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引き裂かれた都市で伝えられるセクシュアル・ライツ −ナイジェリア・アブジャのスラムでつづく実践−

感染症研究会 稲場 雅紀
2002年2月の訪問を踏まえて記述

「国境」を越える

その都市に二つある最高級ホテルのうちの一つ、シェラトン(注1)で私をピックアップした黒いバンは、国立劇場の工事現場脇を抜けた後、サニ・アバチャ高速道路に出て、ぐんぐんスピードを上げる。ほどなくして、この都市の外周を規定するアジキウェ高速道路との交差点に出る。奇妙なオブジェが屹立している。私を案内してくれているグラントさんがささやく。「これまで君がいたところと、ここから展開される風景の違いをよく見ておくことだ」。バンは舗装道路から外れ、一気にスピードを落として上下に揺れながらサバンナの斜面をおりてゆく。この都市では、どこでもバイク・タクシーが疾走しているが、急にその数が増えたような気がする。とつぜんサバンナの中に、大量の掘っ立て小屋が出現する。「ここはメカニックの町だ」グラントさんが言う。未舗装の通りの両サイドに延々と連なる掘っ立て小屋が、すべてバイク・タクシーの修理工場であることに気づく。タイヤや車輪をはずした修理中のバイク・タクシーがずらりと並んでいる。走り回っているバイク・タクシーもある。小屋の前後で、若者たちが汗だくになりながら夢中でバイク修理に精を出している。子どもたちがわがもの顔で道のまん中を歩いている。車のクラクションが鳴り響く。大声で談笑している青年たちもいる。

バンはメカニックの地区を出て小さな市場に入り、さらに左折してスラムの南端を仕切る壁の所で止まる。この壁の向こうに建っている大きな建物は連邦政府の所有物だという。バンから降りると、昨日出会った初老の女性と、グラントさんと兄弟分という感じの男性が1人待っている。バンの後ろから模造紙の束と看板とを取り出して運ぶ。バンの右側に泥レンガで立てた背の低い建物が延々と連なっている。ナイジェリアの首都、アブジャ郊外のスラム街、マブシ地区。ここに5万人が住んでいる。

彼らについてスラムの中に入っていく。でこぼこな道のまん中に汚水が流れている。キリスト教会、学校、食堂、小さな商店が軒を連ね、外周道路の内側ではついぞ聞けなかったナイジェリアのポップ・ミュージックが古いカセットデッキから大きな音を立てて流れている。彼らは一軒のバーに入る。「Freemen's Entertainment Bar」。3部屋ある土間の一番奥に入り、持ってきた模造紙を部屋にはりめぐらす。女性と男性の体と性器の絵、性感染症、エイズ、コンドームの使い方……何枚もの模造紙が、土間のひんやりした暗い空間をワークショップの場に変貌させる。

グローバルとローカルとがせめぎあう都市

前日、私はアブジャ中心部にあるUSAID(アメリカ合州国国際開発庁)事務所(注2)から車で南部のガルキ2地区にある「女性の健康・教育・開発」Women's Health, Education and Development (WHED)の事務所に向かっていた。車は延々と南へ走った。それまで、外見は近代的な政府・企業・石油公社のビル、国際会議場などが見えていた車窓に、急に数百戸の小さい家が建ち並ぶ団地が見えた。車は左折し、商店や工場が所狭しと並ぶ、人の生活の匂いのする街へと入った。街の入口部分にWHEDの事務所が入っている家があった。一時間ほどで戻るから待ってて下さいとヨルバ人の運転手に言うと、どうも居づらそうな表情を浮かべる。じゃあ一時間後に戻ってきて下さいと言ってWHEDの事務所に入ったところで迎えてくれたのが小柄な黒人のグラントさんだった。私の相手をしてくれたのはグラントさんと、逆にこちらは大柄な黒人女性のオグボグさんと、これまた背の高い初老の黒人女性アデビイさん。彼女らは一時間余の間、自らの活動について熱烈に語り続けた。

アブジャは奇妙な都市だ。この都市が計画されたのは70年代だが、実際にナイジェリアの首都になったのは1991年、当時の最高権力者ババンギダ将軍が、国家元首府をこのサバンナの荒野に移転してからだ。世界最大の都市の一つにまで成長しながら、都市インフラが全く欠如し、治安の悪さと混沌が悪名をとどろかすナイジェリアの心臓ラゴスは、反軍政運動の活発化もあいまって、軍政にとってもグローバル資本にとってもおそろしく都合の悪い都市だった。グローバル資本と軍政の利害の一致によって、アブジャは首都移転後わずか10年でナイジェリアと国際社会とのインターフェイスへと、というよりむしろ、グローバリズムのナイジェリアにおける橋頭堡へと成長した。

この都市には、一本の国境線が走っている。それはグローバルとローカルの国境線で、初代大統領ンナムディ・アジキウェと国家中興の祖ムルタラ・ムハマドの二人の歴代最高権力者の名を関した二本の高速道路で作られる外周道路と重なる。外周道路の中には連邦政府機関、大使館、高級住宅地、ゴルフ場、グローバル企業が建ち並び、時速100キロでの巡航を可能にする広い高速道路が縦横無尽に走る。「環状道路の中は土地や物件の値段が高すぎて、誰も住めないの」と説明するアデビイさんは続ける、「だから、環状道路の外側にたくさんのスラムが出来上がった。」WHEDの活動舞台は、こうしてアブジャ周辺に出来た7つのコミュニティだ。

WHEDが結成されたのは1988年、場所はアブジャではなく、北部最大のイスラーム都市、カノだった。WHEDはカノで女性、特にセックスワーカーを対象にHIV/AIDSに係わる情報・教育・コミュニケーション(IEC: Information, Education and Communicaton)の促進とセクシュアル・ライツの確立に向けたプログラムを実践し続けた。ところが、1999年の民政移管を境に、カノを始めとする北部諸州はシャリーア(イスラーム法)を州法として導入することを決定、セックスワーカーはイスラーム道徳に反する存在として社会から締め出され、迫害を受けることになった。「多くのセックスワーカーが、シャリーア導入で迫害を受けて追い出され、相対的に自由なアブジャに流れ込んでいるわ」オグボグさんが言葉を継ぐ。WHED自身、カノで「売春婦を利する」と非難され、アブジャに活動の拠点を移した歴史を持つ。

別に、セックスワーカーだけが流入したわけではない。最初に流入したのはグローバル都市の建設に従事する男性の単身労働者で、彼らが環状道路の外縁にスラム街を形成した。彼ら性的に活発な若い男性層が、セックスワーカーを吸引した。北部諸州のシャリーア導入によるセックスワーカー排除は、この動きを極端に加速した。ところが、新興都市アブジャにはまだコミュニティ活動の蓄積も、伝統的な共同体を母体にした組織もない。結果、アブジャは「HIV/AIDSに関わる活動が最も困難な」(UNICEFナイジェリア事務所 シリラ・ブワキラ氏)都市となった。アブジャにおけるHIVの推定感染率は約10%、ナイジェリア平均(5.4%)の2倍と考えられている。「アブジャはナイジェリアのHIVのホットスポットの一つなのよ」とオグボグさんはいう。サバンナの荒野から60万人都市への成長、それはローカルに対して閉鎖されたグローバル都市としてのアブジャの性格を根底から揺さぶっている。ガルキ・ヴィレッジ、アポ、マブシ……建設労働と、自動車の修理からセックスワークまでにいたるインフォーマルな産業に従事する人々の住むコミュニティが、グローバリズムのアブジャを浸食する。その中でWHEDが目指しているのは、こうしたローカルなコミュニティに住む女性たち、とくにセックスワーカーたちの、セクシュアル・ライツの意識を覚醒させていくこと、そのことで、セックスワーカーたちの性行動を、HIVに対してセイファーなものに変容させていくことだ。

「ナイジェリアでは、日常生活の中でセクシュアリティについて語る習慣がないの」とオグボグさんはいう。だから、女性たちは性について何も知らずに成長し成人になる。しかし、アブジャなどの都市では、女性が現金収入を得ることのできる場はセックスワーク以外にはあまりなく、女性たちはHIVや性感染症についても、男性との交渉の仕方についても知らないまま、セックスワークに従事することになる。WHEDが、セックスワーカーたちに自分の体やHIVや性感染症について知り、自己の性的権利を自覚してもらうために有効な方法として活用しているのが、ワークショップである。WHEDはすでに、7つのコミュニティでワークショップを定期的に実施している。アデビイさんが、「明日マブシ地区でワークショップをやるのよ。参加しない?」と言い出す。歓迎を約束する3人に、私はホテルまで迎えに来てくれるようにお願いした。翌朝、ある国際NGOを取材してホテルに戻ってきた私を、グラントさんが呼び止めた。WHEDのメンバーたちは時間を違えることなくホテルに私を迎えに来てくれたのだ。そして私はいま、マブシのワークショップの会場、Freemen's Entertainment Bar にいる。

タブーを吹き飛ばすワークショップ

グラントさんが街を案内してくれるという。外は、泥レンガで壁を作り、トタンで屋根を葺いた家々が延々と続いている。一軒の食堂に入る。まだ時間が早く、営業していない。「NO CONDOM NO SEX!」という字と、男性客を断る女性の姿が素朴に描かれたWHEDのポスターが貼ってある。食堂の奥には中庭があり、その両側が売春のための場所になっている。女性が何人か出てきて、グラントさんに挨拶する。しっかり者という印象の1人の女性がIDカードを下げている。グラントさんがIDカードを指さして、この人はWHEDのワークショップのコースを卒業して、この売春宿でエデュケイターの役割を果たしているという。WHEDのワークショップは、この地区に数多く存在する売春宿で、後輩たちの相談にのったりしているまとめ役や年長者のセックスワーカーを対象にしたものなのだ。「マブシは、セックスワークを提供する場所としては、アブジャの主要な地区に一番近い。だから、ビッグマンたちが夜、ここに来て買春することもあるし、ここに暮らしているセックスワーカーたちが逆に高級ホテルや歓楽街に繰り出して売春することもあるんだ」とグラントさんはいう。ワークショップの会場に戻ると、三々五々、参加者たちが集まってきた。夜の仕事に従事するセックスワーカーが対象のワークショップだから、開かれるのは昼、11時から2時までの3時間だ。

11時、ワークショップはスタッフも合わせて20名ほどの参加によって始まった。

最初に起立して、簡単な祈りと黙想によって雰囲気を作った後、参加者が一通り自己紹介して、そのあと、グラントさんと兄弟分に見える小柄な男性のファシリテートで本番が始まる。男性はまるでラッパーのようにリズミカルな英語で、スラム街のバーのそもそも薄暗く沈滞した雰囲気を吹っ飛ばす。まずはHIVとエイズの話。「HIVって何?言える人?」何人かが手を挙げ、1人の女性がさされて立ち上がり「Human Immunedeficiency Virus」と答える。その通り、彼女を祝福して!会場の全員が三三七拍子のように表紙を取って拍手し、最後に彼女を祝福していることを示すために、両手を彼女に向けてさし出す。ではAIDSとは?AIDSが人を殺すのは、どんなメカニズムか?ちょうど簡単な絵が書かれている模造紙がある。人間の体には、侵入してくる病原体と闘うソルジャー・免疫が存在する。その免疫に攻撃を加えるのがHIVだ。その結果、いろんな病気にかかって、死んでしまうんだ。では、HIVの感染を防ぐには?場面は、コンドームの正しいはめ方の練習に変わる。ペニスを型どった木の彫刻に、女性がコンドームをはめてみる。この街で、コンドームをどうやって手に入れるのか、油性の潤滑剤を使ってはいけないこと、コンドームを再利用してはいけないこと、その辺に捨ててはいけないこと、製造年を確かめて、4年以上たったものを使ってはいけないこと……。

ワークショップの内容は、エイズとセイファー・セックスに限られない。セックスについて話そう。セックスは自分にとってどんなことか、いいこと、嫌なことを挙げてくれ。まずは、セックスのいいことは?参加者たちからは、こんな答えが挙がる。

子どもを産むことが出来る、満足を得られる、人間関係を深められる、楽しい、仕事としてお金がもらえる、婚姻関係を続けられる……。

じゃあ、セックスの嫌なことは何?挙がった答えは、望まない妊娠、妊娠中絶、性感染症やHIVに感染する、セックスをして感情的に混乱してしまう、痛い、短い時間に何人もの人とセックスしなければならない、結婚生活が破壊されてしまう……。じゃあ、嫌なことを避けて、いいことを得るためにはどうすればいい?参加者たちが答えるごとに、祝福の手拍子が全員から発せられる。ファシリテーターは、出された答えを模造紙に書き込んでいく。土間の壁一面に貼られている模造紙は、こうやって毎回作られたものなのか。

このワークショップは、各売春宿のまとめ役となっている女性たちをエデュケイターとして養成するという役割を負っている。だから、悩んでいる後輩や同僚から相談を持ちかけられたときにどう振る舞うか、というのもテーマの一つだ。よいエデュケイターとは?いろいろな答えがあがる。自分の責任を自覚している、秘密を守る、相手に対して一方的にしゃべらない、相手を決めつけない、ボディ・ランゲージを理解する……。ボディ・ランゲージについては、ずっとワークショップを見ていた初老の女性アデビイさんが、たとえばボディ・ランゲージって、こういうのもそうよ、といって演技する。ゆっくり歩いて、柱につかまり、うなだれる。これは何を表現しているか?わかりやすい演技なので、多くの意見が出る。それらの意見を、ファシリテーターがまとめていく……。3時間は長いが、ファシリテーターも参加者も、テンションが下がらない。

ワークショップも終わりに近づき、グラントさんが私を、遠い日本から来た、と紹介する。私は、日本のエイズ・アクティヴィストだと自己紹介し、遠い日本とナイジェリアとで、コミュニティの中でエイズについて伝えること、語るメッセージは同じなのだと実感した、と挨拶する。1人の女性が、私に何か語りかける。彼女の話している言葉は英語のように聞こえるが、私には聞き取れない。グラントさんが「帰ったらそれっきりじゃなくて、もう一度、また来て下さい、と言ってるよ」と通訳してくれる。私は、こんなワークショップに参加するというすばらしい機会に巡り会えて、自分はナイジェリアのことを好きになりました、近々、また来るつもりです、と言う。参加者たちと別れてバーを出、WHEDの黒いバンに戻ると、巨体のオグボグさんが待機してくれている。

ふたたび「国境」を越えて

バンはマブシを離れ、バイクの修理工場群を通り抜けてサバンナの荒野を上り、外周道路を越えて、サニ・アバチャ高速道路をまっしぐらにシェラトンへと向かう。あの地区には、診療所はあるの?と尋ねると、グラントさんが答える。最近、一つ出来た。それまでは、街に出て街の反対側の国立病院に行かなければならなかった。一言二言会話を交わすうちに、シェラトンにつく。こんなに近かったんだ。オグボグさんが、「そう、マブシはアブジャの中心地区から、本当にすぐ近くなの」と相槌を打つ。握手をして、また会おう、必ず、と言って、別れる。シェラトンにはクーラーが利き、優雅な服を身につけたナイジェリア人たち、スーツ姿の白人たちが闊歩している。

マブシを思いだし、ちょっと混乱した気持ちになる。シェラトンが夢で、マブシが現実か、それとも、マブシが夢で、シェラトンが現実か。ロビーに座って考える。両方ともに現実だ。彼・彼女らの活動資金は、マッカーサー財団、フォード財団、DfID(英国国際開発庁)などから出ている。彼・彼女らはこちらの現実から資源を得、それをあちらの現実を変えるために使う。日本の援助機関は、援助を受ける側のアカウンタビリティの確保をとても重視している、という私の問いかけに、グラントさんは胸を張って言った。「俺たちはアカウンタビリティには自信がある」そういう彼の表情に、はったりはなかった。彼・彼女らは一生懸命だ。この国の状況を変えるために、両極端の二つの現実とわたりあっている。私がすべきことは、私ができることは何なのか、それを考え抜かなければ……グローバリズムのアブジャを象徴するこの場所、シェラトンのロビーで私は思った。


注1:シェラトン・ホテル ナイジェリアは日米コモン・アジェンダに基づくHIV/AIDS等の感染症・保健医療分野における5番目の日米連携の援助案件形成の対象国となり、日本は1回目の調査団を昨年の11月、2回目の調査団を本年の2月に送った。私は、アフリカ日本協議会の推薦で「NGO配慮」枠の団員となり、1週間の日程でナイジェリアを訪問した。この調査団の宿泊先が、ナイジェリアの首都アブジャのワセ地区にあるシェラトン・ホテル・アブジャであった。

注2:USAID 本件調査団の目的は、ナイジェリアでの感染症対策において、日米が連携してどのような援助を実施するかについて、日米で協議し、合意文書を作成するというもので、調査団は全体としては米国側の代表であるUSAIDとの協議に多くの時間を費やした。

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