配者」のことです)がいるからだというのです。彼らはそういう論理によって動いている、とシャバルは主張しています。しかし、その論理がどこからくるのかという説明はシャバルの中にないのです。そういう説明がないので、単に叙述に過ぎない、描いているに過ぎないというふうに私の本の中で指摘しています。シャバルは友達ですから、この本の内容を英語で紹介し、是非議論をしたいなと思っています。むしろ、アフリカのエリートがもしそういう支配をしているのであれば、それはアフリカだからだという議論(この議論はアフリカが今そういう状況だと描いているに過ぎないことになります)ではなくて、アフリカは今何故そのようになってしまうのかということを我々は分析し考えなければいけない、ということを呼びかけていくため『開発と国家』の序章を書きました。シャバル的な見方、アフリカはアフリカだから我々とは違う、近代化にも参加しないし民主化を顧みないし最終的には人々を豊かにしない、そういう社会である、という見方は実は近代の古い古い見方としてヘーゲルあたりにある。それを現代に繋いでいるのがアーレントということを言いたかったのです。

もう一つ、第三世界論はかつてけっこうな影響力を持ちました。今の若い人たちには何を言っているのかよく分からないかもしれないのですが、世界全体の人々の解放は、途上国や植民地の人々と我々先進国の普通の人々が手を携えて進めていかなければいけないという考え方に、(私より年上の)斉藤さんや私も1970から80年代にかけて強い関心を持ちました。アーレントはそんなものは嘘っぱちであると言った訳です。けれどもちょっとそれは偏った見方ではないか。例えばアメリカは1975年にベトナム戦争で負けてしまって(アメリカ人は負けたとは言いませんけれど)アメリカの社会が非常に傷つくのです。しかし同時に、勝手に人の庭に入り込んで行ってアメリカ軍は色々とひどいことをやり、そういうことに対して我々先進国の人間も立ち上がりました。日本でも欧米でもアメリカ自体でもベトナム戦争への反対運動が広がったのです。そして途上国の中でも、ベトナムの方に連帯しようという動きが広がりました。同じようなことは実はアフリカにもあったのです。この本を読むと、私がそういう時代に誰のファンだったかがばれてしまうのですが、アミルカル・カブラルという人ですね、ギニアビサウおよびカーボベルデという国の独立運動の指導者です。アフリカ史に少し詳しい方はご存知のように、アフリカの植民地解放運動というのは暴力的な闘争をあまり伴いませんでした。しかし、いくつかの少数の国々だけは武装闘争に訴えざるを得なかったのですが、それは、最後まで往生際悪く粘った世界最古の帝国ポルトガルが植民地を手放さなかったからなのです。その武装民族解放闘争の指導者でカブラルという人がいるのですが、彼らのやった運動というのは注目すべきものです。彼の運動は、帝国主義に対するアンチテーゼとしての第三世界論なしには語ることができません。そういうものを軽々と無視してしまうアーレントというのはやっぱり、途上国の人々の、帝国主義に踏みにじられた歴史というのを軽く見ている。近代が作り出した途上国の人々への暴力性とかそういうものについては、彼女は関心が薄いということなのです。そこを際立たせたかった。十分に際立たせられなかったかもしれませんけど、それ故アーレントから話を始めた、ということなのですが、斉藤さんの質問に答えられているでしょうか。

聞き手(斉藤氏):

今ちょっとシャバルの話が出てきましたが、1983年には『アミルカル・カブラル』という本も書いていますね。カブラルの研究者として始まったシャバルが何故そこまでそういう展開をしたのか、という話もなかなか興味深いと思いました。

話し手(高橋氏):

そうですね。今でもギニアビサウというのは世界の最貧国です。戦争自体を賛美することは良くないことと思いますが、今でも非常に尊敬をされているカブラルは、ジャングルに入ってポルトガルの支配と戦った訳です。もちろんお互いに殺し合いをするのですが、カブラルはポルトガル兵が捕虜になると、(研究者としては証拠を良く確かめる必がありますが)非常に丁重に扱ったと言われています。他方で、ポルトガル軍は、捕まったギニアビサウ人に滅茶苦茶なことをして殺したり、見せしめのために拷問をしたり色々なことをするのです。その時のポルトガルの政権は、本国でもファシスト政権、ナチズムのなれの果てであったのです。スペイン・ポルトガルには第二次世界大戦後にも残っていたファシスト政権は、植民地支配を1つの正当性の根拠としていた訳ですね。彼らは植民地でひどいことを沢山するのですけれど、カブラルはそれに対し同じように報復するのではなくて、反対にポルトガル人を人道的に扱うということによって、道徳的な勝利をしていくのです。そしてギニアビサウの人たちは(アフリカの他の社会がそうであるように)字が読めないのですけれども、カブラルが率いた解放勢力はポルトガルと戦いながら、彼らに字を教えていくということを同時にやったのですね。保健サービスも施していく。それは、戦争で戦っている反対側にいる、ポルトガルに支配される側にいるギニアビサウ人にはとても享受できないサービスですし、場合によっては宗主国ポルトガルの田舎へ行ってもそういう人間開発政策は行われていない可能性がありました。その頃のポルトガルは非識字率の高い国で、一人前の先進国とはとても呼べなかった訳ですからね。植民地で敵となった肌の黒い人たちに、解放闘争によって否定されているのは何か。そこで一番ショックを受けたのは、実はポルトガル人の若い人たちですね。当時のファシスト政権で一番エリートなのは軍人ですね。ギニアビサウの闘争に触れて若い軍人は、ポルトガル自体を変えなきゃいけないというふうに思った訳です。現代史に詳しい方はご存知のように、ヨーロッパの歴史に「リスボンの春」という事件がありました。それは何かというと、ファシスト政権の下で、ファシストの考え方を教え込まれて育ったはずのポルトガル人の青年将校が、首都リスボンでクーデターを起こすのです。それでファシスト政権を打倒して、次に彼らは植民地、ギニアビサウ、カーボベルデ、アンゴラ、モザンビークといった国々の植民地解放勢力と握手をし、独立を認めていくのです。それによってポルトガル自体も、植民地支配とファシズムという支配の病気から解放されていく訳ですね。カブラルの戦いが、道徳的にもヨーロッパの側が変わるという化学反応を起こしたというふうにその頃言われたし、一言で言うと「カブラル好きの私」は(十代の私にとって、カブラルは天地真里や南沙織より魅力の強いアイドルだったのです)はそのことに深く魂を揺さぶられた気がしましたし、今でもその感動は心に残っています。

聞き手(斉藤氏):

中国革命、中国八路軍の戦いというのも思い出させるはなしです。さて今みたいなあたりはあまり馴染みがないと思うのですけれど、折角だから聞いてみようという質問があったら、どうぞ。

話し手(高橋氏):

どなたかの質問の中に、何故第三世界論がそんなに強い意味を持っているのか分からない、というのがあったと思います。1948年、世界人権宣言が出されます。そのことの意味は何かというと、ヘーゲルやアーレントにとって文明社会というのは、言ってしまえばヨーロッパの中にしかない訳です。高橋哲哉先生が書かれていますけれど、アーレントにとっての世界というのはせいぜい地中海の反対側位しか含んでない。まあイスラエルとかその辺はまだヨーロッパ社会、世界であるかもしれない(北アメリカはもちろん入りますが)。しかし世界人権宣言の非常に大きな意味というのは、その外にいる人たちも同じ様に人間なのだというふうに考えられているということですよね。まあしかし、世界人権宣言は1つの象徴的なものでして、この理想が本当に実現されていくのは長い時間がかかっていると、開発屋である私は思います。世界の人類全員同じ様な人間開発の権利を持っているので、例えば全ての人間1人1人をデータの対象として人間開発指数の計算をするのですが、そういう作業は1990年代まで実は行われなかった訳です。この例をあまり強調すると、80年代までに必死に開発の努力をした人たちにとって失礼になるかもしれないですけれども。それぞれの社会の人々が植民地から解放されてそれぞれの社会の主権者になるまでに、非常に長い時間がかかっています。アジアやアフリカの沿岸部の一部は長い間植民地支配をされました。ラテンアメリカは19世紀に独立はしていますけれど、本当の独立国だったかどうかは疑問ですよね。途上国といわれる社会の人々が、世界の、人類社会の1人1人の構成員になるまで長い大変な闘争を経ている、ということを我々は忘れがちなのです。きれいに人間開発をしようとかを、60何億人に対して計算をするというまでに、血みどろの戦いが行われているというのが、以前確認した私と斉藤さんの一致する認識なのですけど、それを少しでもおどろおどろしくならないような形で皆さんにお伝えしたかったのです。もちろん世界の人々が解放されてゆくのは、一部の良心的な欧米人の側が手を差し伸べてという部分もあるかもしれないけれども、実はむしろ途上国の人々が闘ってあるいは努力をして勝ち取ったもの、勝ち取るべきものだというふうに考えるべきなのではないか。同じ趣旨のことが日本国憲法前文や12条にも書いてあります。人権とか自由は戦って、不断の努力をして勝ち取るものだということです。やはり人々が平等になり自由を獲得していくには、色々な闘争と苦心を経ていかなくてはなりません。学会とかで開発を綺麗に技術的に喋っていくと、そういうところがどんどん抜け落ちるのです。もう1回開発研究にそういう歴史的なものを呼び戻さなければならないと伝えたかったのが、私がアーレントとかカブラルとかを振り返った理由でしょうか。

聞き手(斉藤氏):

私はもうヒシヒシと感じて。もう1つ出てくれば良かったなと思うのが、まあこれは文脈が違うから出てこなかったのかも知れないけど、非同盟運動。

話し手(高橋氏):

そうですね。

聞き手(斉藤氏):

1955年のバンドン会議から始まる非同盟運動、強いて言えばついこないだのカンクンWTOの時のG77、そして今のG20に至る動きというのは、今の第三世界論のケースと同じでやはり「敵は誰だ」という問題な訳ですね。そこの「敵は誰だ」という共通性というのは、何と言うかリアリティみたいなものがスルッと抜けてしまうのがおかしいですよね。

話し手(高橋氏):

はい、それはまた別に本を書きたいと思うのですけれど。

聞き手(斉藤氏):

書いてもらわなくてはいけないから、今の内にあおっておかないと。

話し手(高橋氏):

『開発と国家』だと最後の方に中国の話が少し出てきますが、中国は例えばスーダンの今のバシール政権を、まあ言ってしまえば欧米の批判に対して実質的には擁護してきた訳です。ただ、最近のスーダンの話だけで中国の役割を実は片付けることはできなません。特に1970年代、中国は非同盟運動に参画して、アフリカ人から色々感謝されています。例えばTAZARA、日本語で言うとタンザン鉄道というのが、タンザニアのダルエスサラームからザンビアの真ん中辺り、厳密に言うとカピリムポシという駅まで走っている訳ですけれど、今では世界最悪の国際鉄道の一つのように言われています。でも作られた時はですね、こんなすごいものを作ってくれてどうもありがとう、熱烈歓迎です。日本も世界銀行も誰も何もやってくれないのだけれど、中国人は労働者をいっぱい派遣し暑い中一生懸命労働してくれて、低い金利でお金を貸してくれて、すごく長い鉄道を作ってくれる、それによってザンビア経済が生き延びられる余地ができる、そういうことを中国はやっている、これも非同盟運動の1つの形でした。日本の南南協力をヨーロッパの援助国の人たちもすごく評価していますが、東南アジアとアフリカの人たちにとってはもうちょっと違うのです。実は欧米に対抗する中でのアジア・アフリカの連帯というものには歴史的な意味があります。こういうのは、ドイツやアメリカの大学の奥深くで、アジア・アフリカの連帯なんて絵空事だ嘘っぱちだと言っているような政治哲学者には絶対分からないだろうというは、1つの怒りを込めて書いていることでもあるのですけれど。まあこの本の主題ではないので、詳しくは掘り下げないことにします。

聴衆1:

第三世界というと斉藤さんが言うように非同盟諸国のことで、第三世界という言葉自身は、元々毛沢東がいた時は、世界の農村が世界の都市を動員するという文脈で使われていました。当時毛沢東がそれを言い始めたのは(文革を始めた頃ですけれど)、中国とソ連が喧嘩をし始めた時です。だから脈略としては帝国主義に対抗する途上国なり旧植民地国なりを指すもので、所謂今の途上国全体を指すよりもうちょっと違ったニュアンスで言われていたと思います。

話し手(高橋氏):

なるほど、そこは重要かもしれません。

聴衆1:

ただその後第三世界という言葉自身がもの凄く広がって、サードワールドと言えば所謂途上国のことと、どこの人でも知っているようになったのです。サードワールドという名のレゲエのグループもある位です。そのように広がってしまって、今言われた非同盟諸国や、最初毛沢東が言った第三世界にあった、帝国主義に対抗するという意味を失ったのだと思います。その辺りはどういう認識でいらっしゃいますか。

話し手(高橋氏):

例えばマイケル・トダロとスミスの開発経済学という、日本語にも訳されている分厚い教科書を読んだ方もいらっしゃるかもしれませんが、トダロが昔1人で書いた教科書はですね、『Economic Development in the Third World』というタイトルです。トダロというのはアメリカ人。ニューヨークで教えていて、アメリカの開発経済学者の中でも非常に尊敬されている人なのですけれども、そのアメリカ人がThird world(第三世界)という言葉を使っていた。今も欧米の人は慣用句的に使っていますよね。だから、第三世界というのは途上国のことを、おっしゃるとおり、反帝国主義ということを抜きに用いられていた言葉ですね。それだけ定着した言葉なのですよね。ここで、「何故3番目か」ということが重要ですね。第一世界、The first worldって何かと言えば、それはもちろん欧米の帝国主義者の世界です。日本も多分その仲間になるために明治以来一生懸命頑張ってきた訳だけれども。しかし皆あまり考えていないのが、Second worldのことです。

聞き手(斉藤氏):

もうなくなったSecond worldですね。

話し手(高橋氏):

それは言うまでもなく、ソ連を中心とした東欧圏というか、社会主義ブロックです。ソ連プラス東欧側の陣営が第二世界ですよね。そしてこれを、一部の人たちは社会帝国主義と呼んだ。誰が呼んだかというと、私の記憶が正しければ毛沢東です。社会帝国主義。社会主義者と称しているのだけれども、実は言ってしまえば中国その他をいじめている帝国主義者とは別のもう一つの帝国主義者。非同盟運動の非常に重要な点は、1940年代からインドとかインドネシアとかが独立してくる訳ですが、彼らは世界を支配している2つの巨大な勢力、すなわち第一世界と第二世界とは同盟せずに自立してやっていく。ただし、1人1人は力が弱いので連帯をしていくということを目指したのです。

聞き手(斉藤氏):

反覇権って類になるのかな、あれは。

聴衆2:

そうか、第四インターナショナルは第三世界という言葉は使わなかったのですね。

聴衆1:

それは何故かと言うと、70年代までは労働者国家だったからですよ。当時第四インターナショナルの世界認識では、ソ連も中国も「堕落した労働者国家」、すなわちソ連も中国も社会主義で同じブロックにいたのです。その後、第三世界という言葉はあまりにも普及したので普通には使いますけれども、あえて厳密に言う時には、区別してなるべく使わないようにしていました。国際的にもそうです。中国派が作った第三世界だけれど、先進国と途上国の違いを表すという意味で、普通に使用したということですね。

話し手(高橋氏):

それと、東側陣営、すなわち第二世界との区別も重要ですね。その頃の第二世界はいわゆる途上国は含まないと見なされていました。そして1955年にバンドン会議。インドネシアにバンドンっていう所があってそこで行われたのですが、皆さんもご承知のとおり、もうすでにその頃にはかなりのアジアの国々が独立している訳ですね。インドの独立は1947年、インドネシアも1947年、マレーシアは遅れましたが、1957年。インドシナもそれに前後して独立しました。しかし重要なことはですね、これが「アジア・アフリカの連帯のための」会議だということです。アフリカの年は1960年ですよね。だから1960年にならないとあまり多くの国は独立していないのですけれど、1955年にそこに多くのアフリカの指導者が参加しました。まだ植民地支配下なのですけれど、民族解放運動の指導者がそこに呼ばれて、「みんなで手を繋ごう」という形で国際的に彼らの存在が認知されるというのはとても重要な意味があるのです。そういうことが全部アーレントの話の中では無視されています。今私の話を聞いていて面白いなと思ってくれる方がいらっしゃるかもしれませんが、そのように興味を持つきっかけになればという意味で『開発と国家』を書いている面もちょっとあります。そしてネルソン・マンデラが捕まるのは1962年。彼も1950年代から60年代にかけてのアフリカ解放の戦いの中で、1人の有力な指導者として国際的によく知られていたのです。マンデラはその頃から、南アのアフリカ人勢力を代表する指導者だった訳です。そういうものを後押ししたのも、1950年代から非常に強くなっていった第三世界論だという認識を私は持っています。ということでお答えになっていますか。

聴衆1:

確かに高橋さんの仰った通り、最初に第三世界と聞いた時には2番目というのはそういう規定だと聞いていましたが、今は全く違う意味の文脈ではないですか。

話し手(高橋氏):

まあそうですね、今は全く違う文脈かもしれないですね。

聞き手(斉藤氏):

では次の構造調整に話を移しましょう。なぜ「突き刺さった棘」なのかを話してください。

話し手(高橋氏):

構造調整というのは、アフリカで1980年代に始まりました。言ってしまえば小泉改革的なるものを先取りしたことだと考えて頂ければいいと思います。その1つの証拠は、小泉改革の正式名称は四文字熟語で言えば「構造改革」なのです。構造を変えるということが構造調整と共通している。「調整」と柔らかい言葉が使われていますけれども、『開発と国家』に書いてある通り、これはそれまでアフリカ人の政府がやろうとしてきたことをかなり根本から否定する動きだったと思います。どこの誰が始めたか、誰の頭の中にその発想があったかということが大事なのですけれども、それは明らかに、アメリカの首都ワシントンを拠点とする、新古典派と言われる経済学の体系がベースとなった主流派経済学を一生懸命勉強して成績がよく、博士号を取って世界銀行と国際通貨基金(IMF)(ワシントンに本部があります)に入って行った人たちです。彼らの背後に誰がいたかは深く書いていませんが、アメリカの政府特に財務省ですね。ワシントン・コンセンサスという言葉があります。これが小泉さんと竹中さんがやられた改革を通じて、非常に日本にも大きな影響を与えた訳ですけれども、その大きな発信源はワシントンなのです。この考え方を作り出していった人たちというのがワシントンに集まっていた。彼らが持つ力については色々な説明のしかたができますが、研究者として私が非常に興味を持っているのは、その1つの紙の上の教科書の中にある理屈の世界が、世界の人々の運命を変えるような力を持っていたということなのですね。そこでこのことを私の本で問題にしたのです。

さて構造調整というのはどの様な考え方か。皆さんもアダム・スミスの名を聞かれたことがあると思いますけれど、彼の思想は自由放任主義だという言い方をされます。みんな経済活動を自由にやってくださいという。市場と言われる売り買いの場へ行って、欲しいものを買い、自分が作りたいものを作って売る。何の為に作るかというと、自分の利益の為に作る。そうやって自分の利己主義的な利益を追い求めて、皆が売ったり買ったりすることによって、世の中全体が上手くいく。という風に自由放任主義、神の見えざる手っていうのは説明されてきた訳です。単純化して言うと、そういうものをもう1回、1980年代以降にですね、政策としてはっきりと打ち出して世界中に広めていこうとしたのが新自由主義です。そういう風にしていって必然的に問題になるのは、市場の邪魔をしている、自由な取引の積み重ねを邪魔している物を退かすということですね。その物とは政府の様々な役割ですが、政府を退かして究極的に現れるものは何かというと、「小さな政府」。できるだけ小さい政府を作っていかなくてはいけない。アメリカのレーガン大統領とかイギリスのサッチャー首相というのは、そういう考え方を自分達のイデオロギーとして強烈に持ち、自国の政策を作っていった訳です。そのことがIMFや世界銀行のやることを通じてアフリカにも及んでいった。場合によってはラテンアメリカにも及び、アジアの国々も少なからず影響を受けました。しかし非常に大きなコストを伴い、アフリカには大きな政治経済的な変動が起こって、アフリカ人の指導者は自分達が追求しようと思っていたことが追求できなくなっていった、という歴史があります。世界銀行やIMFの権力は果たしてどこに根ざしているのか。両機関がアフリカのそれぞれの主権国家の運命を非常に変えてしまう、というその根拠はどこにあるのか、彼らの頑なさの根っこというのはどこにあるのか、という問いが、研究者として、理論や思想を考える人間として、『開発と国家』全体を貫く動機のひとつとなっています。

さて構造調整は例えばこういうことを起こしました。アフリカに興味はある方はご存知のタンザニアという国に、ニエレレという独立・建国・開発の父、現在のタンザニアでも尊敬されている大統領がいました。彼はウジャマーという理想を掲げて、その考え方の基で国家を社会主義的理念で導いて開発を進めようとした訳ですが、1985年その志もあえなく辞任してしまうのですね。本に書いてありますけれど、ニエレレというのは「自分が間違っていました、ごめんなさい」と認めて辞めた初めてのアフリカの大統領です。後を頼むと言って後輩に譲っていく訳ですけれど、彼がどうして間違いを認めざるを得なかったかというと、ここでも構造調整が大きく関係しています。アフリカ社会主義というのは、例えばアフリカ日本協議会のメンバーでもあられる吉田昌夫先生達が書かれた『アフリカ現代史』とかを読むと、アフリカ諸国の独立後の20年位の間は、輝ける国家建設の理念なのですね。そういうものが80年代になると構造調整によって息の根を止められてしまいます。そうした、それぞれ独立国であるはずの国々の国家の理念、あまり今は使わない言葉を使うとすれば国是というものが、外からの力によって潰されてしまう、といったことが何故起きたのでしょうか。IMFや世界銀行には間違いなく権力があります。アメリカという世界で最も力を持った国の財務省がその背後で支持をしています。というよりも、アメリカはIMFや世界銀行の大株主ですから、政策を左右する力があるのです。そのアメリカの力によって、彼らの権力が支えられています。同時にアフリカの国々は、1970年代、80年代に、資金繰りが非常に厳しくなっていくので、お金貸してくれる人たちの意向にとても弱くなりました。

しかし何故中身が自由放任の考え方なのでしょうか。もっと問題視しなくてはならないのは、次のことです。私にはIMFや世界銀行に何人か友達がいて中には非常に親しくしている人もいますが、彼らと個人的に話をして感じるのはしばしばとても正義感があるということです。自分達がこう非常に厳しい政策をケニアに対して要求すると、もしかしたら子どもが死んじゃうかもしれないとか、学校に行けなくなっちゃうかもしれないとかいうことも、1人1人かなり自覚的なのです。自分の責任というのを重く考えています。それにもかかわらず彼らは、自分達が考えた政策をやり抜くという、まあ言ってしまえば気迫を持っている訳です。私にしてみればそれは転倒しているのではないかと思う部分があります。その証拠は何かというと、その後の構造調整はアフリカを開発に導く、或いは貧困削減に導くことに成功しなかった訳です。IMFはともかくとして、世界銀行は開発を進める機関ですから、貧困削減という結果をもたらすことができなかったら、それについて説明責任を問われなければいけません。実際説明責任を問われて、少なくとも彼らの表面的に言っていることは、90年代に大きく変わります。しかしそれは口先のこと、お題目を変えていることに過ぎないようにも見えます。ですから、1980年代の彼らのものの考え方のどこに問題があったかということを問う必要があります。これは3番目のご質問にも関わってきます。

ちょっと難しい話になりますけれども、我々が昔考えていた、世界全体をこう変えなきゃいけないという思想は、現在多くの若い皆さんがあまり関心を持たない、社会主義思想だったりしました。マルクス主義というのがあり、私なんかは20歳位まで、これは世界を変えるいい思想だと信じていました。歴史の進展に従って世界は社会主義へ、最終的には共産主義へ行くと中学の時から左翼の先生に教えられていました。20歳位になると疑い始めるのですが、1回頭のこの辺にこびりついたものはなかなか離れず、やっぱり抜きがたいものがありました。さてこうした知の体系の力というのは非常に強いものでして、多くの中身を含んで全体が論理整合的に作り上げられている。このことに我々はある意味で騙されていた訳です。その理念に沿って最もきちんと作られた国であるソ連というのが、ああやって非常に見事に木端微塵に砕け散ってしまった訳ですよね。私が思うに、ソ連に対して、社会主義に対して、最も見事な抵抗をした理念の体系は何かというと、それは新古典派経済学です。何故かと言えば、社会主義の理念は、世界全体のことを誠実に考えている、賢明で大きな政府がものの配分を考えた方が、人々が利己的に自分のことしか考えないでやるよりもうまくいく、というものです。アダム・スミス以来の考え方はそうではなく、これを引き継いだ新自由主義・新古典派経済学では、一人ひとりが個人的にそれぞれの生産・売買の現場で自分の意志でものを決めていく世界のほうが正しいのだと考えたのです。社会主義が非常に集権的だとすれば、市場の世界は非常に分権的。この考え方が最も見事にぶつかり合ったのが、イデオロギーの面からの冷戦です。冷戦の理念的次元と言ってよいと思います。

実は、新自由主義・新古典派経済学の考え方というが最も分権的であるにもかかわらず、その考え方を世界に押し広めようとした構造調整は極めて権力的です。その皮肉を、それをこの本で表したかったのです。この理念的な権力性はどこから出てくるのか。それはおそらく理論とか一貫性とかいうものに対する、我々の信仰というものの中にあるのではないか。理論を常に進めていこうという思いが自分の頭の中に常にあって、自分の体系から外れるものは見ようとしない。異物を取り入れようとしない。何か違うものがあった場合でも、自分と同じものとして常に解釈していこうとする。こういうのを、私の理解が正しければ、ハバーマスという、アーレントより更に若い世代の現代ドイツの哲学者が、古いマルクス主義を批判の特徴として、モノローグと呼んだ訳です。モノローグはダイアローグ(対話)の反対語ですけれども、自己との対話でしかない、と。自己との対話と言うと何だか、座禅を組んでいる人とか、自己を見つめることとか、とてもいいことのように思うのですが、常に異物や他者というものを排除しているものであり、そうではなく異物と対話する必要があると言ったのです。

もう1つ重要なことは、先進国(日本が先進国だとすれば)で子どもの頃から勉強ばかりさせられ、一生懸命学問体系を積み重ねている我々が、世界の中でその異物と対話をするためには、実は異物の側が発話をしてくれなくてはいけないということです。人類学者の方がいらっしゃったら叱られるかもしれないのだけれど、先進国に住んでいる人類学者が他者を知ろうとする努力というのは、彼らがある地へ出掛けていき、そこに昔のまま生きている人たちの暮らしを自分の視点からくみ上げて帰っていくというものです。少なくとも昔はそうでした。そうではなくて、アフリカ自身が発話をしなくてはいけない。そういうことを言いたいが為に、最も典型的なモノローグの1つである世界銀行やIMFの人たちのものの考え方を取り上げました。彼らは、自分達が教科書の中で学んだものと同じ様に色々なことが必ず起こるに違いないと信じ、大きな失敗をしでかします。彼らは、悪い政府を退かすと良い市場が自然に現れ、市場が物事を効率的に配分していくので、アフリカ諸国の病である財政赤字、国際収支の赤字、その帰結である対外債務だとかが皆きれいに無くなり、経済成長がうまくいって貧困が削減されていくと考えたのです。首尾一貫した論理的な青写真を描いた訳ですが、実はそれは起こらなかった。このことが開発というものの持つとても重要な側面に関係していると思うのですけれど、私は、彼らが持っている理論や理念の問題性に、もう少し深く掘り進んでいって批判をしたかったということなのです。ですから、第2番目の構造調整の問題と第3番目の新古典派経済学の前提にある人間像を見直す話というのは関わっているのです。

さらに言うと、その論理整合性によって自分を含む多くの人を心酔させ、20世紀に大きな悲劇をたくさん作り出した社会主義を批判したかったのだけれど、今社会主義を批判してもあまり意味がないので、もうちょっと現代日本にとって意味のある、小泉さん竹中さんの構造改革を念頭に置いて、それと基本的に同じものである構造調整の問題を材料にしながら、「近代の知」の権力性を明らかにしたかったという面もあります。その意味で私の構造調整へのこだわりはかなり強いものでもあります。だから胸に刺さっている棘というだけでは足りず、心臓の近くに入ったままの銃弾というか、正直に言えば、自分にとってはまだ消化しきれずに残っているものです。今までの話しは、構造調整に関するご質問の答えになっていますでしょうか。聞いておられる皆さんにとっては、耳慣れない話しもあったと思うので、この辺がちょっとよく分からない、特に構造調整と社会主義の関係が全く分からなかったなど、言って頂ければ、さらに説明したいと思います。ただ、一つ断っておきたいことがあります。力を持ったものは自分の考え方を弱い人たちに押し付けるところがありますが、私はそれ自体を全て絶対にいけないと言っているのではないのです。力の強い欧米の圧力によってもしかしたらダルフールでの悲劇が止まるかもしれない、いいことが訪れるかもしれない。物事には必ず2つ以上の面があるのであって、そうしたことを絶対駄目だと言っているのではないのです。しかし我々が良いことをしようとする中にも必ず権力性があり、その権力性というのを忘れてはいけない。例えば誤解を恐れずに援助国と途上国の関係をあえて親子になぞらえさせてください。親が子どもを自分が思う良い人間に育てようと思うけれど、そこにも権力性が伴う。従って子どもが人生を自分のものにしていくためには、その親の権力というものをどこかで捉え返す、親離れの時期は絶対に必要です。世界の皆さんを自由にしよう、市場取引を自由にしよう、政治を自由にして民主化を進めよう、という動きの中にもそういう権力性は多く紛れ込んでいる、ということを私は言いたかったのです。従ってこれらはよほど気を付けてやらなくてはいけない。だから、マルクス主義のソ連が、(トロツキーが結成した第四インターナショナルより前にあった)第三インターナショナルで世界中に「革命の輸出」というのをやっていたのですが、構造調整というのは、「近代の知」が持つ権力性と同様に、そういう革命の輸出に非常に似ている面があるという風に私は思います。少し分かって頂けたでしょうか。

聴衆3:

全く分かっていなく恥ずかしいのですが、構造調整というのは、アダム・スミスの「個々が利益を追求すれば全ては最終的には上手くいく」というのを世界に広げようというものですか。

話し手(高橋氏):

アダム・スミスのというよりも、再構成された彼の考え方ですね。彼の考え方は、何回も何回も歴史の中で状況に応じて再生産されていくのです。20世紀には20世紀で、アダム・スミスの考え方を20世紀版に焼き直していく思想家・理論家というのが何人も現れました。20世紀後半に入ってから、アメリカを中心とした経済学の中で新古典派という人たちの考え方が非常に強くなっていき、数学的に高度に経済学が発展した訳です。彼らのその数学的に一面で辛い作業を支えていくイデオロギーは、自由放任、市場の原理を重視することがいいことだという考え方なのです。

聴衆3:

それを広げようとするのが構造調整ということですか。

話し手(高橋氏):

もちろん、IMFや世界銀行の人たちは公式にはイデオロギーを広げてゆくとはとは言っていません。先ほどの話の中で、ちょっと言葉足らずだったところがありました。1つ重要なことは、例えばタンザニアでは借金が積もりに積もってしまってお金が返せなくなってしまった。何が次起こるかというと、輸入ができなくなる。それぞれの家計やお財布と一緒で、借金を返すばかりだとそのうち段々と電気代も水道代も払えなく死にそうになるように、タンザニアは輸入できなくなり、飢えている人がいるのに食料が買えず、子どもの予防接種のためのワクチンが買えなくなるという状況に陥っていく。しかし政府は、IMFや世界銀行の理念は自分たちと違うという理由で、お金を借りようとしなかったのです。何故かといえば、当時1回お金を借りたら、IMFや世界銀行は自分たちの言う通りにしなさい、政府が色々なことをやるのをやめなさい、もっと国民が自由に市場で出会い、自由にものを買い自分の欲しい値段でものを売ることを認めなさい、と言うに違いないからです。そして3年も4年も頑張っている内にどんどん借金が溜まり、結局国が破綻しそうになったのです。そこでニエレレは、「頑張ったけれども、結局皆さんと約束した通りには国は作れなかった」と言って1985年に辞めてしまう訳です。そこで迫られたことは何かというと、先進国と同じように政府は程々に小さく、基本的には市場経済によって経済の原理が動いていくような社会を作りなさいという、IMFや世界銀行の条件だったのです。実際にはそうしたかたちで権力的に市場原理が世界に、アフリカに広げられていきました。

聞き手(斉藤氏):

ただここでやはり忘れてはいけないことは、「先進国と同じように」と言っても先進国も一枚岩な訳ではないということ。だから今高橋さんが言ったことを、日本語で一番馴染みが深い言葉で言ったら、やはり「規制緩和」。新規参入の為の色々な許認可制度を止めてしまえ、政府が事業を実施するのを止めて民営化しよう、とこの2つですよね。そういう意味では、文字通り1980年代から90年代にかけて、途上国で構造調整という名前の規制緩和と民営化というのが進行したです。その帰着として90年代の終わり位になったら、ユニセフの言葉で言えば「人間の顔をした開発」が必要だということになりました。規制緩和や民営化によって市場が活発化するという理屈の話だけではなくて、色々な社会的サービスもそれで賄われるはずだと、言われていた訳ですがそうはなりませんでした。それを見るというのは、今の日本を考える上で非常に参考になると思います。そういう読み方も、この本は明らかにできると私は思います。AJFの稲場が「流儀」という本の中で、南アフリカではその規制緩和や民営化を1994年以降に今のANC政権の下でどんどん進めさせられている、その意味で日本から見た「先進国」だと言っています。また、ANC政権が進めてきた新自由主義政策に批判的なムベキ大統領の評伝を読むと、少し可哀想になってしまいます。ニエレレは結局自分の本心でやろうとしたけれどもできないから、謝って辞めるしかありませんでしたが、ムベキという人にも、ある意味ではそういう側面があるのです。仲間内の評判が悪くなって、とにかく内輪の選挙で勝てなく、辞めざるをえなくなりました。去年の日本の政権交代も似たようなところがありますよね。かつての小泉首相の下で、規制緩和や民営化が実施され、これで何かいいことがあるに違いないと皆思って、自民党政権下で初めて2005年に投票率が伸びました。小泉票というのも900万票位ありました。その期待感が裏切られたと皆思ったのですよね。裏切られたかどうかというのは、分かるような分からないようなところがあるのだけれど、そういう風に思われているということと、後半に書かれている構造調整の話というのは、なんだかすごくよく似ているなと思います。

話し手(高橋氏):

少し整理をすると、ムベキとか小泉が退場したというのは、どちらかというと新自由主義に近寄りすぎた、格差の拡大や新たな弱者の発生ということに無頓着すぎたためだと思うのです。ニエレレは逆で、ニエレレは社会主義的なものを守ろうとしたけれども、どちらかというとIMFや世界銀行の力で倒されてしまった。アフリカの建国の父の中にいる何人かの同様の人たち、ニエレレの親友であったザンビアのカウンダもそうですけれど、彼らの退場においてその力は強く働いた訳です。さて私が世界銀行やIMFの職員だったら、やはりこういうことをすると子どもも死んでしまうし、公務員の首を切らなければいけないけどその背後に20人も30人も家族がいるから可哀想だなと認識はする、しかし、いちいち気にしていたら、この仕事はやっていられない、理論が命ずるとおりにすべきであるという気に間違いなくなったのですよ。それを彼らにやらせてしまう程の強い力を、経済学の主流、即ち新古典派経済学というのは持っています(或いは持っていたと言うべきかもしれません)。そして、その力は世界銀行やIMFが進めているだけではなく、かなり一人歩きして世界中に市場原理というものをどんどん広げていっている訳です。先ほど言ったように無理矢理推し進められている面もあるけれど、一方でレッセフェールというか、皆がお金儲けを自由にやるのはいいことだという認識が、今世界中に、中国にもインドにも広がっている。この流れというのはかなり無理矢理作り出された面があるのだけれども、我々はそれを止めることは恐らくできない。ではこのままでいいのか、という問題を、本の後の方で私は問いかけているのですけれど、自由放任だけで社会が動いたら危ないだろうと皆さんが思う理由は沢山ある訳です。

この本自体には書いていないことですが、実はアダム・スミスにも2つの面があると言われているのです。彼は『諸国民の富』という本の前に、もう1冊『道徳情操論』という本を書いていますが、そこではモラルが非常に重要であるということを記しています。彼は、政府の権力によってものを規制したり、規制を緩和したりするのはいけない、基本的に市民に任せなさいと言ったのです。人間というものに任せなさいと言ったのは、実は人間というのは利益を求める心だけではなくて、心の中にもう1つモラルを持っているので、決して自由放任したからといってひどいことにはならないという、人間に対しての信頼があったからだと思います。逆にモラルが十分でないのであれば、それはモラルを作っていかなければならないということに繋がっていく。しかし我々は今グローバリゼーションのこの世の中で(日本の社会の中でもそうですけれど)、規制緩和に伴ってきちんとモラルの面も強化していっているのか。我々は、どんどん増殖し強い力を持っていく市場の力を制御できるだけの社会の力、道徳の力を持っているのかを問われていると思います。

3番目の人間像を問い直さなければならないというのは、かなりの人が関心を共有してくださることだと思うのでそのことに触れてお話を終わらせて頂きます。実は、仲間の経済学者から、この本で、人間像を問い直すような余計なことはしなくていいのでは、アフリカの話しに関心を集中すればよいのではとか、そうやって大風呂敷を広げたので本全体を締めくくれていないのではとか、言われています。大風呂敷を広げるというのは、つまり人間像を問い直すことを指しているのですが、つまり主流派の経済学(新古典派経済学と言ってもよいかもしれません)の前提を疑うということですね。私は超一流の経済学者ではなく地域研究者で、経済学の大きな体系から言うと一番はずれの方に居る訳です。地域の現場の中で、いつもあっちへ行ったりこっちへ行ったりして苦しんでいて、現実のことを経済学的にどう解釈したらいいのかといつも答えが出せず悩んでいる人間が、主流派経済学の前提に挑戦すべきだとぶち上げて、そして答えが出せていない。こういうのを難しい言葉で言うと、龍の頭で始まりながら、蛇の尻尾で終わるという「竜頭蛇尾」ではないか、という批判をされています。実は、このような批判をされて悔しいので別の本をもう1冊書かなくてはと思っているのですが。

基本的に経済学の体系として、新古典派経済学はある意味で一番優れていると思うのですね。前提が一番明確で、そこから数学的に解き起こしていくと、市場全体の一番効率のいい状態は何かということまで全部数学的に解けてしまう。何人かの方は「パレート最適」という言葉を聞かれたことがあると思うのですけれども、パレート最適を導くための理論というのはそうした論理一貫性という意味では優れているのですね。

だけど、ここからが肝心なのですが、仮定されている前提条件を1個1個覆していくとどんどん論理体系が崩れていく。そうしたやり直しの作業をを今進めているのが経済学理論の最前線の方々だと思うのです。そういうことをやっている人たちに理論家でない私も「頑張って、皆さんのやっている方向性は正しい」と言いたいのです。何故正しいと私が思うかというと、実は単純な事実に基づいています。皆さん1人1人、それからアフリカ人1人1人は、ミクロ経済学の教科書の最初の部分に書いてある人間像とは全く違いますよね。アダム・スミスの片面である、自分の利益しか追い求めない人間とは全く違う。我々はやはり家族や仲間のことを心配しているし、時々倫理的に悪いことをしたりするとやはり後ろめたいと思うし、しばしばそういうことで悩み苦しむ人間なのですよね。そういう多面的な人間像というのを研究の中にインプットしなければいけない。目の前にある経済を、どちらかというと利己主義的な人間・人間像だけを道具に、理論だけで分析して「こういうことが言える」とした究極のかたちが構造調整だと思うのですね。それでは、うまくいかなかった。何故うまくいかないかというと、1つに、皆決して利己主義的なことだけで個人的に動いている訳ではないからなのです。もう1つ、話がややこしくなるようですけど、実は市場経済に参加している人が徹頭徹尾利己主義的かと言うと、そうではない訳です。これは経済学者の一部の方からは強い反論を受けることもあるかと思いますけれど、本当に利己主義的だったらお金を払わず物を盗むのが一番合理的なのですよ。自分のコストはかからない訳ですから。従って世の中で万引きばかりある社会は、一番利己主義的な人たちが自由放任で生きている社会です。ところが利己主義的なはずの市場は実は皆がきちんとルールを守ることで成り立っている。

聞き手(斉藤氏):

そうしないとそのお店、市場が無くなってしまう。

話し手(高橋氏):

そうですね。斉藤さんの反論は一部の経済学者と同じです。そのことを考えれば、みんなが万引きをすることは大局的、長期的にはみんなのためにはならないかもしれません。

聞き手(斉藤氏):

利己主義に走れば走る程、機会主義の機会が成り立たなくなる。

話し手(高橋氏):

しかし、現実には、日常的に全体の市場秩序が壊れると自分の利益にならないからルールを守ろうという考え方をしている人はほとんどいないでしょう。そういう見方は多分、鳥の目を持っている誰か、すなわち神の目ですよね。みんな、自分自身が万引き、詐欺、ちょろまかしは道徳的に良くないと思うからこそ、そうしないのではないでしょうか。そして、法の支配があるところでは、それらの不正行為への罰や制裁を恐れるということももちろんあると思います。しかし、その恐れだけで、日々の無数の市場取引が支えられているわけではないと思います。

聞き手(斉藤氏):

それはたまたま既にあるものを利用しているからそういう話になる訳では。やはり市場の形成というプロセスがあって、形成の過程で利己主義者ばかりだったら市場自体が成り立たなくなる。

話し手(高橋氏):

直接のお答えにならないかもしれませんが、我々が大学生の頃、こういうことを習ったのです。世の中には共同体とその外しかない。共同体の中というのは平和で、皆がお互いのことを心配しているから、全体の生産量が十分であれば食いはぐれることはない。しかしその外に出たら、それは狼の世界。皆が利己主義的で、自分の仲間ではないから人間どうしが食べ合う世界。ところが今世界中で進行していることは何かというと、見たことも聞いたこともない、仲間でも何でもないと思っている人たちがインターネットでクリックするだけで、お互いに物事をやりとりするのです。それで正直に代金を払ったりしている。そういう仲間でも何でもない人たちの中で市場経済が成り立つというのは、実は狼同士ではなく、暗黙の了解があるからなのです。それはルールを守るということ。そのルールというのは歴史の中で形成されていく訳です。そしてそのルールとは、利己主義的な人間だけ集まっていたら決してできることではない。誰かが作らなくてはならない。その市場外のことをあまりに無視してきたのが、新自由主義或いは新古典派の考え方です。新古典派的な、先程申し上げたような利己主義的な人間像から始まったパレート最適まで至る社会というのは、その前提にまず1つ、契約のルールを守るということがなければ成り立たない訳ですね。その契約のルールというのは実は、自分の利益を図るための場である市場の外から作られているのです。外から作る社会の働きがなくては市場は成立しないし、機能しません。

さて、何でそうした人間のあり方の抽象的な話しをしたかというと、そこまで遡らないとアフリカの開発を語ることはできない、というのが私の問題意識なのです。アフリカ人には正直な友達が沢山いて我々より遥かに親切である一方で、初めて会った人にはよく騙されます。私もしょっちゅう騙されましたし泥棒にもあっていますが、はっきり言ってアフリカの経済が発展してゆくためには、そういうものをなくしていかなくてはなりません。もちろん日本にも不正行為をはたらく人はもちろんいる訳ですが、私たちの日常を覆いつくしている、日本の市場経済の動きの圧倒的な部分は、見知らぬ他者への信用によって動いているのです。アフリカの社会が、見たことも聞いたこともない人たちの間で信用というものを確立できていないために、いかに苦しんでいるかが問題なのです。銀行のシステムなど信用がなくては動きません。多くの貧困国では、銀行システムさえ簡単には発達しません。では政府の規制を入れれば物事は解決するのかと言えば、そういう問題でもありません。このようなことが言いたくて人間像まで遡ったのです。

では、こういう風に批判しているけれど新古典派の体系に変わるようなものを作り得たのか、と言われれば、そんなことは一介の地域研究者の手に余るものであることは事実です。ただ、アフリカの複雑な現実にアプローチするためには、常日頃私たちが当然のごとく前提としていることや主流派経済学が長い間当然の前提としていることを疑ってかかる根性と言うのか、知的な腕力・耐久力が必要でしょう、ということを読者の皆さんに訴えたいために、『開発と国家』で人間像までさかのぼって議論し、問題提起をしたということです。特に純粋な市場経済の枠から抜け出て、政治と経済の関連や市場を外から規定しているものを見ようとする場合、単純な人間像を疑い、複眼的なものの見方をしなければならない。とりわけこの点の問題提起が、この本の目的のひとつでした。

もう1つ私の本で重要なことは、新古典派経済学があまりにもみごとに体系的に完成されたが為に、世界の文化・学術の中心になってきたアメリカで、その経済学の手法を別の分野にもどんどん拡大していこうという知的傾向が起こりました。その1つが明らかに政治学なのです。国家のあり方を研究する分野に、新古典派経済学の手法を用いて国家や政治の動きを分析しようという動きが20世紀の末頃までにすごく強まってきた。新古典派的な方法による政治分析は非常に鋭利でして、首尾一貫した論理的な知見を我々に教えてくれたと同時に、鋭利過ぎて色々なことを見落とさせてしまった部分があるのです。アフリカ国家論というのがその1つの典型であると思います。経済以上に、政治の世界でも人間は明らかに利己主義的な原理だけで動いていないのです。日本の政治家やその他の政治的アクターも、彼らなりに日本の国について考えています、自分なりのイデオロギーや理念があります、或いは支配の論理で、決して単純な個人的な利益のためではなく他人におせっかいしたいと考えています。或いは仲間内の義理人情によって動かされています。そういうことを色々考えないと政治の分析はできないはずなのですが、その新古典派的な政治解釈は物事を非常に単純化させてしまいます。そしてそれをある程度支えにしながら、構造調整は動いてきた面があるのです。私たちの思考方法も、(経済学の最先端の改変の努力はありますが)そうした単純化の傾向を持っているのではないでしょうか。そして、そうした政治の理解は市場がはらんでいるモラルを希薄化し、あるいは壊してゆく傾向に対抗しようとするときに、力にならないのではないでしょうか。そういう状況を変えたくて、人間が共同性を持っていることを正面から捉えて、状況を変えるような議論を皆さんで始めようよと呼びかけたくて人間像を問うた、ということです。

ただ、共同性も市場と同様、二面以上の面があり、ポジティブな意味だけを持っているわけではありません。本日あまりお話できませんでしたが、拙著『開発と国家』では仲間との共同性ということを私たちの考察に持ち込むことを繰り返し論じています。その議論の対象は農村の人々の間の、相互扶助だけでなく、より前向きの生産的な共同性であったり、ある国全体の共同性であったりしますが、同時に人々の個性や個人的な努力を阻害する共同性であるかもしれません。

特に国家論の関係で言うと、アフリカでは残念ながら、民族集団という単位でまとまることが、ある国全体の共同性・公共性を妨げるという現象が見られる。そうした部分的な共同性―本書の言葉では「部族」主義―は何故生ずるのか。民族や「部族」は過去から変わらずに存在しているものではなく、近現代の歴史のなかで変わってゆくものです。その流動性を踏まえて、特にケニアを事例としてアフリカの国家を民族問題の観点から論じたのが、本書の後半部分です。民族問題は先に触れたカブラルでさえ、悩まされ、彼が目指したギニア・ビサウとカーボ・ベルデの合邦は遂に成らなかったのです。民族・言語の著しい多様性を特徴とするアフリカが「部族」主義を乗り越えてゆく過程には、人類社会が現在の相違や格差を越えてゆく営為の先駆けとなる可能性を見出すことができるかもしれない、そうしたことも論じています。この点はアフリカの現状をご存知の方、あるいはご興味をお持ちの方にはそれなりに面白いと自負していますので、是非『開発と国家』をお読み頂き、ご批判を頂ければ幸いです。

【本について】

開発と国家 アフリカ政治経済論序説 [開発経済学の挑戦]
高橋基樹著 勁草書房 4410円(税込み) A5判 541p 2010年1月 [amazon]

【参考】

○公開インタビューに向けた読書ノート 斉藤龍一郎 『開発と国家 アフリカ政治経済論序説』を読む

○神戸大学大学院高橋基樹研究室 "知と知のぶつかり合い"、"闘う研究室"、高橋基樹研究室のサイト

○剄草書房 開発と国家 [開発経済学の挑戦]
正誤表付表1修正版をダウンロードできる

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