アフリカの障害当事者に想いをはせて

Memories of friends with disabilities in Africa

『アフリカNOW』104号(2015年12月31日発行)掲載

執筆:日下部 美佳
くさかべ みか:大学で社会福祉学を専攻後に、イギリスの自立生活支援センターにてパーソナルアシスタントや、ボツワナのHIV 孤児センターのボランティアを経験し、青年海外協力隊としてガーナに赴任。その後、ボランティア・コーディネーターとして、JICA ガーナ事務所とJICA マラウイ事務所で勤務。現在は、アフリカの「障害と開発」について、細々と勉強中。


持続可能な開発目標(SDGs)と障害者ポストMDGs(ミレニアム開発目標)として2015年に採択された「持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals: SDGs)」の中に、障害(Disability)の視点が取り入れられたことにより、開発プロセスにおいて、障害者が受益者という立場のみならず、実施者としても参加することが期待されている。サブサハラ・アフリカ(以下、アフリカ)においても、近年、障害当事者や現地の人びとの視点に立った研究や活動が、インクルーシブな社会の構築に寄与するものとして取り組まれている。

戸田美佳子著『越境する障害者 −アフリカ熱帯林に暮らす障害者の民族誌』(以下、「本書」とする)を拝読した。本書は、中部アフリカに位置するカメルーン共和国の東南部の集落において、現地の生活に根ざしたフィールドワークを積み重ねて作成された研究書である。分析対象として、生業活動する障害者の日常に焦点を当て、障害者と周囲の人びとの「ケア」をめぐる関係性や相互行為を通して、これまで語られてきたアフリカの「隠された障害者」像の打破を試みつつ、本来のアフリカの障害者の姿を議論している。アフリカで障害当事者たちと

共に活動した経験

本書を拝読する中で、自らのアフリカ生活6年間を反芻して、共に活動した障害当事者の人びとに想いを馳せながら、徒然なる想いを書き留めていきたい。2006年から2008年までは、青年海外協力隊として、西アフリカに位置するガーナ共和国の地方都市クマシ(Kumasi)で生活した。クマシでの活動は、ガーナ家族計画協会(Planned Parenthood Association of Ghana: PPAG)において、地域の障害児・者やその周囲の人びとと共にHIV 予防啓発を行った。彼/彼女らから日々の活動や会話を通してTwi 語(ガーナの現地語の一つ)を学び、Twi 語でのやり取りを通して、彼/彼女らの想いを感じ取ることが多かった。実施した活動の中には、障害者団体や地域の人びとともに創ったイベントの開催(松葉杖を用いて行うアンプティサッカー試合やバリアフリーの無料HIV 検査など)があった。イベントを企画する過程を通して、障害当事者が自らの体験に基づいて意見を述べ、それらの意見に配慮したイベントのプログラムが創り上げられた。

「ケア」とは、人と人とのかかわりを通じて「より深い何ものか」にふれることである(広井 2000)、という考え方に共感しているが、本書においても、「(モニークの)生活実践を支えている『ケア』とは、顕在化して見える行為ではなく、彼女が自ら生計するための場を整えるための配慮であろう」(p.130)という指摘についても同様の共感を覚えた。クマシでのイベントの企画・開催においても、人と人がかかわることにより、機能障害という枠を超えた人びとのつながりと配慮が生まれる過程を経験した。この経験が、障害者の当事者性に基づいた実践活動を考える基盤となっている。

本書では、カメルーンの熱帯林の集落で生活する機能障害をもつ人びとについて、さまざまな他者の手助けを必要とする存在ではあるが、それゆえに彼らは周囲とより密接な関係を必要としており、また高度な「社会性」を駆使していると分析している(p.150)。ガーナにおいても、肢体不自由者、聴覚障害者、視覚障害者などの身体障害者の中には、様々な資源を活用して自己決定をしながら自立生活する人びともいる。また、肢体不自由の障害当事者(成人)が、肢体不自由児の初等学校の就学実現に向けて積極的に活動するなど、「隠された障害者」像とは相反する障害者の姿もあった。

アフリカの「隠された障害者」たち

本来のアフリカの障害者の姿を議論しようとする本書では、社会から消し去られている「隠された障者」像の打破を試みているため、「隠された障害者」として生活している人びとの事例は扱われていない。ガーナにおいて、主に、知的障害・精神障害者の中には、地域に出ることなく家の中で活動を制限され、または孤児院や病院等の施設に隔離されて生活している人びともいる。本書は、生業活動を実践する肢体不自由者や視覚障害者に焦点が当てられているが、知的障害者や精神障害者、または生業を成り立たせることが困難な人びと(重複障害や重度障害のある人びと)に焦点を当てるとき、本書とは違ったアフリカの「障害者」像が浮かび上がるのであろうか。「障害者とは誰のことであり、障害問題とは何のことであるか」(星加 2008)という問いに向き合う必要があるのかもしれない。

本書に登場する視覚障害のあるジェマは、結核に罹り、住み慣れた村を離れて病院に入院する(pp.144-148)。病院で治療する際に、シェアリングの文化的背景を踏まえ、近くの村の遠縁から食事を分配してもらうという提案に対して、ジェマは「それはできない」と答える。「なぜ」という問いに、「できない」としか言わなかった彼の言葉の中に、彼なりの生きづらさが含まれてはいなかっただろうか。農耕民の語り手は「ジェマは家族に恵まれなかった」と述べていた。個人の感情や尊厳、これまでの生活経験など、一言では語ることのできない「彼の人生」が、それらの言葉に埋もれていたように感じた。日常生活の中で積み上げられる「当たり前」の生活とは何か、アフリカの「当たり前」の生活とは何かという問いを、本書から投げかけられたように思う。

「共に育つこと」の重要性

最後になるが、私自身がガーナとマラウイの活動を終えて日本に帰国した後に強く感じたことを述べたい。小学校教諭免許状を取得する際に、機能障害のあるなしにかかわらず、「共に育つこと」の重要性に気付く出来事があった。就学相談で特別支援学校の入学を勧められながら、地域の小学校に入学して卒業した児童の親が、担任の先生に伝えた言葉がある。「この子は、大人になっても、この地域で生活します。小学校時代を共にすることで、地域の子どもたちが、この子の存在を知ることは、この子にとって将来的に地域で生活しやすくなります。また地域の子どもたちにとっても、地域に多様な子がいるという気づきになったと思います」。卒業式には、その子ども自身も、地域の普通学校で友人と共に学ぶことのできた喜びを語っていた。

その親子と学校関係者の姿から、「『学校』は単なる『学問習得』の場ではない。人間として初めての『社会参加』であり、人間関係の在り方を自らの体内に奪い取るための場であるはずなのである」(横田 2015)ことを学ばせてもらった。アフリカでは、障害のあるなしにかかわらず、貧困を前にして、人びとの人生の選択肢が限られている。そして、障害のある子どもは、社会的障壁によって、教育にアクセスすることが一層困難な状況にある。SDGs の採択により、障害のあるなしに関わらず、アフリカの子どもたちが地域で共に学ぶ機会に恵まれ、国や障害種別を超えた障害当事者同士の繋がりが生まれることにより、インクルーシブな地域社会への変革に向けた契機になることが期待される。本書を通して、アフリカの障害者の生活や就学について、改めて考えをめぐらすことができたことに感謝したい。

【参考文献】
戸田美佳子(2015)『越境する障害者—アフリカ熱帯林に
暮らす障害者の民族誌』明石書店
広井良典(2000)『ケア学—越境するケアヘ』医学書院
星加良司(2008)「当事者性の(不)可能性—ディスアビリティ・スタディーズの存在理由」崎山治男・伊藤智樹・佐藤恵・三井さよ編『〈支援〉の社会学—現場に向き合う思考』青弓社、209-231頁
横田弘(2015)『障害者殺しの思想』現代書館


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