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Development Update南部アフリカのエイズ問題特集:
南アフリカの農村部における草分け的ARV治療アクセス

 都市部でARV治療へのアクセスを実現することと農村部で実現することとは非常に異なり、農村部での取り組み特有の課題がある。けれども、責任と献身さをもってすれば、何も不可能なものはない。ベリンダ・ベレスフォードは、南ア・トランスカイ地域でのARV治療の最前線から、この辺ぴな農村部で実現した貴重な成果について感動的な報告をしている。

南ア・トランスカイのルシキシキ

 アパルトヘイト下の南アで、ルシキシキは労働力として求められていない多くの黒人のたまり場だった。かつて「独立ホームランド」トランスカイの一部であったルシキシキは、その国の辺ぴな地域にある一本道の町となった。その地域の人々は非常に貧しく、地域にインフラは普及しておらず、また、人々はごく限られた公共交通機関しかない地域に広く分散して暮らしている。

 多くの家族は出稼ぎ労働者の送金により生計を何とかやりくりしている。そして、一家にはしばしば祖父母と孫たちしかいない。失業率が高いので、稼ぐことのできる大人たちは仕事を探しに外へ出る。ルシキシキの女性は大家族を持つことが多く、5?6人の子どもを生むのが普通である。このような家族構成は、とりわけコンドームのような避妊の手段を得ることは難しいせいでもある。

 ルシキシキ近辺では、出稼ぎ労働者や貧困等、HIV感染拡大の多くの要因があるため、HIV感染率がとても高い。ルシキシキ近郊のいくつかのVCT(自発的カウンセリングとHIV抗体検査)サイトでは、受検者の感染率が25%から83%にのぼる。

 こうした状況から、国際協力団体、国境なき医師団(MFS)は、ルシキシキが農村部でもARV治療を効果的に、そして、安全に与えることができるということを実証するのに理想的な場所と考えた。ルシキシキで持続的なARV治療を行うことは、南アの他の地域で同じことが可能だと言うことを確証するだろう。

 2003年、MSFはケープタウン近くのカエリチャにおけるARV診療所の延長線として、ルシキシキでARV治療プログラムを打ち出した。カエリチャ診療所は、過密化し貧窮化した地域に住む貧しい黒人たちがARV薬を確実に服用できる、そしてするだろうことを、鮮明に立証した。この最初の輝かしい実践を成し遂げた診療所から得られた教訓が、人材や資質を含め、新プロジェクトに適用された。

 MSFは、病院よりも診療所でエイズ患者を治療することに多大な効果があると考える。病院の患者の方が治療処方遵守レベルが低い傾向にあり、より病状が悪化しており、また、彼女ら・彼らは医療施設を訪れる患者よりも、コミュニティの外にある、遠くの施設へ通わなければならなくなる。検査を受けることに積極的な人が多い診療所とは対照的に、病院の患者はVCTを断ることができないと感じつつ、検査結果を受け入れるたくないようだ。もう一つの狙いとして、ルシキシキ診療所にとって診療所の医師による医療が病院よりも優れたARV治療を提供する方法であるということを示し、そして、分散的モデルを政策化すべきことを確信させることである。

 ルシキシキプログラムはMSFのハーマン・ロイター医師によって指揮が執られた。看護師たちが責任を持ってARV薬を与えることができるための教育も計画に組み込まれている。南アの津々浦々まで届く治療計画は、診療所が提供し得る医療でに依拠すべきであるとの認識が、この計画の実施を促した。看護師たちは、しばしば自分達が世話をするコミュニティに住んでおり、患者達を知り、理解するための理想的な位置にいる。これはARV治療プログラムのような長期に及ぶ治療指導の成功に欠かせない要素である。

 このような視点に立つプロジェクトは、看護およびコミュニティとの結びつきを重視している。医師がARV治療対象の患者を決めるのではなく、看護師とカウンセラーで構成される「選考委員」によって患者が選択される。これは委員会が、患者を公平に総合的に判断し、また、その患者が治療計画に従いそうかどうかを総合的に判断するはずだという考えに基づく。

 評価可能な限りでは、患者たちは適確に選ばれているようだ。今のところ、患者の5%だけが予約を欠席し、そしてその約半数は入院が理由だった。

 カエリチャとルシキシキでは、患者たちに2つの大きな、そして相互に関連のある違いがあった。ルシキシキの人々は貧しく、診療所からより離れている。従って、ルシキシキ診療所に通院する患者たちはカエリチャ・プロジェクトの患者より病状が悪い傾向にある。その理由の中には、医師の診察を受けに通院するために、少ないお金を使うことに気乗りがしないか、不可能なことがあげられる。病院に行くのに一人当たり200ランドかかる。そして家族達は病院へ行くという選択肢しかなくなるまで、そのお金を使うことを渋るか、もしくは、使うことができないかもしれない。

 表面的にはルシキシキ診療所は成功している。2003年2月に診療を開始し、今や350人以上へARV投与中であり、そのうちの23人は子供である。患者たちは町の中心部にある聖エリザベス病院と町から離れた12の診療所からやってきている。

 プログラム実施は広範囲に波及効果を及ぼしている。医療従事者は、知識を拡大し仕事への満足感を何度となく感じさせる徹底的な理論的および実地訓練によって勇気づけられた。看護師たちは、自分達が以前は専門家に任せていた問題に対して責任を持って対応できるという自信を得た。例えば、看護師たちは技術的にはアミトリプチリンを処方することができても、かつては、抹消神経障害と精神医学上の問題をもつ患者を、主病院の隣にあるゲートウェイ診療所へ回していた。今では、看護師たちは正しい治療結果を得られるという自信を持って処方し、自ら治療にあたっている。

 VCTを選択する人の数が増加の一途をたどり、またサポートグループに関心を向ける人も増えている。これはスティグマが小さくなっている現われであり、HIV/AIDSやその感染防止、治療に対するコミュニティの認識が拡大していることを示している。

 また、治療を受けている数百の人々には、はっきりと成功の兆候があり、患者の大部分は体力と健康を徐々に回復している。目標は、年末までにARV投薬を受ける患者数を成人1000人と子ども100人にすることである。

 けれども、プログラムはまだ成功とみなすことはできない。繰り返される公的保健システムにおけるリーダシップと管理の失敗は、そのプロジェクトが厳しい条件を切り抜け、拡大していることを意味する。主要な問題はルシキシキで行われているARV治療がMSFの専門性と資源に依存していることだ。

 農村部におけるARV治療の可能性の実証としては、このプログラムは成功したと言える。しかし、国家治療プランの一部として既存の保健医療制度へうまく組み込まれているとは言えない。プログラム実施のためにさまざまな形で費やされる時間が、成功と効果を徐々に蝕む小さな障害と問題を明らかにしている。

 中心から離れたある診療所で、ある朝、多くの問題が浮き彫りになった。きちんとした教育を受けた正規看護師とリンポポ出身の準看護師の二人がいた。その準看護師はコーサ語が話せなかった。規定上、正規看護師がもう一人いるが、彼女は一年間研修のため職場を離れており、その代わりがいなかった。診察室は小さすぎて、洗面所への通路が薬棚によってふさがれていた。そこの医師は家庭用石鹸を使い、戸棚に置いたスズ製の洗面器の水で洗っていた。

 最初の患者は43歳の大きな女性だった。彼女は8人の子供があり、そのうち2人は死亡している。彼女の夫は死亡し、現在彼女は別の彼との間に小さな子どもがいる。その赤ん坊は必須の乳児予防接種を受けておらず、また母親はRoad to Health card−すなわち予防接種および子供の成長と発達の記録−も与えられていなかった。

 その母親は子供にHIVが感染することを恐れ、母乳を与えない道を選び、子供のために粉ミルクを入手しなければならなかった。しかし、診療所は、粉ミルクをずっと切らしていた。

 粉ミルクの提供は母子感染防止プログラム(PMTCT)の一部として州の責任と考えられていた。MSFのHIVプログラムも粉ミルクを供給していた。しかし、地方政府の再三の約束にもかかわらず、粉ミルクは、しばしば到着しなかった。数日前、粉ミルクはこの診療所に配達中だったが、どうしたことか届かなかった。

 医師はその母親に、可能であれば自分で粉ミルクを買うように言った。彼女が去るのを心配しながら見送った時、彼はまだ、彼女がMSFと地方医療制度のどちらが担当すべきかという争いに絡んでいることを知らなかった。MSFのマネージメントは苦境に陥った。援助機関が粉ミルクを与える限り、地方政府は協働して実施しようとする気はさらさらないように見える。誰か他の人が、既に実行しているとき、それも身銭を切って行っているとき、なぜそれをやらなければならないのか?その州は既に粉ミルクの支給を含むPMTCTプログラムを実施している。従って、粉ミルクが必要な全ての母親が入手可能なことを保障する流通網があるはずだ。これが、結局、HIV感染拡大を抑える最も容易な方法である。

 MSFは、地方行政官を動かす最も効果的な方法はコミュニティを動員することだと考える。しかし、「人々は地方行政官を怒らすような何かを必要としている」というあいまいなアイディアでは、それを超えたことをするのは困難だ。そのため、ロイター医師は診療所のために新しい粉ミルクを購入しないように決めた。これが保健担当の役人が行動を起こす引き金となることを期待しながら、母親達は赤ん坊に何か他のもの−おそらく薄い粥−を食べさせなければならなくなるだろう。願わくば、離乳前の子供に固形食が害を与えませんように。

 次の患者はやせ衰えた女性であった。彼女はほとんど歩くことができず、両手と両膝で診察台の上によじ登った。ダーバンで失業した彼女の兄弟は腰を曲げて彼女の靴を脱がせた。彼女は病院を退院したばかりで、自分のCD4数を知らなかった。自分の携帯電話を使って、医師は彼女の血液検査の結果を病院に問い合わせたが、何度かけても返答がなかった。最終的には、回線が切れてしまった。

 彼は諦めて、検査に戻った。彼の患者は結核を患っていたが、その病院には結核病棟がない。「ここには、医学的判断に影響を及ぼす資源に恵まれていないことが分かる。」とロイター医師は言う。患者たちに最初の2ヶ月間必要な日々の注射はあるが、彼らが入院するための結核病棟がないのだ。しかし、注射をしに訪問する看護師の数も不十分である。その女性は、診療所まで2時間かけて歩く体力がない。従って、彼女とその兄はタクシーに乗らなければならなかった。これには往復で一人当たり14ランドかかり、その運賃は高すぎて、2ヶ月間毎日利用することはできなかった。

 三番目の患者は1週間前にARV治療を開始する予定だったが、結核と診断された。その結果、彼のARV治療計画は結核治療が軌道に乗るまで見送られた。彼の妻−HIV陰性−は彼の治療をサポートし、診療所へ付き添ってきた。彼は、認定されたスペクトラム症候群治療を使って、2度の性感染症の治療を受けた。しかし、その治療手順はアシクロビルを含んでいなかったので、彼はヘルペスになった。その結果、そのヘルペスをコントロールできなくなり、彼は健康を害し、HIVを含む他の性感染症により感染しやすくなってしまった。

 第四の患者は女性で、4ヶ月間のARV治療の後、快方に向かった。彼女の姉は良くなった健康状態を列挙した:彼女は自分で体を洗ったり、食事をとることができ、時々自分で洗濯できるようになった。

 一人の正看護師が前の患者の処方箋を持ってやってきた。彼女の診療所には処方されたビタミンがなかったからだ。医師はその患者に2?3週間以内に再来するように話した。最初の患者が薬を見せるように指示されたので戻ってきた。医師は、トキソプラズマ症のために120錠の調剤を必要とする処方箋を出していた。しかし、その診療所には全部で126錠しかなく、クリプトコックス髄膜炎の発達から患者を予防するため、一部は予防治療に必要だった。従って、調剤看護師−実際には掃除人−は一方的に健常者にのみ予防治療用として渡すようにした。医師は、その患者は完全な治療がなければおそらく死ぬだろうと指摘した。最善策は120錠をその患者に与え、病気予防に割り当てないことである。そして、病気予防薬を持っていないという理由から、クリプトコックス髄膜炎に感染した人は誰でも後で治療が受けられるようにすることだ。それまで十分な薬があることを願う。

 医薬品不足問題は、1診療所だけの問題ではない。その翌日、町の別の診療所で両親が若い娘を診察室に運びこんだ。彼女は典型的なアフリカのエイズ感染者の姿だった。非常に痩せており、冷たく、尿の悪臭を伴い、話すことができず、もしくは、腕や脚をまっすぐ伸ばすことができず、彼女は繰り返し痛みでぶつぶつ不平を言い泣いていた。医師が最初に思ったことは、彼女の苦痛を和らげることだった。しかし、その診療所にはモルヒネがなかったので、両親は娘を苦しみから解放するために彼女と病院へ行かなければならなかった。

 医師が、両親に、娘さんは結核にかかっており、ARV薬を開始する前にその治療を行わなければならないと説明したので、両親は娘に優しく、気遣った。彼女は立てなかったので、医師が抱き上げて体重計に乗った。そして、自身の体重を引いて彼女の体重を算出した。外はぼろぼろで、窓のない赤い小型バンが炎天下に待っていた。これは両親が娘を診療所に連れて来るために借りた救急車である。彼女がその車で診療所まで運ばれたので、その車が彼女の霊柩車にならないと考えるのは、難しかった。

 ARV薬は診療所で最も確実にある薬であるが、皮肉にも、ARVへのアクセスの欠如が国民的トラウマになっている。ルシキシキは、正式に認可を受けた政府のARV治療サイトではないので、州はARV薬を全く提供しない。患者は、MSFによって注文され、供給されたインド製のジェネリック薬を受け取る。ARV薬は予定通りに届く。しかし、他の医薬品が、帯状疱疹や鵝口瘡などの日和見感染症を治療するのに必要だし、肺炎になれば生死に関わる。診療所と薬局は予定された薬品や、粉ミルクのような他の補助食品を頻繁に切らしている。

 薬品不足に関して多くの理由が考えられる。時には、請求書が間違って記入されていたり、期限を過ぎて提出されたりしている。「請求書が高すぎる」と受け取られて、注文数が地方役人によって削減されたり、却下されたという苦情がある。ウムタータにある中央小売店では時々在庫切れになり、また診療所へ運ぶ車両がないこともある。頻々とは供給されないものは、発疹を和らげるクリームのような、表面上はそれほど重要でないかもしれない。しかし、身体的不快感だけでなく、HIV患者であることが判ってしまうので、恒常的な発疹はトラウマになる。

 このようにHIV感染率の高い地域では、人々はAIDS関連の病の一般的な兆候を素早く察知するようになる。行商人がオレンジをロイター医師に渡しながら、HIV抗体テストを受けたことがあるかどうか尋ねられたとき、彼は驚いた。彼は用心して「はい」と答え、彼は感染しているとささやきながら付け加えた。「わかっているよ」と医師は言った。彼が果物を手渡すときに、指の爪にある真菌性の発疹を見てわかったのだ。

 診療所は、水が通っていなかったり、電気が通っていなかったりして、劣悪な条件にある。時に、これは、資金不足より、むしろ、あいまいな計画もしくは不適格性の結果の現れである。例えば、トタン製の診療所が、変電所から数百メートル離れた、フェンスで囲まれた場所に建っている。その土地の真ん中に堂々と建っているレンガ造りの建物が新しい診療所である。そこにはトイレや、真水を確保するための大きな貯水槽、診察室、その他良い保健医療を提供するのに必要なものが何でも装備されている。しかし、この見事な新診療所は数ヶ月間、完全に施錠されたままである。不幸にも、開院の式典の数日前に、その診療所は電力供給されていないことが発覚したのだ。また、診療所の規模は業者に委託され、お金も支払われていたけれども、最終成果物は実際には小さく、安価なデザインだったという噂がある。管理は新しいビルを、数百メートル先にある国の施設へつなげる方法を考え出したけれども、診療所の扉は硬く閉ざされたままだった。そのため人々は、隣接する電気があまり通っていない暫定診療所で診察を受けるために野外で列をなす。これは小さすぎて診察を待つ患者を−彼らの中には非常に重病の者もいるかもしれないが−収容できない。

 といったことが、ある冬の朝に明らかになった。というのは、地面に座って順番を待っている患者達が、背後の草むらで痩せて半分意識のない女性がもだえているのを無視したからだ。彼女はAIDSに関係した認知症を患っており、看護師が彼女を町の病院へ連れて行く方法を何とか調整しようとしたけれども、親戚に拘束されていた。

 無駄な資源の別の例がルシキシキの中央部にある。村の診療所は廃棄物容器やトタンで構成されており、診察室や待合室がある。町を通る主要道路に隣接した場所にあり、そこに通院する患者たちは思いもかけずに病状を知られるかもしれないという事態に直面している。患者が、町へ行き来する誰からも丸見えの所にある大きな合唱団の一部であれば機密を保持することは難しい。

 この雑多な診療所の角を曲がってすぐに、小さなレンガ造りで、汚いトイレのアングロゴールド保健医療病院がある。そこは引退者を含む鉱夫に保健衛生を提供することを目的とする。村の診療所の長い待ち行列とは全く対照的に、そこは空である。

 AIDS治療に関する物質的問題にもかかわらず、MSFはこの取り組みがより容易になっていることに気づいた。政府公認のARV薬を含む国家規模AIDS治療計画はMSFプログラムへの当初の反感を鎮めている。看護師たちは、しばしば政治的な議論を引き起こすと見られるARV治療に関与することを恐れている。恐れに対するもう一つの理由は無教育だ。多くの看護師、特に地方の人々、は高齢の傾向にあり、HIV/AIDS教育をあまり受けていない。

 ある看護師は以下のように言っています。「・・・私達はHIVやAIDSの教育を受けていません。HIV陽性はその患者が明日にでも死ぬことを意味すると思います。薬物常用患者を見る前、私達は彼らが副作用で死ぬかもしれないと懸念します。今では、死なないことを知っています。」

 しかし、看護師たちは、既に度を越えている作業量が更に増すことを恐れ、もっと知識を得ようと常に熱心なわけではない。資格のある看護師が不足しており、多くの診療所が教育半ばの準看護師を患者の担当にして開院されてきた。これは、診療所を開院することが本当に重要だということである。もし、看護師が見つけられないという理由で、患者が門前払いを食らえば、彼らは再び来院するための資金がないかもしれないし、再来する気にならないかもしれない。

 MSFは医師に診療所間をローテーションさせ、2人ずつの医師が少なくとも2週間に1回各診療所を訪問するようにした。ほとんどの作業は看護師が担当したので、看護師の多くはその重荷にあえいでいた。看護師中心の仕組みを持つ計画は南アフリカのような大きくて、比較的貧しい国で実施する方が持続性があるけれども、この方策は看護師たちに余分の負荷を与える。

 医療従事者が人間として病気から受ける影響もまたわかる。彼らは、薬品不足、スタッフ不足や教育不足などの不満に爆発する。その結果、現状に対して、また、世話ができない人々、果てしのない病や限られた資源、また「感染源」も見なされた人々に対して激しく怒る。また、医療従事者は私生活において、しばしば病を熟知している。ある医療従事者が他人や、異なった意見、そして見方について何も気にしない人々に対して腹立たしげに言ってのけたとき、彼女の内面の怒りが爆発した。彼女は「男は自分勝手だ。自分ひとりでは死にたがらない。」と言った。彼女は、ARV治療や共感して聞いてくれる人、そして多くの人々に検査を受けさせるよう、また、治療を探すように促す医療労働者への気遣いに直面して、ある秘密−「彼女のパートナーはもうすぐ必ずAIDSになる」−を隠していた。

 もう一人の看護師はきっちりと整えられた診療所で自信ありげに座っていたが、彼女の専門家としての一面が、インタビュー中に崩れ落ちた。彼女は、1988年に23歳の若い親戚が病気になったとき、初めてAIDSに遭遇したということを打ち明けた。その話を通して、彼女の無知への遺憾の意が感じられた。「彼女は非常にやせ衰えていた。そして、彼女のボーイフレンドもまた診断された。私は怖くて、彼女に触れたり、世話をすることができなかった。」そう言ってから、彼女は涙を流し始めた。「私にはいとこがいます。彼女は5人の子供がいましたが、全員亡くなっています。今や彼女もHIV陽性となりました。5人の娘も、そして、一番下の子は17歳でした。」

 インタビューされた看護師達は、最大の問題は不規則な供給と過重労働だと言う。ある診療所長は、「最も困難なことは日和見感染の治療ができないことです。治療に必要な十分な医薬品が、しばしば入手できません。また、職員不足もあります。非常に多数の患者がいるが、私達は検査を全て行うことができません。特に月曜日はひどい。」と言って、彼女は、ある暑い火曜日の朝、待合所のさびたトタン屋根の下に座る人々の長い待ち行列をじっと見ながら物思いにふけった。

 看護師や医療従事者達は研修を必要としているけれども、実際には、その計画は問題をはらんでいる。普通、研修中の代理をする職員はいない。そして、中心地へ彼らを集める時間も資金も半端ではないはずである。研修の決定は実施の際の問題をわずかばかり考慮して、上層部から下へ言い渡される。一部の看護師達はその研修は理論的過ぎ、実践的な環境下で学びたいと不平を言う。

 他にも些細な事が、看護師が直面するストレスを増大する。例えば、ある辺ぴな場所の診療所の隣に経験豊かな看護師が住んでいる。しかし、彼女は毎日30分かけて、勤務する町の診療所へ通わなければならない。その一方で、その田舎にある診療所は町に住む看護師によって経営されている。この二人の女性は共に同じ仕事をするために不必要な時間とお金を通勤に費やしている。保健省によって与えられた辞令は必ずしも地方レベルでの協調した動きに帰着していない。また、これは保健省に限ったことではない。

 MSFプロジェクトの資源の大部分は医薬品ではない。大家族を養えるぐらいの福祉助成金を得られるように手助けすることを中心としている。MSFが到着したとき、人々は助成金が支払われるのを6ヶ月以上待っていた。MSFがTAC(治療行動キャンペーン)というデモ組織と協働して脅威を与えたので、その遅延は2003年末まで約3ヶ月となった。クリスマス休暇が過ぎ、もっとひどくなくとも、今や遅延は以前と同じぐらいの長さである。

 医療従事者は助成金申請書の提出許可を持っていない患者達に遭う。ある女性は、8月に助成金申請書を提出してみたが、申請書処理の残務により、11月に差し戻しを言い渡された。しかし、補助金は申請日までしか遡って有効にならないので、彼女が書類の提出で遅れたこの3ヶ月間分は少なく支払われるということを意味する。

 これらの施行上の問題を解決する点における大きな障害は、地方の保健医療管理者から回答を得ることである。ロイター医師は地方政府と協働することは非常に難しいと認めている。「彼らはしばしば講習会を実施したり、会議に出ているので事務所に居ない。」また、人手不足は政府役人の不確実さに起因するとロイター医師は考える。政府の役人達は、私達を自分達に対する脅威としてみなす傾向にあるが、私達は彼らを必要としている。南アの人々に対して責任があるのはMSFではなく、政府なのである。MSFは単に促進するだけである。

 どんな理由であれ、効果ある政策決定がなければ混乱は続く。

 地方で不可能な検査はポートエリザベスへ送られていた。しかし、保健省の再編成以降、その検査はウムタータの研究所へ送られるようになった。残念なことに、ウムタータでは医師に検査結果を送る際に問題があった。従って、それが解決されるまでの間、検査要請はポートエリザベスへ送り返されていた。結果を紛失したり、病院を退院するまでに患者へ結果を渡さなかった場合、研究所における検査の効率の悪さは、不必要な二重検査を要するようになった。

 それは単なる回り道を続ける研究所の検査だけではない。多少時間がかかったり、アパルトヘイトの境界に関係したり、ウムタータとルシキシキの未舗装の道路や、他の不明確だが複雑な理由から、供給品は迂回路を通って診療所へ配送される。供給品はウムタータの中央小売店からポートエリザベスへ送られ、ポートアルフレッドへ列車で送られる。そこで、トラックに載せられ3.5時間かけてルシキシキへ配送される。医薬供給品をウムタータからルシキシキへ約2時間の道のりを直送するというのが、理の当然だろう。

 MSFはルシキシキプロジェクトに終了計画を含む明確な目標を設定して参加した。そのプロジェクトが3年以内に、州の保健制度に組み込まれるよう望んでいた。また、完全に機能し成功した制度を続けるための地方保健組織を残して、MSFは引き上げようと望んでいた。援助機関は、自分達をこのような大規模治療プログラムの初期のもたつき克服を手助けする存在と考える。しかし、地方保健制度内部には急進的な変革がなかったら、このパイロットプロジェクトは、MSFが予定した通りに撤退可能になるよりも、東ケープ州を超えて拡大しそうに見える。

 ルシキシキは、距離や貧困、患者数の多さ、そして慢性疾患治療を提供する全ての物流管理などの問題を克服するために、革新的な計画と効率的な運営を必要とする。おそらく、農村部が直面している最大の問題は、政府の権力源から遠く離れていることである。周知のことだが、内輪もめに苦しむ地方政府から離れており、ルシキシキはプレトリアや国家政府の部局から更にもっと離れている。ルシキシキのような小さな町はリーダシップ精神に欠けている。しかし、地方レベルの役人の無能さや興味の欠如などは、無視されたり見落とされたりしているように見える。

 MSFは不足品を直接提供するか、問題克服のための地方役人を支援することにより、ギャップを埋めている。しかし、州から情報提供や資源がなければ、援助機関が地方保健制度において不可欠な立場−両方にとって維持不可能な立場−となる状況を造る危険性がある。政府大臣が指摘しているように、外部組織の方がどんなに価値があろうとも、市民への対処は外部組織ではなく州の役割である。

 けれども、全患者が少なくとも同等の治療を継続して受けられる保証がない限り、MSFはARV治療の現場から撤退することはできない。不規則な薬品供給のまま患者を見捨てたり、研修中の医療従事者をそのままにして去ることは非倫理的である。しかし、東ケープ州の保健省はARV薬プログラムを首尾よく行うのに必要な収容能力のある建物を建てていないようである。だから、当初の心積もりにもかかわらず、MSFはその診療所といつまでも関係を持ち続けそうである。そのような状況から抜け出るため、援助機関はその作業を拡大しなければならないだろう。ひょっとしたら、それは草の根レベルを超えて保健省の再生に関与することや、地方の政策立案者や役人と協働することかもしれない。

小児治療

 MSF診療所の他の問題は、子どもへの治療を実施することである。なぜならば成人たちがサービスや資源を独占してしまいそうだからだ。「適者生存の世の中で、成人は子どもより強い」とロイター医師は言っている。もし、子どもたちが既に病気によって孤児になっていれば、子どもが必要とする世話を受けることへの障害は大きくなる。

 最初の患者の例は、小さな衰弱した少女で、ぽっちゃりとした赤ん坊を抱いた大柄の女性に付き添われてきた。実年齢の8歳より幼く見えるその少女は、初めて診療所へやってきた。彼女の血液検査の結果は届けられず、医師は繰り返し病院に連絡をとったが、全くつながらなかった。この場合、その事はそんなに重要ではないが、その子供は受動的で、反応がなく、明らかにすぐに治療が必要だった。しかし、問題は彼女が結核にかかっているかどうかなのだ。医師と女性の2人の大人は彼女が病院に行く必要があると同意したが、それはあと数日のうちに行くということではなかった。その叔母は生活保護の100ランドを受け取る金曜日まで、病院に行くお金がなかった。

 その少女はすでにAIDSの影響から逃れられず、たとえ彼女が治療を始めたとしても、その生存率は50%と医師は見積もった。彼女の叔母は、その子をもっと早くに治療に連れて来るべきだった、と気づいたようだった。しかし彼女は連れてきた乳児も含めて、何人もの子供がいた。また金銭的に非常にきびしい生活を送っていた。

 彼女が病院に行ったとすれば、その少女は病院の看護師の休憩室を利用した小児科のARV診療所へ最終的には入所しているはずだ。食料を集めたり衣服を交換しに来る看護師たちが行ったり来たりする中で、検査が行なわれることになる。管理者はARVプログラムにかかる子ども達の治療費の17ランドをとらなかった。そうでなければ、彼らの多くは戻ってこられなくなるからだ。

 最初の子どもは恥ずかしがりの12歳の少女だった。彼女は患者ではなかったが・・。その患者は活発そうに見える彼女の6歳のいとこだった。その少女は何処にでもあるプラスチック製の袋、いっぱいのピルボックスと薬瓶、そしていとこのカルテを持っていた。彼は3ヶ月前からARV薬の治療を受けており、彼女は第一の支援者だった。彼らは大きなピルボックスを用意していた。そのピルボックスは1列に一日分の薬を入れることができ、各列は朝、昼、晩に細分化されていた。二人の子供たちはピルボックスに新しい薬を詰めるように言って、元気にけんかを始めた。知識誇示のための兄弟喧嘩は即興の競いへと導いた。薬瓶とピルボックスの間を手が飛び交い、年上の子供がすぐに薬を二等分にした。彼らは共に薬を理解し、治療再開を復唱した。彼らは完全に理解したことに満足しているように見えた。

 次の子供は、たった17ヶ月にもかかわらず病気だった。彼が運び込まれ、服を脱がされたとき、目の前に横たわっている人が何であるかがすぐに分かった。医師が診察をしようと彼の頭を揺さぶったとき、その子供は抵抗手段として泣きながら母親に手を伸ばした。体重が9キロにも満たないその子供は、慢性的な下痢と皮膚感染、及び、咳をしていた。母親が未使用の多量の薬を差し出したので、医師は彼女が正しく治療を行えないのか、それとも彼女が前回の来院で誤った量の薬を渡されたのかどうかを判断することができなかった。彼女は怒り、正しく薬を与えていると毅然として言い張った。

 次の患者は、健康そうな母親に運び込まれたとき、抵抗をしなかった。彼は、赤いウールの帽子をかぶりながら穏やかに眠っていた。彼は4歳で、体重は8キロを少し超えていた。毛布を下げると、痩せた腕と異常に膨れ上がった腹部がさらけ出された。その安らかな眠りから感じられるものが全てではない。その子供は昏睡状態であり、検査のために起きているのがやっとだった。彼は1週間病院から外出したが、まだ咳をしており、食事もしなかった。彼は2年前に結核にかかったが、今回、再度結核と診断された。同一型感染症の再発の場合、前回と異なる治療計画を実施すべきである。「私達は同じ薬で治療を行い、新型感染と願いたい。というのは、そうであれば薬に効き目があるからです。私達には他の薬が何もなく、もし、古い感染症の再発であれば、薬にまだ効き目がることを祈るのみです。」と医師は言った。

 次は、9時間の痙攣に困惑した患者である。彼はその痙攣で病院に入院することとなった。それ以来、その母親は息子と赤ん坊と共に病院に滞在していた。母親の膝の上でまっすぐ座っているその赤ん坊は6ヶ月で、HIV検査はまだ受けていない。彼はMTCTプログラムの一環としてネビラピンが与えられた。その幼い患者は袖をまくり上げて診察用のガウンを着ており、腕には点滴針を刺していた。内気で、床の上で一時もじっとしておらず、笑っていたが、目はうつろなで、何処にいるか分かっていなかった。診断はCATスキャンを必要とした。しかし、最も近いスキャナーはウムタータにあり、その少年の予約をとるのは不可能だと経験からわかった。「最終的に連絡がとれ、局部長に相談した後かけなおすと言われたけれども、どんなに頻繁に電話をしても、彼らの返事はない。」とロイター医師は疲れて言った。

論証

 MSFは、ARV投与開始1年を記念して10月15日にルシキシキの診療所で会合を開いた。

  • 442人がARV治療中である。
  • 6ヶ月の治療を経過した最初の集団は非常に良い結果を示している。
  • 2003年10月から2004年3月の間に81人がARV治療を開始した。
  • 生存率は84%、13人死亡(投薬プログラム開始が遅れた人々であり、このような結果になることが危惧されていた)。
  • 治療を中途で止めた人はいない。
  • 一人の患者は副作用により投薬計画を変更しなければならなかった。
  • 6ヶ月で95%が検知不能なウイルス量を示す(これはバンコクで報告された最高値の91%に匹敵する)。
  • 平均体重増加は8.7Kg
  • 平均CD4上昇は267、平均値は開始時81から348になった。

資料集『 貧しい国々でのエイズ治療実現へのあゆみ』目次

南アフリカ共和国におけるHIV陽性者自身の闘いについては、以下の本もご覧ください。
Witness to AIDS by Edwin Cameron(南ア最高裁判事)

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