国際保健規則(IHR)の改定も多国間交渉の俎上に

市民社会の参画をより積極的に位置づけることが必要

IHR改定ワーキンググループの「業務手法」ペーパー

「パンデミック予防・備えと対応」(PPR)に関して、世界の市民社会は主に世界保健機関(WHO)の枠組みで進む「パンデミック条約」制定交渉と、G20財務トラックおよび世界銀行の枠組みで進む「パンデミック基金」(The Pandemic Fund: これまで「パンデミックへの備えと対応・金融仲介基金」(FIF-PPR)と称されていたものが改名された)を焦点に取り組んできた経緯がある。パンデミック条約については、人権NGOや保健分野を含む開発に取り組むNGO等が中心となって「パンデミック条約における人権のための市民社会同盟」(Civil Society Alliance for Human Rights in Pandemic Treaty)が組織され、「パンデミック基金」については、「パンデミック行動ネットワーク」(PAN)やグローバルファンド(世界エイズ・結核・マラリア対策基金)に関わる市民社会などが中心となって政策提言を行ってきた。そうした中で、充分な焦点が当たっていなかったのが、「国際保健規則」(IHR)の改定である。

IHRはパンデミック対策上最も重要な国際約束

実際のところ、IHRはPPRの中核であり、極めて重要な国際約束である。パンデミックとなりうる、国際的な公衆衛生上の緊急事態が発生した場合に各国がどう対応すべきかを定めているのが、IHRだからである。IHRでは、各国はWHOに対して「IHR国家対応窓口」を定め、こうした緊急事態の発生についてアセスメントを行い、緊急事態を構成する恐れのある全ての事象について、検知してから24時間以内にWHOに通報しなければならない。その後、WHOによる緊急事態の通告や、それに基づく様々な勧告等についても、IHRは細かく定めている。PPRのうち、「パンデミックへの対応」(Pandemic Response)部分を担っている現存する国際約束がIHRなのである。

数多くの委員会:IHR改定に向けたプロセスの流れ

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に対して、IHRが適切に機能したかについては、2020年のWHOの世界保健総会にて、登録された専門家による委員会として、IHR第50条に基づく「COVID-19期間中のIHRの機能に関する再検討委員会」(Review Committee on the Function of IHR in COVID-19 Response)が設置され、報告書も出された。これらを踏まえて、加盟国によるワーキング・グループとして「保健緊急事態に関するWHOの備えと対応強化ワーキング・グループ」(WGPR)が設置され、IHRとパンデミック条約構想の両者について方向性を決めていくこととなった。で、2021年末の臨時世界保健総会において、パンデミック条約構想については、「多国間交渉主体」(INB)が設置され、制定交渉を本格的に進めることとなった。

一方、IHRについては、2022年5月の世界保健総会で米国が包括的な修正案を出した。同総会ではこれについて本格的に検討する代わりに、上記のWGPRを「IHRの改定に関するワーキング・グループ」(Working Group on Amendment to the IHR:WGIHR)に改組したうえ、米国にくわえ、加盟各国に改定についての提案を9月30日までに出すように決定した。その結果、アルメニア、バングラデシュ、ブラジル、チェコ(欧州連合諸国を代表)、エスワティニ(WHOアフリカ地域事務所管轄諸国を代表)、インド、インドネシア、日本、ナミビア、ニュージーランド、ロシア(ユーラシア経済連合諸国を代表)、スイス、米国、ウルグアイ(南米南部共同市場(MERCOSUR)諸国を代表)がIHR修正案を提出。これを踏まえて、WGIHRは11月14-15日に第1回会合を開き、IHR改定の交渉を調整していく「ビューロー」をWHOの6つの地域から一か国ずつ選んで設置し、今後、来年5月の世界保健総会に向けて改定の方向性を決めていくこととなる。一方、IHR改定の内容について、WHO事務局長は新たに専門家委員会として「IHRの改定についての再検討委員会」(Review Committee Regarding Amendments to IHR)を設置、14か国の提案を踏まえて、改定の中身について事務局長に報告書を提出することとした。

市民社会をなど非国家主体の参画で、開かれた改定プロセスを

パンデミック条約、IHR改定のいずれのプロセスでも、WHOは長い歴史に裏打ちされた制度的蓄積といういわば「本領」を発揮し、覚えきれないような数の委員会を立ち上げて検討を進めるわけだが、大きな課題の一つが、市民社会をはじめとするステークホルダーの参画である。これについて、WGIHRは、WHOとの関係を確立した国連機関や政府間機関、オブザーバー、WHOと公的な関係がある非国家主体(Non-state actor)の代表、WHOに加盟していないIHR加盟国の代表などに、会合への参加などを認めることにしている。しかし、特に市民社会に関しては、「WHOと公的な関係がある」としてしまうことで、参加枠は相当狭くなることは明らかである。IHRは実際にパンデミックが生じたときに運用される国際約束である以上、その役割や影響は大きい。出来る限り透明性と公開性を持ち、開かれた運用をすることが、改定されたIHRの支持基盤を広げることにもつながる。