スーダンと日本をつなぐ視覚障害者の活動に学ぶ

Visually impaired students’ struggles for access to knowledge inspire children with visual impairment in Sudan

『アフリカNOW 』No.96(2012年11月発行)特集記事

執筆:斉藤龍一郎

これはお金のためじゃないんだ

スーダン人視覚障害者が代表理事を務めるスーダン障害者教育支援の会(CAPEDS; Committee for Assisting and Promoting Education of the Disabled in Sudan)は昨年、スーダンの普通学級やコーラン学校に通う視覚障害児を対象とした点字指導を実施した。今年9月2日に行われたCAPEDSのスーダン活動報告会と『「点を繋いで描く夢」2012報告書』によると、このプロジェクトは一般社団法人国際協力システム、㈱イオンフォレス、ザ・ボディーショップニッポン基金の助成を得て、2011年12月から2012年2月にかけてスーダン・アルジャジーラ(ジャジーラ)(Al Jazirah)州ワッダルファーニ・コーラン学校で、2012年4月から7月にかけてハルツーム(Khatoum)州東ナイル地区の視覚障害児を対象に、国立エルヌール盲学校で点字指導を実施。計39名が参加し、中には点字指導できるほどの水準に達した視覚障害児もいた。

スーダンの首都ハルツームから車で2時間余りの距離にあるワッダルファーニ・コーラン学校では、視覚障害者のスーダンの大学生が3人、2ヶ月近く泊まり込んで点字指導にあたった。その中の一人のアブー・ゼイドさんは、「(今回はCAPEDSから謝礼が出るが)たとえボランティアだったとしても、教師として参加したいと思う。これはお金のためじゃないんだ」と語っている。その場にいあわせたCAPEDS事務局の並木麻衣さんは次のように共に活動する喜びを表している。

同じ視覚障害を持つ先輩として「文字を持つこと」がどれだけ人生を豊かにするか、子どもたちに文字を教えることがどれだけ大切なことか、身をもって知っているアブー・ゼイトさんの信念。文字を教わることをずっと待っている子どもたちのところに、こうやって、これからも一緒に点字教室を届けていきたいな。とても心強い、私たちの仲間です。(CAPEDS活動報告ブログ 2011年12月20日)

障害当事者による支援の可能性

筆者は、2007年に当時のAJFのインターンがCAPEDSの活動に関わっていたことがきっかけになり、CAPEDのNPO法人化についての相談を受けた。それ以来、初代代表理事のモハメド・オマル・アブディン(Mohamed Omar Abdin)さん、当時の事務局長(現在は理事)の福地健太郎さんと日本の大学に在籍する視覚障害者2人による座談会「視覚障害者が高等教育機関で学ぶ スーダンと日本の経験を語る」(2007年8月、東京大学先端科学技術研究センター)、大阪で毎年開かれているワン・ワールド・フェスティバルでのブラインドサッカー紹介ワークショップ(2008年2月)、理事のヒシャーム・エルサー(Hisham Elser)さんと立命館大学大学院生存学創成拠点に在籍する視覚障害者3人による座談会「大学における視覚障害者支援の現状と課題 スーダンで今求められていること」(2008年6月、立命館大学)、ヒシャムさんインタビュー(2009年3月、筑波大学)、現代表のバシール(モハメドバシル・アフマド・モハメドアリー)さん公開インタビュー(2009年6月、京都府国際センター)などの機会をつうじて話を聞き、討論をしてきた。2009年3月に発刊された『立命館大学生存学研究センター報告6?視覚障害学生支援技法』(1)に「スーダンと日本、障害当事者による支援の可能性」を執筆したが、それ以降のCAPEDSの活動を振り返り、改めて障害当事者による支援の可能性について考えてみたい。

仲間たちにもチャンスを

先に名前をあげたCAPEDSのメンバーの中で、福地さんは筑波大学でアブディンさんと出会い、CAPEDSの創設に関わることになったが、アブディンさんとヒシャムさん、そしてバシールさんは、ハルツーム大学で最初に出会っている。2008年6月に行われた座談会「大学における視覚障害者支援の現状と課題 スーダンで今求められていること」に参加したヒシャムさんは、日本に来ることになった経緯について、次のように語っている。

視覚障害者を日本に招いたり、針灸あんま師の勉強をさせてくれたりする国際視覚障害者援護協会というのが東京にあるんですけど、スーダンにいたときにそれを知りました。日本という国は行ってみたいと思いますよね。みんな日本の車や電気製品を使ってて知っているし、そんないい製品をつくる国がどんな国なのか興味を持っていました。でも、その話を1,2年生の頃から聞いていたのですが、1年生のときは大学入ったばかりだからまだいいやと思っていて、そしたら同じ年に入ったアブディン君が先に日本に行ったんですよ。それで、アブディン君が帰ってきてその話を聞いてから決めようかなと思って。で、聞いてみたら「いいよ」って。その時僕はちょっと躊躇したんですけど、バシールは絶対行くとか言っていました。

アブディンさんは2007年8月に行われた座談会「視覚障害者が高等教育機関で学ぶ スーダンと日本の経験を語る」で、当時ハルツーム大学に在籍する障害者学生が急増していた背景にスーダンにおける地域格差是正政策があったことを指摘して、次のように語っている。

僕は大学に入って日本に来たのですけれども、その後1年間ぐらいでスーダンに法律ができて、例えば、スーダンのダルフール、いわゆる未発展地域の出身が、大学受験においては、…パーセンテージでやるのですけれども、例えば、法学部は80%からしか入れないとなったら、そういった地域の人達は75%から入れると。それと同時に障害者も同じように入れるということになってて。急に、障害者が急増殖したのです(笑)。僕が大学に入った時は、3人か4人しかいなかったのですけれども、一番大きなハルツーム大学で。それが、2年後は60人になったのですね。

ハルツーム大学で出会った3人のうち、まずアブディンさんが国際視覚障害者援護協会(IAVI; International Association for the Visually Impaired)のプログラムで日本に来て、福井県立盲学校で日本語と点字そして三療(鍼灸あんま)を学び、その後、筑波技術大学と東京外国語大学に進学、現在は平和構築をテーマに博士論文を執筆している。続いて来日したヒシャムさんは、1年間は愛知県立盲学校に通った後、岐阜県立盲学校へ移り、岐阜大学と筑波大学で学び、今は大学院で障害者教育について研究を進めている。バシールさんは、京都府立盲学校で学んだ後、立命館大学・同大学院に進学し修士論文を書き上げ、東京で三療を行いつつ、最近ではアラビア語の翻訳・通訳・会話教育の会社を立ちあげた。

3人は、個人としてチャンスを活かすだけでなく、仲間たちにも点字を学ぶ機会、インターネットを活用して情報にアクセスする機会を提供したいという。そして、その願いをことばだけに終わらせず、ハルツーム大学障害を持つ卒業生の会(卒業生の会)と協力して、卒業生の会がパソコン本体を、CAPEDSが本体の値段よりも高いアラビア語の読み上げソフトを、それぞれ5台分用意して寄贈した。2009年3月、ハルツーム大学に新たに設けられた障害者用パソコンルームで行われたオープニングセレモニーには、学長を始めとする大学関係者だけでなく、JICAスーダン事務所なども参加。卒業生の会のメンバーが講師を務めるパソコン講座の受講者が増え、パソコンが活用されるようになり、半年後にはもともとあった障害者支援室が整備され、障害者用パソコンルームと同様にアラビア語の音声読み上げソフトをインストールしたパソコンが5台、新たに導入された。

視覚障害児対象の点字指導の開始

こうした取り組みの成果をふまえて、ヒシャムさんとバシールさんの母校でもあるエルヌール盲学校との協力関係を強化して、スーダンの普通学級やコーラン学校へ通う視覚障害児を対象とした点字指導が始まった。

エルヌール盲学校には、CAPEDSのメンバーが以前から何度も訪問し、課題を話し合ってきた。この盲学校は国立だが、教科によっては3人に1冊しか教科書がない。この現状に対して、日本で英語の教科書を点訳して、生徒の数だけ用意して送るというプロジェクトが取り組まれ、今年1月に必要な数の教科書が送られた。今秋には、東京・国立市のロータリークラブが寄贈する点字プリンターがエルヌール盲学校に届き、メーカーによる研修も行われることが予定されている。また、昨年11月から今年6月までスーダンに滞在した福地さんは、エルヌール盲学校で英語を教える機会を得て、盲学校の現状を体感することができた。

支援の対象者が比較的限られており、卒業生の会や在校生の連絡組織もある大学における取り組みと違い、対象となる視覚障害児に関する基礎的なデータや接点となる取り組みがほとんどない初等教育(CAPEDSは「基礎教育」と呼んでいる)に関わる取り組みに踏み切るまでには、さまざまな議論があったという。アブディンさんが書いた『「点を繋いで描く夢」2012報告書』の「まえがき」では、この議論について次のように述べられている。

基礎教育プロジェクト立案の時点においては、理事間で意見が大きく割れてしまったことがある。特にスーダン人理事においては、それぞれの教育背景から、本分野に必要な支援とそのあり方に基づく意見が多かったので、多少意見が一致しなくても無理がないだろう。むしろ、意見が様々あるということは、ニーズが多様である事実を裏付けるものなのではないかと思った。

コーラン学校での点字指導

この「まえがき」では、ジャジーラ州ワッダルファーニ・コーラン学校での点字指導についても、次のように紹介している。

第1フェーズにおいては、スーダンのアルジャジーラ州の伝統あるコーラン学校でコーランを学ぶ30名ほどの視覚障害者を対象とした。特定の宗教教育を支援することはNGOが渋ってきた分野だが、当会では、むしろこれに力をいれることにした。

その理由は二つある。一つ目の理由は、スーダンの地方においては、視覚障害者の多くはコーラン学校で学んでおり、コーラン学校で優秀な成績で卒業し、イスラム大学に進学するために点字の勉強が不可欠であること。二つ目の理由は、コーランを暗記し、大学に進学して卒業すれば、「イマーム」というイスラム指導者の資格を付与され、宗教活動を直轄している省庁の職員になることができるからだ。そうすれば、モスクで説教したりする際、事前に内容を点字で書いて、読み上げることができる。宗教指導者という職業は、今日のスーダンの視覚障害者にとって、大変重要な位置を占めており、ならばこの現実を当会のほうが受け止め、しっかり支援することが大切ではないかという考えのもとで、本プロジェクトの対象者にコーラン学校の生徒を含めることにした。

前述したようにこのプロジェクトは、視覚障害を持つスーダンの大学生3名が点字指導者としてワッダルファーニ・コーラン学校に泊まり込み、2週間に一度はエルヌール盲学校で点字指導をしている教師に指導を受けながら、26名の視覚障害児に2ヵ月間の点字指導を実施した。ワッダルファーニ・コーラン学校は300年の歴史を持ち、約1,000人の生徒が在籍、寄宿舎もあり、周辺地域からの生徒も迎え入れている。

視覚障害児を対象とした点字指導

受け入れ先が一つであったワッダルファーニ・コーラン学校での点字指導に比べ、400校近くの普通学校の中から点字指導が必要な視覚障害児を見つけ出すことから始まったハルツーム東ナイル地区でのプロジェクトはより困難で、さまざまな課題が明らかになったようだ。この地区を担当する教育委員会が前向きな協力の姿勢を示したことから、東ナイル地区での取り組みが始まったのだが、どの学校に視覚障害児がいるのか、どういった支援を必要しているのかなどの基礎的なデータが限られていたため、2段階の調査を経て対象者を特定していった。

70校を対象に行われた第1段階の調査では、時間の制約もあり、健康診断の結果や学校長への電話での問い合わせをもとに、視覚障害の可能性がある子どもを訪ね、簡単な視力テストと面談を実施。普通学校での授業を受ける上で困難を抱えているかどうかを判断した。調査の結果、60名の生徒が視覚に障害があり、普通学校での授業を受ける上で困難を抱えていることが確認された。第2段階の調査では、各学校に視覚技能士を派遣して、個別に診断を行った。第1段階で判明した60名の生徒のうち30名は、障害を否定的に考えた教員たちが非協力的であったため診断ができなかったそうだ。視覚技能士による診断だけでは判断が難しい場合は、眼科医に医院内で診断を依頼した。

この調査をもとに現地コーディネータが生徒の親たちに働きかけ、13人の生徒がエルヌール盲学校で行われた点字指導に参加。生徒の自宅は広い範囲に散らばっていたが、CAPEDSが手配した2台の車でそれぞれの生徒の家を回り、盲学校での2ヵ月間の点字指導を実施することができた。生徒は、大学卒業生である視覚障害者の指導を受けて大学進学の可能性を感じ、同じ境遇にいる仲間と出会うきっかけを得て、学習意欲を高めたという。

一方でこの調査から、教員たちの中にある視覚障害に対する否定的な考え方、時間的・技術的な制約、海外のNGOへの不信感、視覚障害者の親たちの子どもや教育への期待の低さ、医学的ケアの必要性、学校から完全に排除されている視覚障害児の把握、などの課題も明らかになった。『「点を繋いで描く夢」2012報告書』では、今回の調査から次の教訓を得ることができたことを指摘し、同時に、ビタミン剤の摂取やメガネの着用、簡単な手術などの医学的支援の必要性と、粘り強い対話と明確なコミットメントを示すことの重要性が提起されている。

  • 教育委員会、盲人協会ですら正確に視覚障害児の状況を把握しているわけではないため(中略)視覚障害児の存在や学校への在籍状況の正確なデータを収集することが不可欠である。
  • 障害に対する否定的な見方が、教員、親そして子どもたち自身に障害を認めることをためらわせ、障害児を不可視化してしまっている。
  • (前略)今回協力した教育委員会においても、視覚障害をもつ特殊教育コーディネータが雇用されてはいるが、実際に職務を遂行するために必要な予算や交通手段は用意されていなかった。

障害当事者だからこそ可能な取り組み

この報告書では、東ナイル地区での調査の様子について次のように紹介している。

(事前に視覚障害児の在籍情報があった15校は)直接訪問し指数弁(2)と面談により授業を受ける上で困難を抱えているかを判断した。面談を行った現地コーディネータのハーティム氏は、自身も徐々に視力が落ちたために授業を受ける上で困難に直面した経験をもつ当事者であったことから、生徒が光の入る窓の近くに座るのか、暗いところでもはっきり見えるのか等、実体験に根差して聞き取りを実施できた。

点字指導員などの講師が視覚障害をもつ当事者であり、スーダンの最高学府であるハルツーム大学を卒業しているロールモデルでもあるため、講師との交流は子どもたちや親たちに、より前向きな将来の展望をもつきっかけとなったようだ。親たちとの懇談会では、「視覚障害をもっていても大学に進学できることがわかって良かった」というコメントが寄せられた。視覚障害者自身の取り組みだからこそ、こういった行動や反応があったに違いない。

筆者は、この報告を読んで、前述した2007年8月の座談会の際にアブディンさんが次のように語っていたことを思い出した。

私は、点字を習って、自分が好きな時に勉強できる、っていうのは日本に来て初めての体験だったのですね。それまでに、周りの人に本を読んでもらうっていうのは、…まあ、試験前にしかやってくれないですけども、ただ、例えば、試験当日の朝に一番最後の悪足掻きがしたくても読んでくれる人がいないと。そういう経験をずっとしてきたのですけれども、点字があると、例えばふっと夜中に目が覚めても、布団の中でも勉強ができるっていうのは、非常に便利な文字の媒体だなと思って、すごい楽しく勉強してました。

また、2008年6月の座談会でヒシャムさんは次のように語っている。

現在の大きな課題としては、教材の提供とか、学習環境の保障とかがあります。視覚障害者が使用する教科書とかプリントとかはまだかなり不足しています。会ができて5,6年たちますが、そういった部分はまだできていません。点字図書館もまだないです。学生達がパソコンを使って、自分で好きなときに文献などを検索できるしくみもつくらなければならないと思います。教材が学生のニーズに合うように、学生が使う教材のテキストデータ化、点訳、MP3などの音声データ化も必要で、まずやらなければならないことです。テキストデータ化というのは、視覚障害者の方なら知っていると思うんですけど、視覚障害者は普通のプリントなどはそのまま読めないので、支援室みたいなところで学習補助者がスキャナで取り込んでテキストデータ化するといったことを行っています。そのデータをもらったら、パソコンで読むことができるようになります。このような仕組みを向こうでもつくれたら便利、というか必要ですよね。次にやっぱり、情報処理教育を目的としたセンターの設立。今はパソコンを扱える人はほとんどいないし、むしろパソコンを触ったことのない人の方がほとんどです。僕も2001年まではその1人でした。パソコンがどういうものなのか、何ができるようになるのか、全然知らなかったです。けれども、パソコンの便利さとか必要性を知った私たちとか、CAPEDSに入っているアブディン君とかバシール君とかが教えていけたらいいなと思います。

これらの発言はただ語られただけでなく、ハルツーム大学の障害者用パソコンルームとして実体化した。このことを知った他の大学の障害者学生が、自分たちの大学にも同じような施設が欲しいと声をあげているという話も聞いた。

障害者自身の視点・取り組みを出発点に

CAPEDSは、大学に在学する障害者の学習支援や盲学校に通うことのできない視覚障害児に対する点字指導の支援に加え、ブラインドサッカーの普及活動も行っている。2008年2月のワン・ワールド・フェスティバルでのワークショップでは、参加者にブラインドサッカーのボールに触れてもらい、独特の音がすることを確認してもらった。2009年には日本財団の助成を得て、スペインからブラインドサッカーの指導者をスーダンへ招き、指導者育成プログラムを実施した。このプログラムを経て発足したスーダンのブラインドサッカーチームは、同国サッカー協会の協力も得て、国立サッカー場で毎週、練習しているという。スーダン人の視覚障害者たちが中心にいる団体だからこそ、こうした成果を達成することができといえるだろう。CAPEDSの活動からは、障害者が国境を越え、またさまざまな困難を超えて、仲間にも同じチャンスを提示したいと行う活動がどのようなものなのかを知ることができる。

2010年12月に開催した「アフリカ障害者の10年」セミナーでは、ケニアのろう者たちのネットワークの中から仲間と共に働く場を作り出していく人びとが登場していることが報告された(3)。こうした動向があることに感嘆し、称賛の声を送るにとどまってはならないだろう。CAPEDSがさまざまな団体から引き出した資金や支援、行政との協力などを背景にして初めて、自らの仕事として点字指導に取り組むことができる視覚障害者の大学生がいる。さらに、粘り強い取り組みを経て初めて、点字指導を受けることができる視覚障害児がいる。資金面での支援や各団体、行政などへの働きかけなどをつうじて、障害者自身の視点と実践を出発点にした取り組みを支援していかなくてはならない。この協働作業の中で、障害者を仲間として受け入れる組織や場をつくっているのか、必要な支援ができるだけの技術や共感を持っているのかについて、自ら問いかけていくことが求められるのではないか。

(1) 現在、2010年に発刊された増補改訂版が入手可能。生存学創成拠点のウェブサイト(http://www.arsvi.com)で全文を読むことができる。

(2) 診断者が何本の指を開いているのを見て判別できる最長距離により視力を測る検査方法。この調査では、黒板までの距離を想定して、5メートルの距離から診断者の指が判別できるかどうかを検査した。

(3) 生存学創成拠点のウェブサイトに、このセミナーでの報告者の原山浩輔さんのプレゼンテーションと静岡県立大学に提出した卒業論文が収録されている。

 【引用と参考にしたウェブサイト・ブログ】

>>アフリカNOWについてはこちら