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2005年9月よりアフリカ理解促進事業の一環として「アフリカひろば」を開催しています。これまでに「在日アフリカ人」シリーズ、「アフリカ・ミクロ話」シリーズなどを開催しました。


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アフリカひろばvol.28
ナイジェリア作家チヌア・アチェベの作品に見るアフリカ文学の世界

AJFは、アフリカを知る、触れる、考える機会を提供するために、「アフリカひろば」を毎月開催しています。

6月14日に平尾吉直氏(首都大学英米文学科助手)を招いて開催したアフリカひろばVol.28「ナイジェリア作家チヌア・アチェベの作品に見るアフリカ文学の世界」の報告です。

参加者9名、スタッフ11名、合計20名となりました。講師の平尾さんの専門はアフリカ、アフロ・アメリカンの文学。 アフリカへの興味はロック・ブルース・ソウルなどの音楽から。 大学時代、福島富士男先生のアフリカ文学の授業に影響を受け、どんどんのめり込んでいき大学院へ。 当日は、たくさんの引用を用いて説明していただき、時間がまだまだ足りなかったくらい盛りだくさんの講演でした。

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◇チヌア・アチェベについて

アフリカ文学を代表する作家のひとりであるチヌア・アチェベはナイジェリアで生まれたイボ人です。 早くからキリスト教に改宗した両親の影響を受け、父親の経営するミッション系の学校で学びます。 イバダン大学に入学し、その後ナイジェリア放送局に入局するが、その間に『崩れゆく絆(Things Fall Apart,1958)』や 『もはや安楽なし(No longer at Ease,1960)』などを発表し、作家としての地位を確立します。 「彼は教師としての作家」という立場をとり、彼の作品を通して”アフリカの過去が、西洋人が決めつけるような野蛮な、 文明のないもの”ではないということをアフリカ人に伝えようとしました。

今回は「『崩れゆく絆』の中に見られるイボ人の多元主義」というテーマで、本文中に出てくるいくつかの具体的な例を用いてお話しいただきました。

◇崩れゆく絆(Things Fall Apart,1958)

物語は、主人公オコンクォの紹介からはじまります。コミュニティ内部の人間である語り手はオコンクォの存在を、村の創始者にはじまり、過去から現在、 そして未来へと流れていく直線的な村の歴史のなかに位置づけています。 一方でオコンクォの父ウノカは、息子とは対照的な人物です。彼は直線的な関係を無視し、 次の世代に何かを残していくなどと言うことは決してしない怠惰な、その日暮らしの人物です。 しかし、コミュニティの価値を体現しているかに見えるオコンクォが、ただの頑固な、扱いにくい人物であるということが次第に垣間見えてきます。 そして、ウノカのより魅力的な側面にも気が付き始めます。ウノカはまわりの人とともに音楽を楽しみ、 酒を酌み交すことが好きな社交的な人物として描かれています。

伝統的なイボ人の社会では男は高い称号を獲得していくことで、ステイタスを確立していくのですが、そうした称号のない男を「女」と呼びます。 オコンクォは父の女々しさを嫌い、「父に似ていると思われたくない」という恐怖につき動かされて生きてきたのです。 その強迫観念のせいで、オコンクォが内面の優しさを表現することができなくなっていきます。

このように一見すると、語り手は成功した息子と失敗者の父親を対比させているように思われるところを、 アチェベはオコンクォとウノカのまったく違った側面を明らかにしながら描き出してしています。

『崩れゆく絆』は主人公オコンクォとその父ウノカのどちらが上でどちらが下かといった判断を下すことを避けています。 イボ人が伝統的に維持してきた多元主義のあらわれであるといえるでのす。

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◇イボ人の多元主義について

イボ人の多元主義という考え方は彼の宗教観の中にも垣間見ることができ、彼自身も両親から受け継いだキリスト教(西洋的)と イボの伝統宗教との狭間で葛藤があったようです。二つの異なる文化の混合の中で成長したアチェベは、 「二つの宗教を否定しない。キリスト教を受け入れつつ伝統的な宗教も保っていく。」という立場をとり、古来よりイボ人に根付く 「対立するものをうまく両立していく」という精神を伝えようとしていたのです。

◇霊的存在「チ(chi)」

イボ人には一人一人が「チ」という存在を持っています。一人の人間のパーソナリティーに霊的な部分(チ)と 現実の部分があると考えているのです。つまり見えているものと、見えてないものが自分の中で対立するのです。 「なにかが立つときには必ずそばに他の何かが立つ」というイボ人のことわざにもあるように、 一人一人が自分の「チ」を持っているということは世の中にはいろんな人がいて、ひとつのものにおさまりきらないという考え方でもあるのです。

◇ムバリの彫像

そういったイボ人の多元主義的な考え方は彼らの生活の中にも根付いています。それは彼らの異文化に対する受け入れ方にも見られます

ムバリとは祭りのときにつくる神の家のことで、彼らは、その中に神様にささげる彫刻を彫るのです。

例えば、彼らは白人入植者や電話など現代の風物をも彫像にして取り込んでしまうのです。わけのわからないものは、彫ってムバリに入れてしまおう。 ムバリに入ってしまったらもう僕達のものだぞ。そうやって彼らの生活の一部になっていくのです。 その中には外部のものを貪欲に取り込んでいこうという彼らの姿勢を見ることが出来るのです。 こういったことが一見、硬直だと思われている伝統文化の中で行われているのです。

このようにイボ人は植民地時代を単なる悲劇ではなく、西洋人の文化をうまく取り入れることをしました。 彼らはイボの文化は西洋人によって破壊されたと考えるのではなくて植民地時代の経験も、ムバリを通して血となり肉となっていくと考えているのです。

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◇オバンジェ

オバンジェとは何度も死んでは同じ両親の元に生まれ変わる邪悪な子どものことです。 イボ人やヨルバ人が持つ概念で、イボ語ではオバンジェ、ヨルバ語ではアビクと呼ばれ、アチェベの他、多くの作家の作品に見ることができます。 アフリカでは幼児死亡率が高いために、生まれた子どもが何度も死ぬ、それを村の司祭はオバンジェであるとします。 生まれて死んで霊界へ戻っていくことを繰り返すオバンジェに対して、両親は今度の子どもは死んでほしくないとして愛情をかけ、多くの財産を使います。 しかしオバンジェは、それを霊界へ持っていってしまうのです。

横のつながり(循環する時間)である霊界から来たオバンジェは、歴史の流れである先祖から子孫へ(子は先祖を敬う)という現世の縦の関係(直線的な時間) を崩していくのです。この後の作品からアチェベは、イボ人の多元主義をますます複雑化していく現代に応用させていきます。

参加者からの質問や感想を紹介します。

参加者:(キリスト教徒でありイボ人の夫の経験から)アフリカ人でも伝統宗教 はこわいと感じるのでしょうか。

平尾さん:伝統宗教を「信じている」からこそこわいのだと思います。それは敬 虔なキリスト教徒ではないというわけではなくて、日本人でも神を信じてはいな いけれど縁起をかつぐことと同じことです。

宗教がひとつの権威をもつためには、理解を超えているとか、神々しい、恐れ多 いという認識を持たせなければならない部分があります。徐々に開かれていって はいるが宗教は外部の人には基本的には閉ざされているものであります。


参加者:3、4年前にナイジェリアに行ったときに流行っていたTVドラマの内 容が今日の話の内容とかぶるような部分がありました。

いろいろなストーリーがぐるぐると回っているといった展開でナイジェリアドラ マの面白さが、そこにあるのかなと思いました。

ここでアンケートに寄せられたメッセージを紹介します。

* 少人数でとても雰囲気がよく、楽しくアフリカ文学を知ることができました。(10代女性)

* 盛りだくさんの内容を大変わかりやすく、また興味深く話してくださり、とても楽しかったです。(40代女性)

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