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【翻訳】国境なき医師団:マラウイとケニアにおけるエイズ治療の実践

バルセロナ国際エイズ会議では、途上国においてHIV/AIDSの予防や検査だけでなく、本格的な抗エイズ治療を導入することが、NGOからだけでなく、UNAIDSなどの国際機関からも強く主張されました。それは、ピーター・ピオットUNAIDS事務局長の開会演説(先日流しました)からもはっきりと読みとることができます。 一方、会議では、これまで途上国で実際に抗エイズ薬をつかった本格的な治療を南ア、マラウィ、ケニア、カメルーンで展開してきた「国境なき医師団」が、ヘルスギャップ連合と共催のサテライト・ミーティングで、実際に抗エイズ薬による治療をうけた人々を招聘し、証言を行いました。また、これらのプロジェクトの経験をもとに、報告書「ダーバンからバルセロナへ」を発表しています。

以下に紹介するのは、

○マラウィのプロジェクトで抗エイズ治療を受けた農民フレッド・ミナンディ氏の証言(サテライト・ミーティングで行われた):訳=渡邉英樹

○ケニアのプロジェクトで抗エイズ治療を受けた人など、4名の女性の証言(ケニアで録取されたもの)訳=高田友美

です。いずれも、途上国に於けるエイズ治療は可能である、ということを示す有意義なものですので、お読みいただければ幸いです。

アフリカ日本協議会

稲場 雅紀

治療の時:「権利」でしかなかったエイズ治療を現実のものにしていくために〜

マラウイ共和国チラズル Chiradzulu在住のフレッド=ミナンディ Fred Minandi氏の声明〜

2002年7月7日、第14回国際エイズ会議における国境なき医師団とヘルスギャップ連合の共催によるサテライトミーティングにてフレッド=ミナンディ氏により表明

こんにちは、みなさん

フレッド=ミナンディと申します。42歳のマラウイの農夫です。同じく農業を営む妻と二人の子どもがおります。上の子どもは結婚しましたが、下は学校に通っております。私はジーン=ミシェル(Jean-Michel)さんが以前に書かれたMSFプロジェクトの一つのおかげで抗エイズ薬を利用できる機会に恵まれた患者の一人です。住んでいる村は田舎の地区にあります。一つのベッドルーム付きの草葺きの家に住んでおります。穀物を作って生計を立てております。

マラウイはアフリカで恐らくHIV感染率が最も高く最も貧しい国の一つです。成年人口の15%がHIVに感染しております。住んでいるところでは、妊娠女性の24%がHIVの陽性反応を示しました。中等学校の10%の子どもがやはり感染しております。村では自分の庭を耕せず家族を養っていくこともできないほどひどい症状に罹った若い人々の姿も見かけます。家族は薬を得ようと多くのお金を使って、病気の人を助けようとします。私は、未来への希望や手段を持たない年長の子どもに世話をされる子どもを残して、両親が死んでいく姿を見てきました。

私自身は1997年に発病し、働くのも何をするにも難しくなるまでの4年間は、働いたり休んだりしておりました。2001年に検査を受けました。MSFが抗エイズ薬治療を始めたちょうどその時に生きていて幸運でした。私はマラウイにおいて無料で抗エイズ薬を手に入れた初期の患者の一人です。今日ここで話すことができるのは、この治療のおかげです。アフリカの人々は時間概念に希薄だから薬を服用する事ができないだろうという人がいます。私は時計を持っていない事は確かですが、去年の8月から三剤併用療法を始めてから一回も服用を忘れたことはありません。

なぜでしょうか?なぜならばMSFの看護婦であるマルゴット(Margot)さんが、この薬がどのように働くかを説明してくれたからです。彼女は、この薬を定期的にとらなければ、この薬の効き目は切れてしまうと説明してくれました。彼女は副作用を説明し、しばらくすると良くなること、副作用の症状は激しいことを説明してくれました。服用の初期は吐き気がしましたが、2ヶ月後にはその症状が消えました。実際、この薬は服用しやすいものでした。今日、私の生活はこれらの薬と結びついており、忘れることはできません。

PLWA(People Living with AIDS、エイズ患者・感染者)の自助グループの仲間も同じ思いを抱いております。このグループは60名で毎月定期的に話し合いを行っております。私はその一人にもし副作用が起きた場合の治療とそれが止む事を説明しております。ある一人が体調がすぐれなく薬を持ってこられない場合には、他の仲間が取りに行ってあげます。HIVや治療について教えてくれる人がいない人の場合には、我々は保護者となります。我々はその人のコンプライアンス・セッションに付き添い、家で薬を服用するのを手伝います。我々は、仲間の一人が死んだ時その家族をサポートしようとします。多くの場合、我々はいかに改善したか、療法がいかに我々に生活を取り戻してくれたか、私たち一人一人が、ほとんど毎日気づいている進歩について話しております。

我々は今、グループ内の幾人かの貧しい人々を支える収入活動を試みています。我々はコミュニティに、HIVクリニック、妊娠した感染した女性へのプログラム、ボランティアカウンセルセンター、コンドームを得る場所、情報を得る場所などすべての利用可能な医学サービスを伝えています。

かつて私はCD4細胞数が107だったのですが、治療をスタートさせてから356まで回復しました。とても誇りに思っております。(註:CD4細胞数は人体の感染に対する自然抵抗力を示す医学的指標。)体調が悪かった頃は、HIV感染していることを知っておりましたが、私は決してそれを受けいれず、話題にもしませんでした。話すことでは何も変わらず、落ち込むだけでした。近隣の人々は毎日私が弱っていくのを見ていました。もちろん、彼らは私が感染していることを知っていましたが、何も聞きませんでした。ただ、私を徐々に訪問する回数が減ってきただけでした。マラウイでは殆どの人々がこんな感じです。知りたくないので話さないのです。これが私の国が沈黙の中で死につつある理由です。

今日、私は自分の畑に、教会に戻っています。家族を養っていけます。私は弱っていたので、過去にはトウモロコシを2袋しか収穫できませんでしたが、今では今年一年間で10袋もできました。未来があると感じています。近所の人々は以前のように私を訪ねてくるようになりました。変わったと感じます。子どもに話しかけることができますし、AIDSに感染していることも伝えられます。近所の人々にも言えます。この地区でミーティングがあった、時私は自分の病気について話しました。私はもはや恥じることはありませんし、他の人と同じような風なので、拒絶されることもありません。重症のAIDS患者を見ることは、自分自身の死を見ることなので誰をも恐怖に陥れます。しかし治療を開始してからは前よりも良好に見えるようになるしそう感じるので、人々は拒否しないのです。ここにいるすべての人々に、治療はスティグマに対する最良の方法だと申し上げたい。かつてはHIVと共に暮らす人々にとっては希望がないと考えていましたが、治療がそれを変えたのです。

マラウイのような国では、治療は高価すぎるため、予防だけがなされるべきだと主張する人もいます。まず最初に、それは、私と私の周囲にいる患者・感染者のグループの仲間すべてが、またマラウイですでに感染している100万人の人々が、全員死ななければならないということを意味するのでしょうか。私たちはすでに感染者にとなっており、予防について話すには遅すぎます。しかし私は信じています、私が治療を受ける権利を有していると。私は、自分の命が、私だけではなく、家族そして国全体にとって重要だと考えているといいたい。私は自分が家族や親戚、近所の人々、そしてマラウイという国家に対して行うどんな小さな貢献でも、マラウイを維持していくための補助となっていると感じます。

第二に、受けるべき治療法がまったくない状態よりも、治療法がある状態のほうが、人々は、自分が感染しているかどうかについて知りたいと思うようになります。沈黙を破る一助となると思います。PLWAのグループから来た私と私の友達はカウンセラーとして訓練を受けました。そして、人々に検査を受けるように説得を続けています。もし陽性反応がでたならば、治療されるでしょう。彼らは自身のためになることを知っています。彼らは、私たちにどんな治療がなされたのかを知っています。第三に、我々はマラウイのプログラムのために、インドのジェネリック薬を使っています。値段は低く抑えられています。薬が安くなればなるほど、プログラムが安く済みます。より多くの人に治療が施せるのです。

私は、予防と治療が相互に関連していることを言いたいです。いま、より多くの人々に習慣を変えるよう、コンドームを使うよう、検査に行くよう説得できることは確かです。なぜなら、私自身が治療を受けているからです。治療はまだ困難で、陰性のままでいるために頑張らなければならないとも伝えられます。私はまた、予防だけが必要だという人に質問したいです。もしこの感染症がその人達の国で多くの命を奪っているとしたら、その人達はHIVにすでに感染している人々が死ぬのを容認するのでしょうか?

私はHIV陽性の人々や、私をもっと活発に活動するのを助けてくれる達と会うことを願っています。私たちは、これらの薬を必要とする者の一人であり、戦う人の一人です。我々の声が、予防だけではなく、薬に対してお金を出してくれる人々に届くことを願っています。

終わりに私は以下のことを訴えたい。抗エイズ薬を製造しているすべての製薬会社に対してはすべての低収入の国に対する薬価の引き下げること。我々の国の政府に対しては治療へのサポートと援助の申し出。裕福な国へはそれを担保するための資金譲渡です。HIVとAIDSに対する戦争は、すべての人々が結集してこそ勝利が可能です。ご静聴ありがとうございました。マラウイを国を出たのは初めてで、私には夢のようです。

<出典>国境なき医師団ホームページ(http://www.doctorswithoutborders.org/

Time to Treat: Transforming AIDS Treatment From Right to Reality:Statement of Fred Minandi of Chiradzulu, Malawi, Delivered July 7, 2002 by Fred Minandi in Barcelona, Spain, at a satellite meeting co-sponsored by MSF and Health Gap of the XIV International AIDS Conference(URL http://www.doctorswithoutborders.org/publications/speeches/2002/fm_aids.shtml

2002年7月11日

それは薬のない、異なった世界だ:ケニアのエイズ患者で抗エイズ薬を入手できる人・できない人の証言から

アフリカでは、HIV/AIDSに関連して根強くある差別のため、この病気に感染している人々から証言を得るのは、容易なことではない。しかし最近、ケニアの4人のHIV感染者/AIDS患者が、病気や抗エイズ薬について、国境なき医師団(MSF)に話してくれた。4人の中で、治療を受ける金銭的余裕がある人は誰もいなかった。2人は西ケニアのホマベイ(Homa Bay)で行われたMSFの治療プログラムを通じて抗エイズ薬を受け取っていた。ホマベイは、アフリカの中で最も感染率が高い地域の一つで、成人人口の35%が感染している。もう1人、ルーシー(Lucy) (すべての名前は患者のアイデンティティを守るために変えてあります)は、南アフリカに住む友人から抗エイズ薬を送ってもらっている。4人目のジェーン(Jane)はこうした延命治療薬を手に入れる手段はなかった。

<<抗エイズ薬は私には高すぎる>>

ジェーンは、ナイロビ近郊の最も貧しい村、マサレMathareに住んでいる。ジェーンは結婚して4年目だったが、夫は去年エイズで亡くなった。ジェーン自身もエイズに感染し、6歳になる娘とともに残された。彼女は抗エイズ薬を買うには貧しすぎた。

「私の夫の具合が悪くなってきた。だから、私たちは薬を買ったけれど、全然よくならないので、医者に見せることにした。医者はHIVの検査を受けるように言った。それで、私たちはHIV陽性だとわかったのです。」

「衝撃的だった。人生も何もかもが終わるかのように感じ、誰も私たちの面倒を見てくれないのではないか、私が死んだら、誰も私の娘を世話してくれないのではないか、と恐れた。同時に、夫はとても弱かった。HIVの治療ではなく、他の病気にかかってその治療を受けていた。木曜日に心臓に異常があった。土曜日になると、その日は12月1日で、世界エイズデーだったが、その日に彼は亡くなった。そのとき、私はそこにいた。」

それ以来、ジェーンの人生は極端に悪い方向に向かっていった。

「エイズで夫を失った妻にとって、とても悪いことがある。夫が死んだとき、彼ら(親類)はすべてを持ち去ってしまい、妻はそのまま取り残される。なぜならその妻も死んでしまうと知っているから。彼らは私からすべてを持ち去ってしまった。私はたくさんのものを持っていたけれど、すべて持ち去られた。今、私の家に行くと、夫の持ち物を何も見つけられないだろう。私は寝るためのマットもマットレスさえもない。そんな風に、誰も気にかけられずに、ただ放っておかれる。それは私一人だけではない。他の多くの人にも起こっていることだ。」

「夫が死んでから、私は姉妹のところに滞在していましたが、私と娘への扱いがひどかったので、良い暮らしではなかった。みんながHIVやAIDSについて理解しているわけではなかった。HIV陽性の人は売春婦だと思う人がいる。それは間違っている。私は夫がHIV陽性だとは知らなかった。誰もがかかる可能性がある。食べ物を共有しようとしない人もいる。姉の家でのように、私たちは別々に食事をしていた。私は自分と娘専用の洗面器やお皿、コップ、フォークやスプーンを持っていた。彼らはエイズがどうやって伝染するかわかっていない。」

「私の人生は(エイズにかかる前と比べると)まったく変わってしまった。私は姉にエイズに感染していることを言ったのを後悔している。私たちはもう友達ではない。家族の中でも誰も私を支えてくれない。今、私は友達に伝えるのが怖い。知っている人もいるが、ほとんどの人はまだ知らない。」

ケニアの経済が悪化するなかで、仕事を見つけようとしても、とてつもなく難しい。ジェーンには全く収入がない。「私はできる限りなんでもいいから仕事を見つけようとしたけれど、難しかった。私は大学に行っていないし、仕事の経験もないから、掃除や家政婦のような仕事を探してきたけれど、それも難しい。

今も、ジェーンは友人の助けを借りて、自分と娘のための家を見つけようとしている。

「私を助けてくれる親類は全くいない。友達だけだ。私のために家を借りてくれたり、娘を学校にやってくれたり(授業料を払ってくれる)というように、お金をくれる友達がいる。私の家に行けば、とても質素な暮らしをしているのが分かるだろう。高価なものは何もない。ベッドもなく、マットレスだけだが、それも小さなものだ。」

ここ数年間で、ジェーンはAIDSのために数々の病気に苦しんだ。「病状は悪化し、潰瘍も悪化したし、時々ひどい吐き気におそわれた。ほとんどいつも、私は具合が悪くて吐いていた。治療を受けるために病院に行き、[マサレのMSFのHIV/AIDSプロジェクトで]医者から次のような指示を受け、カウンセリングを始めた。それ以来、薬や抗生物質をのんだりするなど、医者に言われたことはすべてして、それ以降はそれほど具合が悪くなることはない。」

「私は毎月診察を受けに来る。私がよく、ここ[MSFのプロジェクト]に来るのは、彼らは私の友達だからでもある。」

「とても遠いけれど、私のような人に対処してくれるから、ここに来るのが好きだ。ここに来るミニバスもあるけれど、普段は運賃[のためのお金]がないので歩いてくる。家からはだいたい45分かかる。もし問題があれば、ここにきて彼らと話し、彼らはアドバイスをくれる。彼らは私にとてもよくしてくれるが、それは私に限ったことではなく、マサレにいるたくさんの人に対してそうしている。」

「私は抗エイズ薬を手に入れることができないし、彼らもここで私に与えることはできない。抗エイズ薬はとても高く、私たちはとてもたくさんいるからだ。私の先生は、もし安くなれば、[抗エイズ薬を]私たちに与えることができるだろう、という。抗エイズ薬があれば、私は生き残ることができるかもしれないし、娘の面倒をみることができる。あの子には今の私のように苦しんでほしくない。」

「政府やソーシャルワーカーは家々を回って、エイズに苦しむ人々を探すべきだ。家で亡くなる人がとても多いからだ。薬を買う余裕もないし、多くの人は世話をしてくれる人もいない。だから彼らはとても弱いが、弱いのは何も食べていないからだ。彼らは食べ物がないか、世話してくれる人がいない。少なくとも誰かが行って探すべきだ。もっとたくさんの人が助かるべきだ。」

<<抗エイズ薬は私には高すぎるがMSFのおかげで手に入れることができる>>

ジョンは39歳で、ホマベイから車で45分かかるラングウェ(Rangwe)に住んでいる。彼は既婚で3人の健康な子どもがいて、薬剤師として働いている。2002年1月にカウンセリングに行き、HIV検査を受けて、エイズであることが分かった。彼は2001年12月に、ホマベイ地区病院から、日和見感染による重症のクリプトコックス性髄膜炎だと認められた。彼はMSFの医師にHIV検査を受けるように忠告されたが、彼はすでにHIV陽性かもしれないと思っていて、どちらにしても検査を受けようと思っていた。彼は2002年1月19日に抗エイズ薬の治療を始めた。

「これがなかったら私は死んでいただろうから、とても幸せだと思う。抗エイズ薬治療がうまく効き、体重もつきました。人々は私がHIV陽性だとは推測できないほどでした。MSFがホマベイの他にも支部を開くのを期待している。」

「今と抗エイズ薬治療を受ける前ではとても違いを感じている。私は今、希望にあふれ、家を建て始めてさえいる。また子どもたちのために少しずつお金を貯めようとしている。HIV/AIDSに感染している人の苦痛を緩和したり、感染を防止したり、他の人たちを手助けしたい。」

「最初の月、治療のためあまり具合がよくなかったが、その後おさまった。腕中に皮膚感染や発疹がでたり、不眠症や頭痛を感じたりもした。」

「私のような抗エイズ薬治療を必要とするほかの人々にとても同情している。ホマベイのクリニックを推薦したりもした。ケニアのそれぞれの地区病院に実際こうしたサービスがもっとたくさんあったらよいと思う。ほら、ケニアの保健医療は不十分だといわれるけれど、ここでの治療は標準並だ。私たちはケニア人みんなが無料で受けられる保健医療が必要なのだ。もし抗エイズ薬が安くなれば、HIV/AIDSを最小限のレベルまで減らすことができると信じている。」

「HIVに感染している人たちへの寄付を集めたい。食べ物も必要とされている。日常の食べ物が問題の人たちもいる。クリニックに来るための交通費を払う余裕がない人もいる。あなたやほかの人たちに頼るのではなく、自立して生きるために、収入源創出活動を発展させる必要がある。」

「私は抗エイズ薬の利益を知っている。私のような人が支援されるべきで、そうすれば支援を必要としている人たちを助けることができる。私たちはほかの人たちがHIV陽性になるのを防ぐために先導しなければいけない。」

「ケニアでのHIV/AIDSに関するアプローチの範囲はあまり効率的ではない。アプローチを変えるべきだ。与えられた金は間違ったところに流れている。HIVとともに生きていて、他の人たちよりも話していることをよく分かっている私たちこそが情報を伝えるべきである。」

 

キャロラインは20歳の独身で、ホマベイの街の、病院から歩いて20分のところに住んでいる。彼女は今のところ失業中で、兄弟や姉妹に頼っている。彼女は2001年10月からHIV/AIDSに感染しているのを知っている。そのころ彼女は調子が悪く、HIV陽性の友達が彼女にクリニックに行って検査を受けるように助言した。彼女は2002年1月から抗エイズ薬を受け始めた。治療が始まる前、彼女の具合はとても悪かった(マラリア、下痢、肺病)が、現在はだいぶよくなってきている。治療で人生が変わった、と彼女は笑顔で言った。

「私は47kgから57kgへ、体重を10kgも増やせました。」

今はますます希望に満ちている、彼女と言う。なぜなら「今、私は大丈夫だと分かっているから。ずっと強くなったように感じる。私は、その人の状態を話せるような心の広い人と会ってみたい。また、今は仕事がないので、仕事を見つけて私の日常生活の支えにしたい。」

抗エイズ薬を始めた最初の数週間、彼女は重い副作用を経験し、治療法を変更することになった。「でも私は、改善して、精神的にはそんなに乱されることなく、副作用を切り抜けることができると信じていた。」

「他の人たちもホマベイに来て試してみるべきだと思う。なぜなら、治療はほとんど全て無料だから。そうでなければ、まったく望みはない。ほとんどの人は薬を買う余裕がないだろうから、どこでも無料で治療が受けられるようにするべきだ。」

「HIV陽性の人たちは互いにもっとオープンになるべきだし、他の人たちに、どのように病気とともに前向きに生きているかを伝えるため、グループを作るべきだ。もし他に支援を受けることができるとすれば、仕事がなくて病気にかかっている人に対する財政的な支援のようなことが必要だ。とにかく生き延びるためのすべてのことが必要なのだ。」

<<私は買う余裕がないので、友達が私の抗エイズ薬を買ってくれた>>

ルーシーは31歳でマサレからナイロビに来ていて、結婚している。彼女は夫が亡くなった時に自分がHIV陽性だと知った。現在、彼女は14歳になる一人息子の世話をしている。友達が彼女を気の毒に思って南アフリカから抗エイズ薬を送ってくれたので、ルーシーは今年の初めに抗エイズ薬治療を始めることができた。

「夫が亡くなったのは1999年だった。私は自分がHIV陽性だとは知らなかった。私は健康だったが、結局具合が悪くなってきて、よく咳き込むようになり、医者に見てもらいに行くと結核だといわれた。その後、ここ[マサレの MSF HIV/AIDSセンター]から来た誰かにあって、検査を受けに行くべきだと言われた。それで、自分がAIDSだと分かったのだ。」

「それまでは私は働いていた。そこで10年働いていて、仕事を通して、健康保険にも入っていた。しばらくして、たびたび私の具合が悪くなることに気がつき、健康上の理由から私は働いてはいけないという手紙を私は受け取った。つまり、彼らは私を解雇したのだ。彼らは私がAIDSだから解雇したのだとは指摘しなかった。ただ私の健康状態に言及したのみだった。その場合、あなたならどうするでしょう?私はただ荷物を片付けて、そこを去らなければいけなかった。」

「私は教育を受けた。コンピュータを習ったし、少しなら経理もできる。私は働くことができると分かっている。でもここだと、ただの被害者にされてしまう。仕事を探しにいって、内定をもらったとする。でも結局は、健康診断を受けに行くように言われる。その診断は迅速なAIDS検査も含んでいる。あなたはそのことを忘れることができる。私は何回もそんなことを経験し、仕事を失った。ほとんどの場合、彼らは、働くことができないのではないかと恐れている。」

「そうして、財政的に無力になる。以前、私は自分の家賃や授業料を払うことができたが、今やHIV陽性で働くこともできない。概して人生は困難だ。時々、次の食事やそういったものをどのようにして手に入れたらいいのかわからないことがある。」

「友達や家族にもHIV陽性だということを告げることはできない。友達はみんな逃げてしまうだろうから。私たちは近くにいるけれど、最近はあまり会わない。家族でさえ私のことを恥だと思っている。彼らは不道徳だというが、私には理解できない。普通、人々が私に会いに来ても、それは私を元気付けるためではなく、私が死にそうかどうか、確かめに来るのだ。他の病気の場合とはまったく違う。例えば、癌も同じように死に至る病気だが、癌になった人は被害者にはならない。おそらくAIDSは性に関連しているからだろう。しかし今私は何をしたらよいのだろうか。自殺するべきなのだろうか。HIVの人たちを被害者扱いするのはやめよう。彼らに愛情や気配りを見せよう。彼らを孤立させるのはやめよう。もし今、あなたが私の命を縮めることができるとして、あなたは私に何をするよう期待するのでしょう?私が家族を養えなかったり、息子を教育したりすることができなかったら、私は何をすればいいでしょう?私に働かせてください。私は生きなければならないのだから。しかし、私にはそんなチャンスすら与えてくれない。」

「今、私はほとんどの時間家にいる。抗エイズ薬をのみ始める前、私はよく具合が悪くなった。帯状疱疹[AIDS患者がかかることでよく知られた病気]にかかったとき、私は1ヶ月近く家にいなければいけなかったことを思い出す。その時はとてもとても苦痛だった。何も仕事はなく、ただ家にいなければならなかった。そんなときに一体何を食べろというのでしょう?」

「今年の初めから私は働いていない。とても難しいことだ。養わなければならない子どもがいる。自分の食べ物も確保しなければいけない。現在、私はマリギティ・マーケット(Marigiti Market)で買った野菜を通りで売っている。問題は、具合が悪くなったときはただ家にいなければいけないことだ。ほとんどお金はないが、生活のためには必要で、自分を養うこともできない。子どもは中学に行かなければいけないが、私はどうやっていけばいいのだろう?」

「私が受けている支援はたった1種類。でもこれはとても重要なこと、つまり薬を手に入れることなのだ。それまでは私の具合はとても悪かった。私のCD4の数値[感染に対する体の自然抵抗を測る医療指標]はとても低く、様々な痛みがあって、ほとんど寝たきりだった。私が一緒に野菜を売りに行っていた友達が家に来て、私を手伝ったり、食べ物をくれたりした。彼女は南アフリカにいる友達、−ケニア人だけれど南アフリカに住んでいる−に私の状態を伝えた。彼らは私をどこかへ治療のために連れて行った。そこは私立病院で、私に薬をくれた。その後、彼は私に何か薬をのんでいるか尋ねた。彼はこうした薬を持っていて、それは抗エイズ薬だといった。そのとき私はそうした薬を知らなかった。私は彼に言った。『どうやって?私には抗エイズ薬を買う余裕はない』そのころ、抗エイズ薬は1ヶ月に10,000シリングした。南アフリカから来たその男の人は、私がまた普通の生活に戻って働くことができるように抗エイズ薬を手に入れてくれると言った。」

「私は今年ずっと抗エイズ薬をのんでいる。私はいま十分に丈夫なので、その抗エイズ薬はよいと分かっている。CD4の数値も今はまたよくなっている。今年になってから具合は悪くなっていない。私はほんとうにこの支援に感謝している。現在、抗エイズ薬は安くなって、1ヶ月で7,000シリングくらいになったが、それでも自分では買う余裕はない。しかし、もし薬が安くなれば、たぶん私たちは、そして人々は生き延びることができるだろうし、あなたはここで人々が死ぬように人が死ぬのを見ないですむだろう。」

<出典>国境なき医師団 ホームページ(http://www.doctorswithoutborders.org/

Update: July 11, 2002

It's A Different World Without Medicines: Testimony From Kenyan HIV/AIDS Patients Who Do and Don't Have Access to ARV Treatment(URL http://www.doctorswithoutborders.org/news/2002/kenya_07.shtml

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